映画「SONITA」追記

注目すべきは明らかに女性監督とソニータの関係性。最初はカメラに一方的に話しかけるだけだったソニータが、徐々にリラックスした姿をさらけ出し、ついにはカメラを取り上げて監督を映す。さらにソニータの身柄が母元に渡りそうになるシーンでは、カメラを第三者が持ち監督の動向に焦点が向けられ、彼女は完全に登場人物の1人になった。
このシーンを経て、物語は監督がソニータに投資することで大きく動き、また監督が彼女の動画をアメリカの学校の関係者に送ったことで、すらすらとソニータのウィニングロードは拓けていった。

ドキュメンタリー映画の出来は、監督と当事者の関係性に懸かっている。対象の魅力や深層心理を引き出すには時間と高度なコミュニケーションを要する。作り手が対象に没入すると、物語の方向性を大きく変え、作品として破綻するリスクを伴うだろう。
実際監督は、作品内でもそれは十分に自覚し、憂慮していた。ドキュメンタリーだからこそ、また作り手本人の心理だからこそ、その辺りは詳しく描写されずあっさりとテロップで済ませられていたが、相当な葛藤があったに違いない。あの部分は、ストーリー上この映画の一番重要な部分だったはずだ。逆に他のシーンより浮いて目立ちもするわけだが。
これ以降、見る側は状況の悪化を想像し得ず、予想通り母親の意見はともかく頑張って活動していきます、というハッピーエンドが用意されていた。

この展開を引き出したのは紛れもなくソニータ本人だ。彼女の所作は全て自然で、飾ったところは微塵もないが、慣習に飲み込まれない頑固な心と夢を実現するための熱い闘志が、作り手にタブーを犯させた。公開にあたってのインタビューで、ソニータは「私はラッキーだった」と言っていたが、監督が彼女に興味を持った時点で、ソニータは細い糸を手繰り寄せていたと言える。
ソニータの外見と同様に、清々しいほどに美しいサクセスストーリーが出来上がったのは、このような作り手と対象の間に劇的な関係性の変化が起こったことが背景にある。その成功ぶりは確かに奇跡に近く、ドキュメンタリーとしてストーリーが異例の完成度に達したのは、紛れもなく彼女の不屈の精神と強運がもたらしたものだろう。

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