中川暁文展@カフェ&ギャラリーミュゼ

中川さんの展示、いろいろお世話になっているので作品は見たことのあるものが多かったが、一昨年頃からはまり始めたらしい「遺品」をモチーフにした作品をまとめて出していたのは、ここ数年のまとめ的なものと今後の作品の方向性を示す意味があったようだった。どこかで目にしたように、作品群のテーマは一貫して「記憶」にあると確かに感じた。

 空の作品が導く「記憶」は雲行きや行き先不明の飛行機でどこか不穏かつ懐かしさを感じさせる漠然としたものなのに対して、遺品のそれは圧倒的に具体性が増す。誰かの記憶が込められたものに馳せられる私たちの思いは、本来全く知らない「誰か」だとわかっていても、身近な人物のパーツを組み立てながら独自の「誰か」を形成する。遺品の作品は、「空と私」の二人称から、私たちを第三者に弾き出し、モチーフとその記憶の所有者の関係をまざまざと観察させ、想像させることになる。

 中には直接、(おそらく写真を見ながら)生前の姿を描いただろう肖像もあった。中川さんの関心は、遺品や写真に込められた思い出やバックグラウンドにあることがよくわかるし、実際面白いモチーフであることを私に話してくれたこともあった。

   

 とはいえ空の表現と同様に、彼は緻密な写実表現にこだわっているわけではない。これは写真表現に長けている中川さんだからこそのこともあるのだろうが、あえて描写という手法を使うことで自分が遺品から感じる(知っている)情報量を操作して、私たちにも物語を「創造」させる余地を残し、さらに私たちを遺品本来の記憶から遠ざける。

 ただし、遠ざけた先にある着地点がどこなのか。遺品の記憶を忠実に辿れないもどかしさに対しての彼なりの回答が、まだ私の中ではっきりしていない。それが写実を突き詰めたところにあるのか、フィクションの度合いを上げたところにあるのか、はたまた写真表現を用いることも選択肢に入るのか。今回はタイミングが合わず、今後の「遺品シリーズ」の展開について直接聞くことができなかった。中川さんなりの写真と絵画、それぞれに対する見解を含め、赤子連れでもよければ、またゆっくり話したい。


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