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話の脱線 -Off the Topic

大学時代の唯一無二の親友Fは物凄くディープな奴だった。
Fとオレはどちらも留年組で、留年が決まった日に初めて「何が足りんかったん」と口を聞いたことから付き合いが始まった。

趣味が車ということで意気投合し、その後彼に教わった釣りのことなどで議論するのが何よりも楽しかった。
研究なんてつまんねぇ、と思ってたが、こう言う中に車や釣りに共通する点を見出して面白くして行くと言う手法は彼から学んだ気がする。

人の心を掴むのが上手い、カリスマ性のある奴だった。マニアックな趣味ネタでも一般化して、他人を自分のペースに巻き込む。そう言う話術を持った奴だった。

一方で関西人らしいと言うのか、とにかく面白い奴だった。彼とのエピソードは掘り起こせば尽きないが、ドアノブひとつで派手に議論した事を、Twitter上でバイクのスロットルグリップの握り方の話を聞いて思い出した。

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大学の頃、修士過程に入ったところで研究室は移転し、最新の施設になった。そこの入口ドアのドアノブはL字型のステンレスのものだった。(写真参照)

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これを「押した時に」「ドアの左側が開く」タイプで、「入った部屋は左側に広がる」構造だった。
ある日、Fとタバコを吸いに行って部屋に戻る時、Fがなぜかドアに激突して倒れた(笑)どうやら扉を開け損ない、そのまま部屋に入ろうとしたもので、開かないドアに激突したらしい。彼はいつも白衣を着ていたので、白衣を纏ったその姿でのコケっぷりは吉本顔負けで思わずオレは大爆笑した。

話を聞くと「右手でドアノブを下に下げながら」「右肩でドアを押し開けようとした」という。左側に部屋が広がる状況を鑑みると実に理に適った自然なフォームだ(笑)ところがその時、手が滑ってドアノブから手が滑り落ち、タイミング悪く開かなかったドアに体当たりしたFは勢いよくドアに跳ね返された、という流れだ。

しばし二人で大爆笑したのだが、Fは「いやこの設計は危険やろ!」と文句を言い出した(笑)確かに一理ある。彼の理屈の健全性の確認のため、敢えてオレはメーカ目線からコメントする形で議論した。

1. そもそもドアノブを操作し、ドアノブを押すと言う正しい動作をすれば発生しない事案では?

あのドアノブは左にある。従い、正面から右手で開けるには体がドアからはみ出すため、体は右側にオフセットさせるのが当然。ならば正面から押すには力学的に効率が悪く、体で押すのが妥当である。

2. 左手で正面から正対して開けてはどうか?

部屋の中が左に広がっているのだからその次の動線を考えれば右手で開けるのがスムーズで妥当。建築設計も左側が開く設計とするのが妥当であり、問題はない。さらに言えば日本人は右利きが多く、右手で操作することの方が多いと思われる。

3. ドアノブをしっかり握って操作するのが当然では?
L字型であるメリットは雑なアクションでも操作できる事だろう。それでその操作を考慮してないのはおかしい。さらにこのL字型、押し下げると手が外れる方向のベクトルが生じ、手が滑りやすい状況等では大変危険である。

私「なるほど、つまり使用者側の操作は想定されるべき使用方法であったにも関わらず事故が起こったと?」
F「然り。想定される使い方が限定的であるならばそれは表示の義務があろう」
私「取説に書いてるんちゃうか」
F「マジで。ドアに取説とかあんの」

ここで今時ありがちな「白黒ハッキリさせたい人種」のようにメーカーに問い合わせたりとかはせず(当たり前だが)、あくまで茶飲み話レベルで終わらせる、「分かった奴」だった。こういうものは本気で争うのでなければ想像力を張り巡らせた結果ぐらいに留めていた方が面白い。歳を取ればそれがあたかも真実だったかのように感じられ、人生という糠床の中で「熟成された酒の肴」となっていくのだ。若者が「何ハッタリかましてやがんでぇ、このジジィ」となる案件のからくりというのは大体こういうもんだ(笑)

ある日、研究室の宴会でこのドアノブの話をまだやっていた(笑)
その中で同じ留年組のUから「量子論的には100億分の1ぐらいの確率で壁に体当たりしたら裏側に抜けるらしいから、抜けるまでやってみたら?Fなら3回ぐらいで抜けるかもよ( ̄▽ ̄)」なんて話があった。この話を信じきれないオレは、
「それホンマなんか?て事は世界中の人集めて1人2回体当たりしたら誰か1人は向こうに抜けるって事?」と聞いても当然Uも、んなこと知るか、である。

そこで隣で飲んでいたオレの敬愛する先生に
「先生、これ、ホンマなんですかね?」と振ってみたら、
「んー、まあ、1人ぐらい抜けてもええんちゃいますかね(爆)」
と言う雑な回答だったが、我々留年3人衆は「先生が言うのならやっぱり抜けるに違いない」ということでこの話の結論は、当初の「このドアノブの設計はおかしいのではないか?」という話から「F、何とか扉を抜けてみろ」というお題に変わるというよくわからん形でまとまった。(笑)

そんなこんなな研究室での3年間、ことあるごとにこのような議論が勃発し、発展し、面白おかしくまとまって行くのはもはや後輩たちの間でも名物になっており、我々の議論を漫才気分で聞いている奴らもいた。留年した事でこれほどまでに話の合う彼と出会い、この研究室で過ごした事は巡り合わせだったのかも、と思うとやはり「人間、万事塞翁が馬」なのである。

分かる者同士の話の脱線、悪くないですよ。

-了-


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