20231205 I LOVE YOUは最強

今日の昼、12時半
チバユウスケの訃報を知った。

訳がわからなかった。
ただ、自分の呼吸が浅くなってキョロキョロと挙動不審になっていることだけは理解できた。

それから外へ出て、The BirthdayのALRIGHTを聴いた。曇天、上着を忘れて少し湿った木のベンチに座っていたのに寒さを感じなかった。イヤホンから歌声が聴こえる。チバユウスケはたしかに生きていた。




私がチバユウスケを初めて認識したのは、もうすでにTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが解散したあとだった。

手当たり次第ロックを聴いていた高校生の頃。何がきっかけでたどり着いたのかは忘れたが初めて聴いた「世界の終わり」と、真っ黒なサングラスやモッズスーツをビシッと決めた痩身の男4人。あまりにも格好よくてこの人たちは神様なのかもしれないと本気で思った。


実は、t.A.T.u.がドタキャンしたあのMステの伝説の一夜を私はリアルタイムで観ていた。しかし、当時の私は小学生であり、ドタキャンしたt.A.T.u.にばかり気を取られ、ミッシェルについてはほぼ記憶がない。デッドマンズ・ギャラクシー・デイズもミッドナイト・クラクション・ベイビーも、こどもの目にはどこか恐ろしく映っていたのかもしれない。
高校生になってやっとあの時のバンドがミッシェルだったんだと理解できた。

それからキャンディハウスやリリィ、リボルバー・ジャンキーズ、お気に入りの曲を何回も何回も聴いた。でもやっぱり私は世界の終わりが一番好きだった。
もし本当に世界が終わるなら、自分が死ぬ1秒前まで世界の終わりを聴いていたい。
31歳になった今でもそう思っている。

何もかもうまくいかなくて自分の価値なんてクソみたいなもんだなと燻っていた高校生だったから「私はこんなにカッコいいバンドを知っていて、聴いている!ミッシェルはすごいんだ!」と別に自分は何一つ偉くないのに少し誇らしげになったりなんかして、ちょっとイタいなとか今になっては思うのだけれど、それでも当時はそう思うことで本当に救われていた。暗い暗い水底からすくい上げてくれたヒーローのうちの1人、それがチバユウスケだった。


大学生の頃、The Birthdayの「さよなら最終兵器」が大好きだった。


収録されているアルバムを買って、レコ発ツアーにも行った。Zeppなんばだったと思う。

ライブハウスで観たチバユウスケは恐らくそれが最初で最後だった。10年以上前だから記憶はおぼろげだけれども、チバは暗いところと酒が似合うなと思ったことは覚えている。

たぶん、ここで初めてALRIGHTを聴いた気がする。私がThe Birthdayの曲で一番好きな曲。

私が愛するフェス、中津川SOLAR BUDOKANでもALRIGHTを聴いたことがある。


この曲はラストに「夢をみようぜBABY」というフレーズを何度か繰り返すのだが、一度演奏がバシッと止まる瞬間がある。その時間、会場は完全に無音になる。それがたまらなく好きだった。

ステージから見えるのであろう、中津川市内の会社だかお店だかの大きな看板の文字を、チバがボソッと読み上げる。そんなとりとめもないワンシーンがやけに記憶に焼き付いている。



ずいぶん前だが、COUNTDOWN JAPANでThe Birthdayを観たことがある。
1曲めから最後までMCなしでぶっ通し。最後にチバがマイクを握って「よいお年を」とだけ呟いて舞台袖へと捌けていった。
たぶん、あの会場にいた全員がチバユウスケに心を奪われたのではないだろうか。
痺れるほど格好よかった。あんなに格好いい生き物、地球上にそういねぇよと思った。




今年のOTODAMAではThe Birthdayを久々に観られるはずだった。
スラムダンクの「LOVE ROCKETS」が聴けるだろうな、楽しみだなと思っていた矢先、チバが食道がんの治療のため休養すると発表があった。
OTODAMAは出演キャンセル。残念だと思いながらも、チバはすぐ元気になって当然戻ってくると思っていた。

当日、会場にずらっと立ち並ぶ出演者名が書かれたのぼりの中にThe Birthdayのものを見つけて、OTODAMAの愛を感じた。ありがとう清水音泉。
そののぼりを撮影している人がいたので「わかるよその気持ち」と1人で何回も頷いた。あの人も今頃きっと悲しんでいる。当たり前みたいにけろっとして、チバユウスケが帰ってくるの、待ってたんだよな皆。




今日の仕事は何とか頑張った。
一切残業せずに帰った。
帰りながらボロボロだった。
そんな中で久しぶりに聴いたくそったれの世界が本当に良くて、余計辛かった。

世界中に叫べよ I LOVE YOUは最強
愛し合う姿はキレイ

チバが歌うと本当にそんな気がしてくるから不思議だ。




2010年にリットーミュージックから出版されたアベフトシの特別号を先ほど久しぶりに開き、チバのインタビューを読んだ。アベくんが死んだ実感がないとチバは言っていた。

私だってそうだよ。今、チバが死んだ実感なんてない。イヤホンから流れてくる歌声を聴くとどうしてもまたどこかでライブを観られる気がするんだ。
でも、そうじゃないと分かっているから文字を追いかけながらも涙がこぼれた。こぼれそうとかじゃないんだよ。こぼれたんだよ。


家族に見守られ、穏やかに息を引き取ったと、発表にはあった。
悲しくてもちゃんと「良かった」と思えた。

人はいつか必ず死ぬんだけれども、これがいちばん「頭ではわかってても心が追い付かない」ことだなと痛感した。

チバユウスケはチバ自身がのこしてきた楽曲の中で生き続ける。身体がなくなっても、地球上にいる全員の人に聴かれなくなるまで、忘れられるまで生き続ける。私はこれからもずっと聴き続ける。悲しくても聴き続ける。チバユウスケという人間がたしかに存在したと、こんなに格好いいバンドがいたんだと、私はこのバンドが、この人が好きなんだと、今日の悲しみとか思ったこととか、それを全部記しておきます。ずっと覚えていられるように、この先これを読んだら今日この気持ちがいつでも取り出せるように。

なんで死んだんだ、はもう100回くらいは思ったのでこれ以上言いません。ご冥福をお祈りします。

まだ聴いてたかったよ。

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