「愛の告白」とはなにか

 私という人間がどういう人間か、あるいは私と一緒に過ごすということがどういうことか、知ろうともしないで、
あるいは、自分自身がどういう人間か、自分と過ごすということがどういうことかを相手に知らせようともしないで、
全てを端折って突然の告白って、もしそれが潔い行動だと思っているなら考えを改めた方がいいと思う。(感想には個人差があります)

 日本式のいわゆる「愛の告白」って、「好きです」までならただの自分自身の気持ちの言語化ということで受け止めきれないわけではないと思うんだけど(個人の感想です)、でも「付き合ってください」まで言ってしまうと「自分を愛してくれ」っていう一方的な要求になっちゃうよね。

 本当なら、その「愛の告白」に至るまでの間に、関係性の構築とか自分という人間に関するプレゼンとか相手を知ろうとするとかいろいろ諸々があるはずだったんじゃないのかなって私なんかは思うのだけど、それを全て端折って「好きです!付き合ってください!」というシーンや台詞だけが抽出されてしまっていないか。

 そんなんで相手の(私の)気持ちが動くと思っているのかな…?
 そんなんで、相手を(私を)「愛している」と言えるのかな。
 もし私を好きだというなら、私の意思を尊重しようとするところから始めようと思うのが自然なんじゃないのかな。

 そんな一方的な告白の仕方が許されるのは、私としては中学生くらいまでじゃないかなって思ってる。中学生くらいまでだと思う理由は一応なんとなくあって、「アニメや漫画でそういう風に描写されるから」なんだよね。でも、最近の若い人向けの作品がどのように描写しているのかを私はきっとちゃんと知らないから、どういう影響を受けているのかも本当は私には計り知れない。「フィクションの影響なんて受けるやつはいない」という人は回れ右をしてくれな。

 とりあえず、私個人としては、相手が望んでいないことを押し付ける行為が「好意」とか「愛」という名で呼ばれることを受け入れられない。

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