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本質を捉えて無駄を省く

何か「身につけること」や「価値を生み出す作業」をすると、必然的に
何かを残す という作業が発生します。

例えば、学生さんであれば。
・「身につける」ために「学習ノート」として残す。
・「知識を集約したもの」として「レポート」の形で残す。

私の場合ですが。
・「後から見返すことが容易」なように「設計」として残す。
・「誰でも作業ができる」ように「手順書」を残す。
・「やってきた試行錯誤」を残すために「記録」を残す。

この"残す" という作業に関して、今回は雑談をしていきたいと思います。よろしければ、お付き合いください。

残す意義を説明できる人は少ない

幼稚園生とか小学生の記憶はないので、はじまりを正確には覚えていないのですが。

これを読んでいる方の中で、「授業を受ける時にノートを書くことの意義」を説明できる方は、いらっしゃいますか・・?

理由は色々と思いつきますが、代表的なものは下記でしょうか・・。
 1. ノートに書くことで、見返すことができるようになるため
 2. ノートを見ることで、教える側が覚えたのかを把握するため

「そりゃそうだ」と思われた方は、勉強ができる方かと思われます。悲しいことですが、「皆が書いているから」という理由で、ノートを書いている方もいらっしゃるでしょう。もしもそういう考えでしたら、今からでも遅くないので、意識を変えてみることをオススメします。

正直、2に関しては内申点を得るための手段として扱うということなので置いておきます。大事なのは、「1」です。

つまり、「ノートを書くこと」という作業として、「板書(黒板に書いていることをノートに書くこと)」だけでは惜しいのです。一言一句とは言いませんが、先生・教授が言った内容も一緒にメモをすることは大事です。

「思い出す」ために「ノートを書く」のですから、やっておいた方が良さそうだと思いませんか・・?

人間は意外と、見た記憶よりも聞いた記憶の方が残りやすいものです。
(音読による記憶定着法もあった気がします・・)
ノートにちょこっとメモが書いてあれば、そこから芋づる式に記憶が蘇る。ということもありますし、忘れててもそのメモがあれば安心でもあります。

必要ないなら、ご決断を

学生時代のことを例に挙げましたが、
「意義を捉えて作業をする」ということは社会人でも大事だったりします。

例えば、手順書。
「誰でも作業ができるように」やっていたけれど、
「作業を把握している人が常に実施する」のであればどうでしょう?

将来を見据えて・・というのも良いと思いますが…、本当に必要ですか?今、やる必要はありますか?

社会では成果主義。つまり、出来上がったものが大事です(仮定が重要な場合もあります)。また、出来上がるスピードというのも大事になります。

本当に必要な作業でなれば、やらないという選択肢。あえてやらない。
結果、作業量も減るため早く出来上がります。

社会では、慣例でやってきた、代々受け継がれた作業というものがたくさんあります。その中で、「今は必要ない」と判断できるならば、作業を忘れないように工夫をしたうえで、後回しにしましょう。もしかしたら、「ただやらなければならない作業」というのを減らせるきっかけになるかもしれません。



「何かを残す」という作業はとても大事です。

でも、その作業には2つ欠点があります。
1.作る時間がかかる
2.読む時間がかかる

いずれも時間に関してですね・・。時は金なり。

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何を残すべきなのか。
意義のあるものだけを残し、意味のある作業をやっていきたいものですね。

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日々を見返すきっかけになれば、幸いです。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

機会がありましたら、別の記事でお会いしましょう。


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