[breath]のあれこれを聞いてほしい。
この年末年始、[breath]というプログラムに参加するためカンボジアに行ってきた。
変化が激しい今の世の中で、私たちはいつも確かなものを求めている。
確かさを求める視線の先にはにはぼんやりと、安定した収入やキャリア、ロジックで説明できることが見えている。
だけどそれすらも、絶対なんてない。
じゃあどうする?
これから私たちが進んでいく未来がどんな世の中であろうとも、呼吸をするように自然体で生きられたなら。
そんな願いを込めて作られたのがこのプログラム。
プログラム期間中は、遺跡を巡ったり
村にホームステイしたり
メンバー9人で旅をしたり
一人旅もした
そして街に戻ってきて
これからにつなげていった
一瞬で過ぎ去っていったけれど、一生忘れない時間だった。
そんな素敵な時間と、そこでの気づきを知ってほしくて、私は今この文章を書いている。
伝えたいことがありすぎて長くなってしまったけれど、
”もう一度、一緒に旅をするように”
読んでもらえると嬉しいなと。
主催者のまいまいさんやガイドさんは、遺跡についてたくさんのことを教えてくれた。
遺跡は目に見えるカタチとして残っているから、確かなもののように思えるけれど、それは少し違っていた。今ある姿は、一度壊されたものを修復した姿であったり、今もその途中だったり。もしかすると明日にはそれが壊れているかもしれない。
それでも堂々と公開されていて、”不完全だから見せられません”なんてことは一つもなかった。そして私たちはその姿を見に日本からわざわざそこに来ていて、何かを受け取ろうとしている。
完璧な姿だから認められるわけじゃないんだ。
整っていなければいけないなんて決めつけていたのは、私自身だったんだ。
そんなことを思った。
しかもこの遺跡たちにまつわる情報は、全部”たぶん○○だと思う””○○だとされている”という風に語られる。
よくわからないことも多いけれど、だからこそただの情報収集になることは決してない。
いつも自分を介して、もしかしたら○○だったのかな、と想像できる。
何が正しいかなんて誰にも分らないし、そんなもの分からなくていい。
分からないからこそ、想像の余地があって面白いんだ。
日本にいるときは、人生の目的とか、意義を必死に考えて、追い求めて。
社会にいい影響をもたらすことをするべきだ。それが幸せにつながるんだ。っていう風に考えがちだった気がする。
だけど、村での暮らしを見ていると、本当にそれだけが大事なのだろうか?と疑問に思う様になってきた。ここの人たちが働くのはきっと、基本的には生きるため、命をつなぐため。
日本での仕事も、根底にはそれがあるはずだけど、私達の心はそれだけじゃ中々満たされない。だから、”もっともっと”といろんなことを求めてきた。
それ自体も悪いことではないと思う。
だけど村の暮らしにあこがれるのは、きっともっとシンプルに生きたいからなんじゃないかな。
今を生きる、ということは価値や意義を追い求めることよりもずっと私たちにとって大切なことで。いつか得られるかもしれない何かのために、生きた心地がしない今を続けているくらいなら、今の自分を縛っているものを捨ててみても良い気がした。
私たちがこの村で食べたものは全部、ここで育まれた命だった。
植物を採りに草むらに連れて行ってもらったり、それを調理するところまで、手伝わせてもらった。植物も、調理器具も見たことがないものだらけ。
いつになったら食材がそろうのか、どうなったら完成なのか。全部よくわからない。
普段なら時間を気にしてそんな冒険みたいなことは絶対にしないのに、一つひとつに夢中だった。
だけど、目の前で生きている鶏をしめるのを見た時は、泣きそうになった。
私はこれまで見るだけで鳥肌が立つくらい、鶏が苦手だった。だけどその鶏が今ここで、私たちのご飯になっていく。
パパイヤをキャッチするのも、トマトの収穫も進んで手伝うのに、この時だけは「私もやる」って言えなくてごめんなさい。
いつも大切な命から目を背けていてごめんなさい。
だからせめて、今は最後まで見届けさせてください。
そんな気持ちで目の前で淡々とさばかれる鶏を見つめていた。
村で食べる料理は、食材は、それが一体何というものなのかよくわからないものが多かった。
普段は何だかわからないものにはすごく慎重で、「それどんな味?」「おいしい?」ってよく聞いてる。ここでも名前を聞けば一応教えてくれるけど、クメール語だし、やっぱりそれが何なのかはよく分からない。分からないから、食べながら○○っぽいね、って言ったりもした。
だけどちょっと考えてみると、○○っぽいって表現に違和感を感じた。
この世界に同じものなんて何も存在しなくて。似ているかもしてないけれど、これはそれではない、全く別のもの。
なのに、他の何かとひとまとめにしたり、同じであるかのように扱うのは、すごく勿体ないような気がした。
これはこれだ。
食べ物だけじゃなくて、人に対しても多分同じことが言える。
その人はその人。
だから私は、ちゃんとそのものとして扱いたい。大事にしたいと思った。
”マインドフルネスイーティング”というものを教わった。
今この瞬間に起こっていること、に意識を向けるマインドフルネスを、食事の時にも取り入れるらしい。その食べ物が、どんな形をしているかをよく見てみたり、香りをかいだり。口の中に入れた時の舌触りや触感を感じることに集中する。
そんな風にご飯を食べていると、普段よりたくさん食べているわけじゃないのに、不思議と満足感を得られた。
”お腹がいっぱい”とはまた違う、別の満たされる感じ。
たくさんあるからいいわけじゃないんだと知った。
一つひとつかみしめて、身体いっぱいで味わって得られる幸福感は、小さな幸せかもしれないけれど、そんな幸せこそが大切な気がする。
日本に帰ってきてからも、時間を気にせずただここに集中して食べるのは、毎食は難しいかもしれないけれど、いつもよりちょっと早起きしてみれば、できないことではなさそうだ。
”いまここ”に居続けた私たちが村で唯一過去の話をする時間が、毎日の終わりに設けられた振り返りの時間だった。
そして私は、この時間が大好きだった。なぜなら大好きな自分でいられる時間だったから。
これまでずっと、心のどこかに壁を作って、人と深くかかわることを諦め、目の前の人に手を差し伸べたいという想いさえも無いものにしてきた。
だけど、このプログラムを共に過ごしてきたみんなとのこの時間は、思考のレベルを超えて、全部自然に身を任せることができた。
思いが溢れたら、目の前の人を抱きしめて一緒に泣いたり。
”言わなきゃ”じゃなくて、”伝えたい”が先行して思いもよらない言葉をかけていたり。
投げられたサンダルに向かって、自分のを投げ返していたり...笑。
”やりすぎたんじゃないか”って、あとから反省してこそこそ泣いたりもしたけど。でもそんな私を一人置き去りにするようなことは誰もしなくて、それも含めて受け入れてくれる空気がそこにはあった。
いつもこんな風に、自然体で生きられたなら。
私はもっと幸せでいられる。そしてもっと、みんなを幸せにできる。
なんの根拠もないけれど、そんな確信が持てた。
村で見る星空は、これまでの人生で見たことがないくらい綺麗だった。中でも一番忘れられないのは、主催者のまいまいさんと寝転がって見たあの空。
「直感を信じていきたい」と言っておきながら、「でも○○だったら...」とどんどん思考の沼にはまっていく私。感覚や感性を大事にしながら話している時に見た星空は雲一つなかったのに、私がぐるぐるもやもやしてくると、その星たちもどんどん雲に隠れて見えなくなっていく。
これはきっと、星が私に「感覚や感性を大事にしている時の方が輝いているよ」と教えてくれている。そんな気がした。
でもたぶんそれは本当で。
私は常に色々考えていないと死んでしまうくらい考えることが好きなんだけど、それが時に自分の輝きを曇らせているなら。
考える隙も無いくらいパーンってどこかに飛び込んでみるのも悪くないかもしれない。
私は常日頃からよく道に迷う。それは、待ち合わせ場所にたどり着けない、みたいな話だったり、人生レベルでどこに進めばいいのか迷子になることもしばしば。
絶対こっちだと思ったのに。○○はこっちだと言っているのに。
みんなはたどり着けるのに。どうして私だけたどり着けないんだろう。
これは私にとって結構な大問題で、どうにかして直したい私の欠点だった。
それなのに、図らずしもこのプログラムは挑戦の時を与えてくれる。
「遺跡の中を1人で歩いて、午前中にみんなで行った場所に戻ってきてね」と言い始めるから。しかもこの空間を味わうことに集中するために、誰かと話すことを禁止されたり、歩き方や目線まで指定付き。
この時点で私はちゃんと集合場所にたどり着くことを諦めた。そんなことを考えていると、たどり着くことより大事な”今ここに集中すること”ができなくなると思ったから。
結果、やっぱり途中から道は分からなくなった。
どうしようもなくなって、笑えてきて。でもとりあえず、てきとうに歩いていたら...いつの間にかそこは集合場所だった。
必死に頭で考えなくても、この自然が私をここまで導いてきてくれたんだ。そんな気持ちになった。
このプログラムは基本的に、”今これからやること”だけを伝えられて、”その後のこと”や”明日のこと”は伝えられなかった。
村の人たちは、自分たちの暮らしを自分たちで支えているから、決して暇なわけではないと思う。だけど、何をするにも急いではいなくて、ゆったりとした心が伝わってくる。
私たちも次に何が起こるかわからないなら、先のことを気にしても仕方がない。そんな気持ちになった。
日本での生活は、何をするにも選択肢が多いし、何となく結末が見えている。
それ自体が悪いわけじゃないけど...。だからこそ先が見えない状況が怖かったり、常に時間に捉われているような気がする。
でも本当は、日本であろうとカンボジアであろうと関係なく、絶対なんて存在しなくて、何が起こるかわからないはず。
どこにいても同じこと。先のことを気にしてばかりいても仕方ないなって。
2018年最後の夕陽は、メンバー9人の旅の途中で見た。
牛に導かれるようにして奥へ奥へと進んでいった先には道がなくて、
仕方なくそこにある柵を破壊しながら、修復しながら帰っていた時。
突然現れた夕陽は、みんなを明るく包み込むようだった。ずっとこの時間が続いてほしいと思うほどに。
みんなでいるけれど、それぞれが自由に動いていて、誰のことも置き去りにしないこの時間と空間。
”みんながいないとだめなんだ”じゃなくて、
”みんながいるからもっといいよね”というこの感じ。
きっとこれが、私がずっと求めていた”依存”じゃない”拠り所”なのだと思う。手放すのが怖くてずっとしがみついていた何かを、みんなとのこの時間のおかげで自然に手放せたような気がする。
9人旅の後、今度はちゃんと夕陽の絶景スポットらしきところに連れて行ってもらった。
でもそこにはもう夕陽は無くて、まだ何となくその光が残っているだけ。
だけど私にはそこにあるもの全てが美しく見えた。
木も土も雲も。今ここにあるもの全部。
グラデーションになった空も、どの色が綺麗だ、とかじゃない。
確かに色はついているけれど、私の心を通してみるそれは、全部透明な感じ。全部違うけれど、全部一緒。
みんなが夕陽はきれいだというから、何となくきれいなんだろうなと思って生きてきただけ。私は目に見えてわかりやすいものしか見れていなくて。
でも美しさは、そこら中にあふれている。もっとそれを感じたい。
一人旅をしている時、どうしても川の向こう側に行ってみたくなった。
ぐるっとまわれば橋があることは知っている。だけどどうしても、橋は無いけれど今いるその場所からまっすぐ突き進んでみたかった。
でもやっぱり、みんなが積極的にそこを通ろうとしないのには理由があるようで。一歩足を踏み入れてみるとそこはズブズブの沼だった。
旅開始三十分で履いてきたスニーカーは泥だらけ。足もびしょびしょ。
それでも思いもよらないところで、意外なものが役に立つ。
途中で何となく拾ってきた木の棒が、その道を進む私の支えになってくれた。本当にこれが無かったら、足を取られて前に進めなかった気がする。
普段なら、できるだけ身軽でいたいから絶対に持ち歩かないはずのもの。
まさかこんなところで役に立つとは!!
なんでもすぐに”要らない”って切り捨ててしまうのは、なんだかもったいないような気がした。とりあえず、ありがたく受け取っておこう。
でも、沼を抜けられたからと言って、川の向こう側にたどりつけたわけじゃない。今度こそ、深い河の中を進まなければならない。
すぐそばにボートが見えるけれど、そこにたどり着くにも水の中に入る必要があるし...。やっぱりもうここまでなのだろうか...。
そう思っていた矢先、牛の大群がやってくる。
そしてその牛を追いかけるようにやってきた家族に、私は救われた。
どうやら牛の飼い主らしいその家族は、「一緒にどうぞ」とそのボートに乗せてくれて、川の向こう側にたどり着けたのだ。しかも私を乗せたせいで男の子はボートに乗れなくなったから、ボートを押すように川を泳いでくれた。
それがうれしくて、楽しくて。まるで何かに引き寄せられるように、その後もその家族と一緒に森の中を歩いた。
どこの誰かもわからない人に、こんなにも優しくできるって、なんて素敵なんだろう。そこにはきっと、”こうしておいた方が得になる”なんて心は存在しなくて。
ただただ美しいものを見た瞬間だった。
これも一人旅をしていた時のこと。その時の私は常に無意識下で、変な道を選ぶようにしていた。だからジャングルみたいな道を歩いてみたり、来るなと言われた方向にどうしても進みたかったり。
いつも道なき道を進むことに心惹かれていた。裏返せば、そうじゃない道は私が進むべき道ではないと思っていたような気がする。
だから、たくさんの人が通っているであろうまっすぐな一本道を進むことが怖かった。直感はそっちだと言っているのに、少し歩いては本当にこれでいいのかと悩む。
だけどある時ふと後ろを振り向いて気づいた。今歩いてきたはずのその普通の道が、そこを通ったときとは全く違って見えたのだ。
ここは誰かが通ったのと同じ道。ありふれた道。普通の道はつまらない。ましてや引き返すなんてもってのほか。
そう思い込んでいたけれど、そんなことはなかった。
どれ一つ同じ道なんてない。止まりたいときは止まってもいい。
引き返したいなら引き返せばいい。
だってそれはそれは後ろを向くことじゃないから。
いつだって、私が見ている方向が前になる。
だから本当は、道に前も後ろもない。
この道はどうだとか、なんにも気にしなくていいんだ、って。
森の中を歩いている時、まるで顔のように見える木と出会った。
どうしてもその木が気になる。
だって悲しそうに地面を見つめているような気がしたから。
視線の先には何があるのか気になって、現地の子に痛い目で見られながら地面を掘ったけど、そこには何もなかった。
何もないから悲しいの?
その悲しさを分かち合いたくて、長い間木に抱きついていた。
そうすると、その木を発端に、周りの木たちも私に応えてくれるような感じがしてきたのだ。
きっと私がこれまで、この森の自然からたくさんのエネルギーをもらったのと同じぐらい、私もこの木たちにエネルギーを与えていて。
支え合えるのは人と人だけじゃない。私たちは、この世界のすべてとつながれる。だから、どんなに一人だと思える時も、きっと私は一人じゃない。
不思議とそんな風に思えた。
全く同じものを見ているはずなのに、どこから見るか、どんな時に見るか...によって見え方が全く違う。
遺跡の中をふらふらと歩いていたら、二度同じ場所にたどり着いた。
一度目にそこに来たときは迷いや不安でいっぱいで、ただ木に囲まれているだけなのに圧迫感がすごかった。苦しい。怖い。ここにいたくないのに、どうやってここを抜け出せばいいのかわからない。そんな気持ちになった。
でも二度目は違っていた。その時はあたたかく包まれているような感覚で。私が進む道が開けてくるような。
同じものを見ていても、感じ方がこんなにも変わるなら。
今は怖いと思うこと、苦手だと思う人のことも、いつか好きになれる時が来るんじゃないかな、と思えた。無理に好きになろうとしなくてもいい。色んなものに触れる中で、その物事をいろんな角度から見つめられるようになれば、きっと何かが変わるはず。
一人旅の終盤、偶然仲間に出会った。
その時私は帰り道がわからなくて、彼は知っているという状況。このまま彼についていけばおそらくちゃんと帰れる。
でもせっかくのこの一人旅。最後までワクワクを持ち続けていたい。なんとなくそんな感じがして、「やっぱり私、あっちの道から帰ろうと思う」と言ってみる。
彼はその道を通ったことがあったから、「いいけど、多分その道だとたどり着けないよ」と教えてくれた。
でも最終的に、「それでも行きたいんだ」という私と、「行ってみたいなら行きな」という彼がいて。私はその”目的地にたどり着けるかどうかわからないけど、どうしても行きたいと思う道”を自分のペースで進むことに決めた。
この道の先に私が得たいものは無いかもしれない。
それでも行きたいと思う心に従ってみよう。
何が起こるかなんて誰にも分らないじゃない。
どうしても進みたかった道で出会ったのは、牛の大群と、「この道の先には何もないから引き返せ」と叫ぶ(多分)おじさん。
そして2019年最初の夕陽だった。この道を進んだことに意味があるのなら、それはきっとこの夕陽を見ることだったのだろう。
夕陽といっても、木と木の隙間から川の向こう側にわずかに見えるもの。
でもそれが、水面に映った姿は美しかった。だからおじさんに止められても、進み続けてよかった。
日常でこの景色を見ても、あんなに心動かされることはきっと無い。
この道を選んだことに何らかの意味が欲しかっただけかもしれない。
だけどそのことがいいとか悪いとか、そんな話はどうでも良かった。
ただあの時あの瞬間、私はあの場所で何かを感じた。
その事実は絶対に消えないし、確実に何かがあった。
”何もない”と決めているのはきっと、自分の心なんだと思う。
カンボジアって貧しいでしょ?不便でしょ?ってよく人は言うけれど、街にいればご飯は安くておいしいし、いろんなものが売っている。トイレの水も流れるし、シャワーもお湯が出る。
日本と比べるときりがないけど、十分すぎる暮らしそこにはある。
それなのに、自然や遺跡、目に見えない何かとのつながりを感じながら街に帰ってきた私には、そこがすごく生きづらい場所のように思えた。
私が村で大切にしてきたものたちが、雑踏にまぎれていく感じ。
こんな場所じゃ、本当の意味で心が満たされることは無いかもしれない。
そう思うと日本に帰ることが急に怖くなった。
でも、そうじゃなかった。
村にあるものは確かに自然だと感じられるものが多くて、それは遺跡という人工物さえもだった。だけど、街にあふれている工業製品も、全部元をたどれば自然由来じゃない?って言われてハッとした。
そう思うだけで心が軽くなる。
だから今は、大きく息を吸い込んだらどんな場所にいてもあの森の中のように、そこにある命たちが応えてくれる気がする。人工物も自然物も、どっちが良くて悪いとかじゃない。そのバランスが大事。
だけどやっぱり、いろんなものとつながる感覚を忘れないように、時々自然を感じに行きたい。
”なんで私たちの人生はこんなにハプニングだらけなんだろうね”
って友人と笑ったのは、この旅が最後まで不確かさ満載だったから。
飛行機が遅延した関係で、再チェックインが必要だった韓国の空港で、その時間に間に合わず、予定の便に乗れないはめに。カウンターのお姉さんに頼むけど、許してもらえるわけもなく、日本に帰るために再度航空券を取り直すことに。
それなのに私のカードは諸事情により使えない。
あれ、これはもしかして...日本に帰れないやつ...。
こういう時は意外と冷静なので、とにかく真っ先に思いついた友人に連絡し、カードを借りる。
おかげで何とか出国することができそうだ...となったときには安堵で一人泣いたけど、そんな状況にありながらものんきにご飯を食べながら昼寝をしていたので、きっと私はこれからも大丈夫。
カンボジアに行くことを最初に報告したのもこの友人。ダメダメな私に怒るでもなく、慰めるでもなく、いつもの調子で話し掛けてくる。彼女は最後まで、不確かなこの旅を一緒に楽しんでくれていた。
お金と時間の大切さは痛いほど感じたけれど、でもそれ以上に大切なものに気づけたような気がするから、これも無駄じゃなかった。
全部全部、意味がある。
不確かさの中で生きられるようになりたいのに、プログラムっていう確かそうなものに参加するのって矛盾してない?
なんて言いながら、結局は直感で”なんとなく行きたいと思う”を優先してbreathに参加した私。今思えば、プログラムはここから始まっていた。
そして参加した結果、日本に持って帰ってきたいこと、忘れたくないことがありすぎる旅だった。
目に見えない周りの空気や距離感ばかり気にしていた私だけど、
どうせ目に見えないものを気にするなら、それを直感やつながりの方にシフトして、味方につけた方がいいんじゃない?って思えた。
私は[breath]に裏テーマを設けていて、
それは”プログラム卒業のためのプログラム”というもの。
2018年はたくさんのプログラムに参加して、たくさんの出会いや学びがあった。なりたい自分にも少し近づけた。
だけど私は、”自分の足で歩くからこそ見える景色”を見てみたい、と思うようになった。
だからここからは、私が、私自身で物語をデザインしていく時。
でもどんなことが起こったとしても、私は一人じゃない。確信が持てた。
今の感覚を言葉にすると、
”えいっ”って頑張って新しい世界に飛び込むという感じじゃなくて
”するっ”ってなめらかに滑り込んでいく感じ。
ゆるやかに、優しく、あたたかく。
これは私の、私たちのbreath物語。
これからbreathに参加したり、カンボジアに行く人が、今回の私みたいな学びや気づきがあるかもしれないし、無いかもしれない。
全く別の体験を通してでも、得られることなのかもしれない。
それは誰にも分からない。
だけどこの時間や出会いは、私にとってそうであったように、みんなにとってもかけがえのない宝物になると思う。それだけは自信をもって言いたい。
最後に、まいまいさん、すぐるさん
こんなに素敵なプログラムを、ありがとうございました。
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