平成を振り返ろうとするとなぜか昭和のことしか思い出さない

平成時代もあと残すところ二日とちょっとになり、さすがの僕もすこしばかりしんみりした心持ちになっている。

しかし、平成時代は少なくとも個人的には殆どの期間が暗黒時代過ぎて、思い出そうとしても昭和のことばかり思い出してしまう(昭和は高1で終わっているのでさすがにおおげさだが)。

会社の上司に奢ってもらったらその場だけでなく、その翌営業日にも例を言うのはマナーなのか?というツイートが流れてきて思ったが、これはデートにおける女性の振る舞いも似ていて、時代が下るに連れてお礼がカジュアルになってきていることは実感している。個人的にはそんなことはもはやどうでもいいんだが、これをきっかけに昭和の終わりから平成のはじめの頃のデートを思い出していた。

携帯電話が爆発的に普及し始めたのは僕が大学4年の頃、平成7年のことだ。それまではデートの誘いといえば家に一つしかない固定電話に、女性が確実にいるであろう夕方以降に電話をするのが習わしであった。

通常は母親が電話に出るが、稀に父親が出るときもある。こんなときでも臆さず「〇〇学校の〇〇と申しますが、〇〇さんはいらっしゃいますか?」と堂々と言えるかどうかが重要だ。親を味方につけることがまず大事な時代だった。

手紙なんかも書くことがあって、ちょっと気になる子に手紙を書いたらなんと僕の母の実家の近所の娘で祖母経由で僕がその子に手紙を書いたことがバレて恥ずかしい思いをしたこともあった。いまも思い出して赤面している。東京は広いようで意外と狭い。というか、ババネット恐るべし。その後も僕が関係する女の子の情報を何故か叔母が知っているなどの事件が続発した。すべてがお見通しだった時代なのだ。だから平成時代に入ってプライバシーやら個性の尊重やらで家族からの干渉を嫌がるような風潮が顕著になったのも理解できる。

昭和は誘拐事件なんかも多かったし、変態も今よりも遥かに多かったし、渋谷駅の銀座線のガード下は鳩でいっぱいで糞だらけだったし、まだわずかに傷痍軍人と思わしきおじさんがガード下で靴磨きをしていた時代だった。

昭和は明治や大正とも地続きに繋がっていた気がする。平成はバブルのピーク、つまり崩壊が始まったと同時に始まったせいか、連続性を感じない。どこか空虚な、虚構の中で過ごした30年のような感覚がある。昭和っぽい習慣や言動がネット空間で忌み嫌われているのも理由の一つかもしれない。

東京の街並みから昭和の面影が消え、次々と高層ビルが建築されていくこの30年を振り返っても悲しい以外の感想があまりない。昭和の街並みなんて貧乏くさくて汚らしくて大嫌いなんだけど、かといって、いまの東京の街並みが好きかというとまったくそんなことはない。

昭和の終わりは冷戦の終わりとも重なる。ベルリンの壁が倒れたのは平成元年のことだ。昭和は核戦争の恐怖が喧伝され子供だった僕は心底怯えた。ミサイルに追いかけられる悪夢をよく見た。子供向けのTVアニメなんかも世界の終わりがテーマのものが多かった。極度の悲観と楽観が同居した時代が昭和末期であったともいえよう。

それに対し、平成は「漠然とした不安」の時代だ。「リストラ」で職を失う不安、結婚できない不安、等々。核戦争のように国家の責任において対処すべき問題とはいえないこういった不安は「自己責任」で対処すべき問題とされた。国家が責任を企業や家庭、個人に押し付けおおっぴらに放棄した時代だ。

ここまで過去を振り返っておきながらなんだが、自分でもはや制御しようのない過去を振り返ることは殆どの場合において価値がないと思っている。そんなことより未来に向かってどう良くしていくか。それが重要だ。僕らは過去に生きているのではないのだから。

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