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東方アレンジが云々の話(気持ち氏へのアンサー)

東方界隈に颯爽と現れたちょっと口が悪いが鋭いところもある謎の人物〈気持ち〉が俺の記事を批判していたので、アンサーを返しておきます。この時点で興味のない人間はさっさとブラウザを閉じてもらってかまわない。
まず前提として、下記のリンクを貼っておきます。氏の記事が読めます。まあまあ面白いです。


まずはこの記事を読んでほしい。できれば記事冒頭で引用されてる東方我楽多叢誌の記事も読んでほしい。なぜならそれを書いたのは俺だから。

それでまあ、気持ち氏は上の記事で「これFuture Funkでしょ。なんでそう書かないの?」と言ったわけだ。
結論から言うと、音楽だけの面でいえば『Gensokyo 199X: a 90‘s Touhou album』はFuture Funkではないと思う。少なくとも気持ち氏の言及内容で断言できる程度のレベルでは該当しない。

先に動画の画面構成の点について検討する。

で、あの画面構成なんかはこれ。

(中略)

もうまんまじゃんね。

つまり、東方に最先端の音楽がやってきた。

ここが重要。

なんでここを書かない?

東方我楽多叢誌音楽評を批評

正直この点には驚かされた。画面の中央にさらに小さな枠を作ってキャラクターなどを映像をそこに出し、背景にはまた別の映像を流すという表現が引用動画では頻出している。
この動画を上げているArtzie Musicは、VaporwaveからFuture Funkに至るまでMVを上げている巨大なチャンネルで、Future Funkの中心地と言っていい。

ここで動画一覧を見てみると2020年頃からのFuture FunkのMVのサムネが気持ち氏の指摘した通りになっている。こうした画面構成が『Gensokyo 199X: a 90‘s Touhou album』のMVに影響を与えた可能性は大きい。ここは俺の負けだ。
気持ち氏が引用していたSQUΛD GOΛLSの「Future Funk DJ Mix」という動画は2016年のもので、この頃からFuture FunkのMVとしてこのような表現が定番の一つとして根付いていた可能性はある。Future Funkのスタイルとして動画を含めるのであれば、たしかに『Gensokyo 199X: a 90‘s Touhou album』はそうした文脈にあるだろう。
ただ当たり前だがFuture  FunkのMVが必ずこの画面構成をしなければならないわけではないし、Future Funkが第一義に音楽のジャンルであることを考えるなら、動画の画面構成は二次的なものとして捉えていいだろうと思う。気持ち氏も動画の画面構成を音より重要な要素と考えるわけじゃないはずだ。

さて、Future Funkの音楽面について、気持ち氏の記事に沿って検討していこう。

待て待て待て。
この作品がなぜすごいかわかってない。
わかってるのだとしたらなぜ書かない?

ごめん、自分が一から書くわ。

とりあえず15秒聴いて?

東方我楽多叢誌音楽評を批評 


気持ち氏は泰葉の「フライディ・チャイナタウン」動画を引用した後で、下記のEVADE FROM 宇宙の「FLYDAY CHINATOWN」を引用する。

Future Funkはこういうものだ!っていうのは暴論だが、Future Funkの特徴的な部分としては挙げてもいい。

日本の歌謡曲なんかが結構対象になることが多くて、故に海外発のものが多い。

東方我楽多叢誌音楽評を批評

気持ち氏はどの音を聞いてFuture Funkと判断したのだろう?
「FLYDAY CHINATOWN」はたしかにFuture Funkだと思う。例えば冒頭のくぐもった音がフェードインしてくるところとかはたしかにそうだ。
だが「Teachin' my Sister to Dance!」の冒頭15秒は本当にFuture Funkだろうか? たしかにフェードインはフェードインだし、ノイズ混じりのサンプリングしてたりするけど、Future Funkに特徴的な音とはけっこう違う。

例えば「Future Funk」とGoogle検索すると一番上に来たのが下記の解説記事だ。それなりに詳しい人が書いてる感じはする。少なくとも俺よりは詳しい。とりあえずこれを参考にしよう。

まずは、フューチャーファンクとは何か?

現在のフューチャーファンクに明確な音楽的定義はないのですが、ジャンルとして形成された2013~2015年ごろは

「シティポップのサンプリングに、ダフトパンク風のアレンジをしたハウスミュージック」
という音楽でした。

(中略)

フューチャーファンクでのサンプリングは曲の一部をループさせるやり方ももちろんありますが、曲全体をそのまま持ってきて、ドラムを足したり、より踊りやすいようなアッパーなサウンドに変えてしまって完成とするケースも多いです。

(中略)

このように「シティポップの曲を」「ダフトパンクアレンジ」して完成したフューチャーファンクの曲は、数多く存在します。前述のように2013~2015年ごろはほとんどの曲がそういった内容で、シティポップでなければディスコをサンプリングするなど、その場合でもサウンドは似た仕上がりになっていました。

(中略)

ショワショワしたサウンドとファンキーな4つ打ち
・短いフレーズの繰り返し
・音が遠くなったり近くなったりするエフェクト(フィルター)


あたりがダフトパンクの特徴で、それらはそのままフューチャーファンクのサウンドに受け継がれています。

いまさら聞けない「フューチャーファンク(Future Funk)」って何?

これを踏まえると、Future Funkは原義としては「シティポップのサンプリングに、ダフトパンク風のアレンジをしたハウスミュージック」であり、その特徴は下記のものになる。

  • シティポップやディスコの曲をサンプリングする

  • ドラムを足すなどして踊りやすいアッパーな曲に変える

  • ショワショワしたサウンドとファンキーな4つ打ち

  • 短いフレーズの繰り返し

  • 音が遠くなったり近くなったりするエフェクト(フィルター)

Daft Punkってなんだよとかショワショワした音ってなんだよみたいなツッコミがあるなら、上の解説記事を読み込むとか、何度も曲を聴き較べるとか、またさらにアンサー記事書いてくるとか、直接DMで俺に凸ってくるとか、そんなことをすればいい。
俺も別に「シティポップをサンプリングしてなきゃFuture Funkじゃない!」みたいな原理主義的なことを言うつもりはない。例えばYOASOBIの「アイドル」だって、下記の感じに加工すれば立派なFuture Funkになる。ちょっとテンポはゆっくりめな感じはあるが。

まあ、ともあれFuture Funkに特徴的な音のショワショワ感とかエフェクトの感じとか、ちょっと疾走感のあるアッパーでダンサンブルな感じとか、そういうのが『Gensokyo 199X: a 90‘s Touhou album』では足りないと考える。
(解説記事にある"現在のフューチャーファンクに明確な音楽的定義はない"の箇所でもって、Future Funkだと強弁するなら、それは画面構成の論点だけで殴りこむって話になる)

1曲目「Teachin' my Sister to Dance!」の15秒あたりから原曲のメロディーが入ってきて、そのあたりの音は若干雰囲気は似てなくもない。おそらくここの音を気持ち氏はFuture Funkだと言いたいのだと想像する。ただやはりFuture Funkとするには微妙な感じがある。音が遠くなったり近くなったりみたいな、こもった感じのエフェクトもない。
また、8曲目「Anemoia」については、これは議論するに値するかもしれない。なにせこの曲はDaft Punkを直接的にサンプリングしているし、French Houseを多少は意識した感じになってるからだ。ただ、それでもFuture Funkだと断言することはできないと思う。
『Gensokyo 199X : A 90's Touhou Album』の作者Nocti氏はDaft Punkが好きで、それは間違いないのだが、ショワショワ感のある音の加工をしないし、いきなり音を遠くしたり近くしたりもしない。そしてあんまりアッパーではないというか、ダンサンブルではないというか、どこか間延びしたような曲にする。それにやっぱり東方原曲のメロディーをチップチューンめいたプリミティブな音で鳴らしてくるところに作者の個性が出ているし、氏の曲の雰囲気を作り上げていると思う。なんかね、独特なんですよ、やっぱりこの人の曲。そしてきちんと物にしている感じがある。一つのスタイルになってる。
(これはおそらくNocti氏がゲーム音楽そのものを志向しているからだろう。氏にはオリジナルアルバムがあるが、それは架空のゲームサントラである)

実はFuture Funkっぽい音になってる東方アレンジというのはある。ちょっと紹介しよう。Zextillionの『Gensokyo Underground Funk』に収録されてる「Funk Meltdown」だ。下記の画像をクリックすると音が再生されます。(noteにBandcampを貼るとなんか不格好な形になるね)

全体的にかなりDaft Punk的だし、静かめな展開のところのこもった感じとか、そこから音が近くなってくるとことかはFuture Funkじゃないですか?
まあこれについても俺はFuture Funkど真ん中だと言うつもりはないが、とにかく『Gensokyo 199X : A 90's Touhou Album』よりは、はるかにFuture Funk的だろう。ってか霊知の太陽信仰のメロディーを鳴らしてるギターのループ、かなりイかしてね?
(Zextillion氏の曲は全体的に粗削りな部分もあるが、それでも聞いてると良い意味でなんじゃこりゃというか、面白い部分がたくさんある)
実はこの曲の作者Zextillion氏はDaft Punk大好きでセガのゲームの音楽大好き人間である。より厳密に言えば「ジェットセットラジオ」や「ソニックラッシュ」の音楽が好きだ。これは『Gensokyo 199X : A 90's Touhou Album』の作者Nocti氏の趣向と全く同じだ。Zextillion氏はアメリカ人で、Nocti氏はフランス人だが、両者は5歳くらいしか離れてなくて、なんか世代的な共鳴性みたいなのはあるのかもしれん。そして両者はかなり土壌を共有しているのに、アウトプットしてくる東方アレンジはやっぱりけっこう違うのだ。これは東方アレンジ全体から見ればミクロな違いだが、興味深い話ではあると思う。

なんでお前はそんなにZextillionのことをよく知ってるんだという話だが、これは以前出した同人誌『この海外東方アレンジがすごい!』でZextillion氏にインタビューをしたからだ。(インタビュー自体は俺ではなく、長久手氏が行っている)(これは宣伝だ)(Zextillion氏が如何にして東方キッズとなったか等、面白いエピソードがたくさんあります)

話がそれた。
例えばこういうのもある。

「Omae Wa Mou」でおなじみのdeadman 死人がShibayan Recordsの「ふわふわどれみー」をFuture Funkにしたものだ。(この人って「タイニーリトル・アジアンタム」以外でもShibayan Recordsをいじってたんすね)
ここまでくるとショワショワした感じやアップテンポな感じはなくなってくるが、それでも1:00頃からの展開はまあ、たしかにちょっとFuture Funkっぽい。言ってる意味わかりますよね? まあ、これでFuture Funkと言われるとNight TempoやMacross 82-99から想像するものよりだいぶ離れてくるのは確かである。上記のdeadman 死人の曲をFuture Funkとして扱うかどうかも少し人によると思う。まあFuture Funk Remixと銘打って、Future Funkという味付けをチョイとしましたよ、くらいの意味なら、まあそうやねという感じ。

もし仮に気持ち氏が画面構成の論点に加え、Daft Punkに言及しつつ『Gensokyo 199X: a 90‘s Touhou album』はFuture Funk的な側面があるよね、という論調で書いていたなら、俺も妥当だと同意せざるを得なかったと思う。
まあ、気持ち氏の文体を考えれば、たとえきちんと理解していてもそんな回りくどい書き方はしないだろうけどね。ただまあ、批評と銘打って俺の記事を批判するなら、それくらいは書いてきてくれとはちょっと思わんでもない。以上。

ここからはFuture FunkではなくSynthwaveの話。
気持ち氏が俺の記事を批評した当初、「『Gensokyo 199X: a 90‘s Touhou album』は黒船でFuture Funkで最新だぜ~」みたいな言及していたので、気持ち氏はFuture Funkにけっこう詳しくてVapowaveの潮流に当たる音楽とかも詳しいのかな~~という感じがした。なので俺はSynthwaveである『幻​想​郷​深​夜​ド​ラ​イ​ブ (Gensokyo Midnight Drive) Vol​.​1』を勧めた。

(俺はFuture Funkについては今回この記事を書くに当たって軽くお勉強するまではNight TempoとかMacross 82-99とかの曲をチラッと聞いてる程度だったので)

まずわかったのは「流行る」とかの概念で作ってないんだろうなーということ。もちろん良い意味で。
気持ちよさで曲を作っているのが伝わってくる。

特筆すべきは「絶対に日本ではウケない」ということだ。

例えばこのCDを即売会で頒布するためにクロスフェードを作るという愚行を犯すとする。
どこ切り取る?

日本的にキャッチーな部分がないのだ。なぜなら彼の国の、彼が聴いてきた音楽ルーツの感性で作っているから。だから我々には聴き覚えのない「新しさ」がある。

多分アレンジャー本人は気付いていないがこれが「擦りきられた東方アレンジ」への解毒剤なのである。

しかし海外ルーツで作られた音楽というのは、中和的な解毒剤でもある。
日本の音楽文化で言うと「新しいものが怖い」に当たってしまうのが難。

東方我楽多叢誌のライター、暇なのか…?

『幻​想​郷​深​夜​ド​ラ​イ​ブ (Gensokyo Midnight Drive) Vol​.​1』を聞いて感想をくれたのは素直に嬉しい。これは本音だ。自分の好きな音楽を勧めてそれを素直に聞いて感想までくれる人間。それは至宝である。
ただ、上記の引用箇所まで言われるとちょっとは文句を言いたくなる。

Shibayan Recordsは今でこそ「タイニーリトル・アジアンタム」のようなBossa Novaアレンジをメインで作っているが、以前はNu-Discoなどをメインに据えたアレンジを作っていた。これがまたかなりクオリティが高く、少なくとも即売会や通販のレベルではそれなりの人気もあったはずだ。(もちろん大手サークルではないが、間違いなく中堅以上だ)
特に『Adrastea』はNu-DiscoであるがSynthwaveの面も強いと感じる。これは聞いてもらえればなんとなく分かるだろう。2014年頃の東方アレンジのオタクはちゃんとこれを楽しく聞いていたのである。
たしかにViolet Deltaの『幻​想​郷​深​夜​ド​ラ​イ​ブ (Gensokyo Midnight Drive) Vol​.​1』の作りこみの真正っぷりは凄いが、これが出たのは2018年でこうした音を受け入れる下地は東方オタクには全然あったと思う。それに何よりSynthwaveは2010年代前半には確立していたジャンルだ。
おそらく気持ち氏は例えばFuture Funkとかと比較した時にポップさに歴然とした違いがあると言いたいのだろうとは思う。ロックでいえば、例えばメタルとかの極みのジャンルにいくほどファン数って少ないよね、一般にウケにくくなるよね、くらいの雰囲気の話なのだと思う。それは分かってはいるのだが……。
まあでもたしかに、気持ち氏が『Gensokyo 199X: a 90‘s Touhou album』を黒船と表現したように、『幻​想​郷​深​夜​ド​ラ​イ​ブ (Gensokyo Midnight Drive) Vol​.​1』は俺にとって黒船ではあった。それで全部ガツンとやられた。

気持ち氏は自身の記事でさんざん東方オタクに耳を肥やせと書いてるが、東方オタクの皆さんの耳もそう捨てたもんじゃないし、何よりFuture Funkの議論の点では、あんたも少し耳を肥やした方がいいと思う、多分。雰囲気だけでものを言うと、最終的にハァ??みたいなことにしかならんので。


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