youube版【期間限定】劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト視聴感想

※はじめに
 レヴュースタァライトという作品そのものを完全初見の人間が「わぁ、映像すごぉい」程度の脳みそで書いている感想です。
 舞台創造科の先達の方々には見苦しい文であることをご了承ください。

きっかけ
 推しの配信者様が同時視聴配信枠を立てていたのでちょうど時間も空いていたので同席させていただいた所存であります。

こちらの配信でも多々質問の回答や解説をいただき、感謝感激雨あられです。

全体的なざっくりとした感想を申し上げると「カオスと感動と演劇とバトル物が怒涛の勢いで次々流れ込んでくる」津波のような作品でありました。
正直、何もわからん状態でも面白かったですし、ここから知見を深めればもっと色々な沼に沈むんだろなと思いました。

さて、カオスの津波と表現しましたが、これは単に「グチャグチャ」というわけではなく、人物の心境や、メタファー、思想哲学、その他諸々が散りばめられ……散りばめられすぎてちょっと脳内から溢れちゃってる部分も多いので後ろでもう一回流しながらこの文章を叩いている最中である。

物語としてはおそらく本編と呼ばれるもののシークエル(後日譚)なのでしょう。
それ故に最序盤のトマトとキリンはちょっとよくわかりませんが()
冒頭では後輩への指導であったり、進路の話が示されています。

しかし、それはただ穏やかな成功譚として閉幕するものではありません。
あるものは先への道を見失い、あるものは目指した地点から遠ざかる。

列車は必ず次の駅へ――
 では舞台は?
 あなたたちは?

移動中の電車の中で突如始まる戦闘(これがオーディションというものらしいですね)

そこで全員に圧倒するのが大場なな。
「これはオーディションにあらず」
おそらく最初に持っていた短刀が演者としての剣で、後から手にしたほうが創り手としての剣なのだろう。
(これは冒頭の進路相談でそんなことを言っていたので憶測だが)

それ故に彼女は己の手で舞台を創造して全員を斬り伏せた。
今の彼女たちが次の駅へ向かえないのなら、生まれ変わった彼女たちを次の舞台へ運ばせるために。

「なんだか強いお酒を呑んだみたい」
残念ながら、自分の不勉強では彼女のこのセリフの真意は理解できませんが、後半の流れを見ると強い酒=スピリタスの語源(魂)あたりなのかなと。

そして、その舞台に上がることすらなかった華恋はななと語り合い、華恋は彼女だけの舞台を探すために砂漠の駅へと降り立つ……この世界の電車網どうなってるんですかね?

その後、倒れた少女たちは、野菜でできたキリンの落としたトマトを食べて再び立ち上がる。わかります(わかりません)
いや、再誕のメタファーであり、視聴者のメタファーなのはわかる。
ヨーロッパの方ではリンゴではなくトマトが禁断の果実である説があるから(そもそもリンゴが誤読じゃねえかとさえ言われる)それもわかる。

私はもう舞台の上

多分、後のシーンのキリンの台詞からするに、トマトを食することは普通の少女から舞台少女への不可逆な歩みなのだろう。

さて、ここから賭場にデコトラが突貫して五条大橋のような演舞の後、に酒場へ飛んで、デコトラドッカンバトルして清水の舞台から幸せダイブする痴話喧嘩が始まります。

一応は進路によって道を違えた二人が縁を切る切らないからの、互いに別の道を行くけどやっぱり縁は切らないという話ですはい。

そして次はどういう経緯かで迷い込んだひかりと舞台の上で出会うまひる。
しかし華恋のことばかりのひかりはあっさりとやられてしまう。

困惑し逃げ惑うひかりにまひるは大嫌いだったといい、追い詰め続ける。
ここ完全に演出はホラーパートなんですが、同時に優しさと言うか、寄り添える理解と言うかそういう感情が隠しきれてないんですよね。

そして最後はひかりの独白を聞き、彼女の背を押してまひるはもう一度スターターピストルを鳴らす。
己を鼓舞する決意の言葉ともに。

ここから舞台転換し今度は大場映像株式会社。
ななは純那へ切腹を求める。

それを狩りのレヴューにて迎え撃ち、言葉が私の力だと一矢を放つが、
あっさりとそれは切り払われてしまう。

響かない、届かない。逆に弓についた宝石を断ち切られてしまう。
そして再び純那の前に短刀を置いて切腹を求める。

俯き涙する純那は数多の偉人の台詞を用いて鼓舞するが、それではダメだと悟る。
他者の言葉では己を表現することは叶わないから。

置かれた短刀(演者としての剣)に砕けた宝石の欠片を叩きつけ、純那は己の言葉で名乗りを上げ立ち向かう。

恐らくはそれがななの本音なのだろう。
演者としての剣を掴めたということは純那は主役にほかならないのだから。

何度切り払われても、眼鏡が飛んでも、膝をついても、純那は立ち上がりななへと刃を振るう。

脚本家が閉幕を望み、演者がそれを拒む異質の舞台。
ついに演者は幕すらも切り裂き、己の舞台を簒奪した。

そう、見えていなかったのは無謀なる演者ではなく、勝手に演者を見定めていた脚本家の方だった。

切り裂かれた先には、それぞれの道と舞台。
もう写真の中に輝きを残して収める必要はなくなった。
彼女は今も、これからも輝いているのだから。

所変わって、舞台人と悪魔は賭けをしていた。
最高の煌めきを見返りに魂を。

賭けは成立し、一進一退の剣舞が披露される。
様々な舞台の仕掛けが現れては動き、そして悪魔の仕込み武器が鈍色を光らせたが、刺し貫いたのは帽子のみであった。

舞台人は観客席で拍手し悪魔がライバルであることを笑う。
そう、ライバルはあくまでも役割であるのだと。

舞台人の究極の姿、それはガランドウの器。
時代が、観客が、社会が求めるものを完璧に演じあげるモノ。
エゴを持たない舞台装置、無数の鏡。

故に神たる器は語る。
英雄には試練を、聖者には誘惑を。そして神には悪魔を。
なぜなら神だけでは舞台が成り立たないのだから。

そして弾かれる悪魔の星、しかし悪魔は笑い新たな星を口から見せる。
なぜならそこには賭けの契約があるから。

それに理を捻じ曲げるのかと神の器にないはずの怒りを浮かべる。

悪魔は己に剣を突き立て、空中に浮かぶガランドウを叩き切る。
神の器でも空っぽでもない、数多の欲を抱えた一人の人間であると。

己を神の器などと名乗るものが事実そうであるはずはなく、感情にまみれた人間同士がただただ本能のままに斬りかかる。

そして、互いに互いを名を叫び悪魔の契約は成立してしまった。
二人の炎は消えることはない、今日も明日も、未来永劫燃え続ける。

そして最後に冒頭に戻ってきて華恋とひかりのシーン。
途中途中に挟まれていた幼少期からここまでの二人の道のりを超え、線路を歩いていた華恋の足は東京タワーへとたどり着く。

トマトを無視してただただひかりに語りかける華恋。
しかし、まひるに背を押され、トマトを口にして舞台少女となったひかりは意に介さない。

そして舞台の幕が上がるが、華恋は何も無いと弱々しく前へ歩き潰れるトマトと共に床に伏す。

なぜなら、華恋にとってはもう運命というゴール地点を過ぎてしまっているのだ。
華恋には無いのだ。舞台少女として新たな舞台を望む道も、それ以外の道を選ぶ選択も。
だから他の少女たちのような再生も行われていない。

そこでひかりは彼女へ手紙を送る。
ひかりの舞台少女の生は華恋との約束で生き返ったものだから。

原理はわからんが再生産される華恋。
過去のすべてを燃やし尽くして。
運命のために続けてきた全てはこれから先を歩む力があるのだから。

列車は次の駅へ、舞台少女は次の舞台へ。

最後の台詞。
今まで、ここまで歩いてきたのはひかりとの運命のためだと、約束のためだと「二人で一緒のために」だと華恋は思っていた。
だけど、舞台少女「愛城華恋」の根源はそうではなかった。

「ひかりに負けたくない」

そして吹き飛ぶ東京タワー。

互いの運命を交わした髪飾りが地面へと落ちる。

夢とは時に呪いである、呪いを解くには、夢を叶えなければならない。

これで空っぽになった華恋にトマトを投げて次の舞台を探せと促すひかり。

そして各々のエピローグを流しながらエンディングとなった。

とまあ、2周くらい後ろで流しながら稚拙な考察を交えた感想でした。

うーん、元が歌劇、すなわち舞台芸術なので、音楽とオペラと和物もあるので殺陣や舞踊の知識は当然として、オペラの下地として歴史、宗教、哲学、社会、民俗学その他諸々が絡むので、無学の自分ではほとんど絵面の表面をなぞっているだけでもどかしく感じました。

ここから本編を履修するかどうかはちょっと時間と予算と相談が必要ですが十二分に興味は湧きました。


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