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進路 -My Way of Life

Twitterで白バイの話題があった。

実は学生の頃にトチ狂って白バイ隊員になろうとしたことがあったので、当時の揺れ動く将来への不安と葛藤から、「人生が劇的に動く時間」を思い出し、懐かしい気分に浸れたので少し書き留めておく。

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大学の3回生でダブったオレは2回目の3回生を終え、4回生となり、研究室へ配属された。研究室に配属されるとまず、進学するか就職するか、就職ならどんな職種がいいのか、と言うことを聞かれる面談がある。

大学に価値を見出せず、ドロップアウトしてきた身としてはもうこれ以上大学にいるつもりなどない。大学卒業なんて親との義理を果たすためだけのもの。なのでオレは工学系のプロなんかにならねーよ、レーサーには今更なれないが、白バイの特練生目指して頑張るんだ、と思って過ごしてきたが、留年しなければ出会えなかった貴重な友人たちのおかげで随分と考え方が変わってきた。

「この世界で生きていくのも悪くないな」

学問が楽しかったわけではない。でも大学に入って以来、何一つ得ていなかった知識を、僅かに得ることができ始めた。そして朧げながら趣味にも活かせそうな「面白み」が見えてきた。これはこの留年仲間のおかげに他ならない。もしかすると、虚無感の原因は単純に想像のできない未来への不安だけだったのかもしれない。

そして面談の時、まだ迷ってたオレはそのままの考えを3人の教授に伝えた。「警察試験を受けようと思ってます。でも、少し悩み出してて、進学も考えてます。1週間以内には結論出す予定なので、決めてからもう一度ご相談させてください」と。

ぶっちゃけ、工学部の人間が警察とか、割と異例な方だ。親とかにも説明には苦労したし、周りも「は?」って反応だ。今回もあーだこーだと言われるに違いないと思っていた。ところが先生方の反応は違い、3人の教授が声を揃えて感心したように「ほぉーー」と言った。

「試験は何月にあるの?」

「一般企業への就職は考えてない?」

「何でまた警察に?」

「こちらは何もしなくてもいいの?」

など口々に聞かれ、一通り答え、「まあ、時期が来たらまた相談しよう」と面談は終わった。

その後、とても悩んだ。

大学なんて授業サボってはロビーでタバコ吸いながらひたすらバイク雑誌を読むところ。飯食ったら山に走りに行って帰るだけのところ。そんな中高の屈折したヤンキーの気持ちがとてもよくわかる生活(笑)をしていたところが、この1年は留年仲間と頑張って授業に出席し、空き時間はバイクや車、釣りの話で盛り上がり、初めて「大学生活」というのが送れていた気がする。今まで全くいなかった気の合う友人と「留年」という篩に落とされて出会うことができた。この時ばかりは本当に「人間万事塞翁が馬」だと思った。篩の上に残るのが良いとは限らないのである。

まあ、そうして何とか這い上がった4回生。それを活かさないのはもったいないか?と言う貧乏根性と、よく分からんけどこの流れには乗るべきだろうな、という思いからもう一度、やり直してみる決断をした。親に土下座し、これまでの愚行を詫び、奨学金を貰って学費は出す、だから大学院に行かせて欲しいと頼んだ。

親は警察にはあまりいい顔をしていなかったのでそれは構わん、と。ただし、親父から条件が1つ出された。

「学費は出してやる。その代わりバイトを辞めて学業に専念しろ。奨学金は生活費に使え」

と言う条件だった。

そして翌日、先生に「進学します」と伝えた。すると先生は驚かれたが「大変だと思うが、頑張れ」と。そしてオレは夏の院試まで研究室での研究を免除された。(笑)つまり「お前は院試勉強してろ」と言うことだ。(笑)

全ては自分の為にお膳立てされた。こう言うことされるとオレは一気に燃える。(笑)正しく自分のことを思って為されたことには、行動を以て応えなければならない。

ハッキリと自信を持って言える。オレはこの4ヶ月、人生で一番勉強した。寝てるか勉強してるかだけの生活だ。ホントにそのぐらいだった。大学受験?んなもん大したもんじゃねーよ、ってぐらい勉強した。

ちなみに研究を免除されたのはオレだけではない。
留年3人組と言われた3バカは免除だった。(笑)そしてそのお目付役に成績トップの可愛い女の子がついた(笑)コテコテの大阪人だったので完全に男友達感覚で、色恋沙汰は一切無かったが、今思うとどっかのドラマになりそうな展開。(笑)

寝ても覚めても勉強三昧。主席の彼女は夜には帰ってしまうが研究のない我らは夜が本番だ(笑)先生の部屋を借りて(使っていいと言われていた)夜中まで勉強して、先生が出勤される前に帰る。先生も部屋の冷え具合でいつまでやってたか分かると言っておられた(笑)

3人で勉強しては、心折れて「もう我慢ならん!オレは読むっ!」と鞄に忍ばせたバイク雑誌を読んだりもした(笑)夜中に構内に入ってきたやかましいヤンキー小僧に怒りをぶつけたこともあった(笑)
何となく髭を剃るのも憚られ、4ヶ月間、髭も髪も伸ばし続けた。

そして最後の最後まで粘り、徹夜で迎えた試験当日。
アリナミンVで乾杯し、互いの武運を祈る。
まあ、やることはやった。あとは運を天に任せるだけ。

得意だったはずの数学で計算間違いを犯し、やべー、と言ったり、仲間内で山を張っていたところが完全にビンゴでハイタッチしたりしつつ、淡々と試験は続く。

夕方、試験は終わった。

死力を尽くしたものの、やはり一抹の不安は残る。

その時、留年仲間の一人が言った。

「まあ、周り見てみろや。オレらより勉強した奴、おらんで、絶対。」

「せやな。それだけは間違いないわ」

「負けてる訳がないな。」

試験結果はすぐに分かる。
翌日だったか、結果が発表され、オレたちは先生に呼ばれた。
極秘資料だったが、全ての点数と内申点、成績が載っていた紙を見せられた。

「おめでとう。全員合格だ。」

よっしゃあーーーー!!!!

留年三人衆と主席の彼女で歓喜する。

あとは気になる成績。皆で眺める。トップはやはり主席の彼女。見事。そして誰もが驚いた、2位は同じ留年組のU。彼は当然留年組で、内申点は悪い。つまり当日の試験だけなら彼がトップだったのだ。そしてオレはと言うとまあ中程の成績。が、よくよく結果を見て驚いた。

内申点は不合格者を合わせてもブッチギリの最下位だった。(笑)

つまり、逆に言うとオレも当日の試験成績はさほど悪くなかった(笑)
3年の勉強を4ヶ月に詰め込んだ割にはいい出来だったと今でも思ってる。

こうして晴れて大学院合格を果たしたオレ。この時の「やり切った感」より清々しい気分はあれ以来味わっていない。


が、この後、オレは「卒業」を賭けた更に熱き単位バトルに巻き込まれていくのであった…

キレネンコ奇譚シーズン2「卒業 〜立ちはだかる単位の壁」へ続く…

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・・・後日助手の先生から聞いた話。

「オレな、先生から『あの3人、就職先斡旋お願いしますね』って言われててん(笑)先生、絶対無理やと思ってたみたいやけど、見事にひっくり返したな!」

・・・オレは期待を裏切る男で有名なんですよ。(笑)

-了-

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