誰かに似てるって言われるの、嬉しい?

みんな、「○○に似てる」って言われるの嬉しい?

もし自分がたまたまその○○さんのことを自分が好ましく思ってたら少しは嬉しいのかもしれない。
でも、○○に似ている時点で、あなたは○○ではないわけだよね。
○○さんは、○○さん100%だから完璧なわけだけど、あなたは○○さん65%くらいかもしれないよね。
私は、「○○に似てる」と他人から言われてしまうのは、「でも○○には遠く及ばない」とセットのように思われて、モヤる。
でも、私がモヤっても、相手に「悪気がない」ことがわかるので、その場で怒ったりネガティブな意思表示をしたりは基本的にしない。

私は私のままで、誰にも似ていないままで、最初から美しいんだ。

というと語弊がある。
別に私は美しくなくたっていいんだ。
私は他人から、私が「美しいか美しくないか」をジャッジされた上、それを「言葉にして投げつけられていい」存在ではないんだよ。
私だけじゃないよ、みんなだよ。
美しい人のことはみんな美しいって言うよね。
でも、美しくない人には美しいって言う?言わない?
「美しくない」って言う?言わない?
もうそれって、見た目によって扱いを変えている、ってことじゃん?

ここからは脱線です。たぶん。

よく、「イケメン無罪」とか言われるけど、あれは私からすれば「男性が言い出した言葉」なんだよね。異論は認めます。
今まで自分が(自分たちが)女性のことを見た目で判断してきたから、自分たちも見た目で判断されているに違いないと思い込んで、言われるより前に自分が「イケメン無罪」という言葉を発してしまう。
それってさ、「誰が主犯格かわからないから、自分が内部に入っていって犯行を促して、そいつが犯行に及べばギルティ」みたいなことと、なにが違うの?
それってつまり、自分こそが「他人を見た目で判断するよ」の主犯格じゃん?
イケメン無罪という概念は、「イケメンだけがチヤホヤされて自分は(見た目が悪いせいで)チヤホヤされない」ことを妬んだ概念だと思うんだけど、それを言葉にすると、その概念を助長すると思うんだよね。
自分で自分の首を絞めるの、やめたほうがいいと思うよ。

少なくとも私はイケメン無罪だとは思ってない。

イケメン無罪だとは思っていない人に対して「でもどうせイケメン無罪なんだろ」って言うとどうなるかっていうと、
「勉強したくないとは思っていない」人に対して「勉強しろ」って言うとどうなるか、みたいなのと似たようなこと起きるんじゃないのかなって。
つまり私は、「でもどうせイケメン無罪なんだろ」って言ってる人の顔面がどうあれ、その言葉を発するということによってその人の魅力を低く感じるよ。
せっかくある自分の魅力をおじゃんにしたくなかったら、「でもどうせイケメン無罪なんだろ」という言葉を発するのをやめるところからおすすめしたい。

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