どもりに対するネガティブな信念を外す②

皆さんこんにちは、吃音革命家のゆうきです。

前回の記事で自分の深い部分で

私は無力で無価値でバカでダメな人間なんだ

など、アイデンティティレベルでのネガティブな信念があり、

もしもどもってしまったら、それらの信念が強化され、それを許せないから

どもってはいけない!と思ってしまうということをお伝えしました。

吃音症というのは

【どもってはいけない】という信念があることで、実際にどもってしまうので、このどもってはいけない!という信念を外す事が大切ですが、

そもそもどもってはいけない!というのは自分の深い部分の無力感や無価値感などからきているんですね。

つまり

自分は無力だ、自分は無価値だと思い込んでる

その自分が許せない

どもるとさらに無力、無価値になってしまう

どもってはいけない!

吃音症状が出る

このような流れだと思うんですね。

なので

どもってはいけない!という信念を外していくためには、さらに深層部にある
【私は無力、私は無価値、私はダメな人間】

などの自己否定している自分を変える必要があると思うんですね。  

したがって、根本解決としては

自己否定している自分から自己受容していく自分になるという事になるんですね。

自己否定型人間から自己受容型人間へ。

自己否定型人間のままだと

こんな自分がダメ、あれがダメこれがダメとなってしまうから、それらの欠落感を埋めようとして、他人に満たしてもらおうという選択しかなくなってしまいますよね。

これでは問題解決は不可能です。

問題解決どころか、

社会に吃音の苦しみを理解してもらい、私達の苦しみをあなた達で満たしてほしい。

という風に自分ではなくて、社会が私を救ってくれよとなっちゃうんですね。

実際に吃音の世界って、このような流れになってますよね。

これは愛のある素晴らしい世界に見えますが、

正直ナンセンスです。批判覚悟です。

これは実はますます自分が苦しんでいくだけなんです。

仮に吃音が世の中の全員に認知され、全員が吃音者の苦しみを理解してあげたとしても、

本人はたしかに楽にはなるはずです。けど、吃音の苦しみから開放されることはないんです。

どもって嫌な思いをしたときに、他人から【大丈夫だよ、理解してるよ、ゆっくりでいいからね】と言ってくれる。これは本当にありがたいですよね。自分の吃音の理解者がいるとほんと助かりますよね。

これは確かにありがたいです。これ自体は本当に素晴らしいと感じます。

けどその反面で、そこに依存してしまうと、理解者を求め、その理解者達から自分の空虚感を埋めてほしいとなっちゃうんです。

他人から満たされるばかりだと、ずっと満たされ続ける必要があるので、他人から満たされるための行動ばかりになっちゃいます。
逆に満たしてくれないと、相手を否定しちゃうんですね。これだけ苦しい症状なのに、なんでわかってくれないの?みたいな感じで。

結果、他人に依存してしまい、自分がどっかいっちゃって、ますます苦しくなると感じます。満たしてもらってもすぐに空虚になるので、また満たしてもらう。そのループなんです。それを生涯続けなければならないんです。

これは本当に素晴らしい世界なのか?

と今一度考えてほしいです。

吃音症状から開放され、自分らしく生きるにはいつか、その自分からどうにか抜け出したいところです。

それを可能にするのが、自己受容です。

他人に満たしてもらうのではなく、自分で自分のすべてを受け入れて満たしていく。 

これが真理であり、誰もが本当はここを望んでいることだと思うんです。

少しづつ、少しづつでも大丈夫なので、依存から自立へと変わる事。
これこそが、素晴らしい世界だと私は感じます。

また次回続きを書きますね。

今日は以上になります。

ありがとうございました😊





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