つぶやき“言葉”

言葉にするのが怖い時期があった。

本当に伝えたいことは上手く伝えられないし
言葉の受け取り方も人それぞれ違う。

自分が放った言葉のうち
半分も理解してもらえないかもしれない。
うまく伝えられなかった部分が
なかったことになるみたいで嫌。
良い意味で言ったのに悪く捉えられて嫌われてしまう。
すれ違う、傷つく、憤る、失望する…

だから言葉にしたくない。
ちゃんと聴いてもらえないなら、
理解してもらえないなら話さない。

そんなことを感じていた。

とてもおしゃべりだった私は
とても臆病に育って
未だに言葉にするのに時間がかかる。
うまく声が出せない時がある。

今はすっかり、聴くほうが心地良いのである。

理解してもらえなくていいや
伝わらなくてもいいや
そう思えるようになったのも
ここ最近のような気がする。

そんな私だから、
放つ言葉の選び方で
好き嫌いがあったりするのだけど

選ぶ言葉がとってもハマる人、というのがいる。
私にとっては絶滅危惧種ぐらいレアな人なのだけど。

選ぶ言葉っていうのは
言葉自体の話しでなくて
そもそも会話をする時に
“なぜその言葉を選んだのか”という
言葉の背景まで連想しながら
話を聴いていたりするので

その言葉と
それを選んで放つまでの
気持ちとか過去とか含めての
“好き”なんだ。

だからこそ口下手な人に惹かれるんだけど。

例えばプロポーズをされたとする。

「絶対幸せにします」
は、私には響かない。
幸せにしたいっていう気持ちは嬉しいけれど
少し安易さを感じてしまう。

私が魅力を感じる人というのは
一緒になることがそういうことではないと知っている。

「僕が幸せにしたい」
これはもうもうめちゃくちゃ刺さる。

それが無理なことをわかっていて
その上で選んでくれた言葉なのが伝わるから。

この違い、伝わるかな…

例えばひとつになりたいと感じた時。

「食べちゃいたい」
というのは単純に嬉しい。
可愛いって思ってくれたんだな〜とか
愛くるしさのような、それに近いことを感じる。

「食べられたい」
これはもう泣いてしまう。
深く想っていてくれていることを実感する。
めちゃくちゃ敬いと愛しさを感じる。

捕食じゃなくて
可食というのは

一部にしたい、じゃなくて
一部になりたい

美しさをかんじてしまうのは
私だけなのかな。

かくいう私は両方を
行ったり来たりしますが。

まあそんな感じで
普段はあまり気に留めていないのだけど

ハマる人、というのがいる。

前半は共感を得られそうだけど
後半は難しそう。笑

私はそういうニュアンスの言葉世界を漂っている。


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