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Itaqともこち妊娠騒動の全事実関係と二人の友人としての一家言

経緯

2022年12月〜2023年1月末まで
以前からもこには妊娠した状態で自殺したいという願望があった。
彼氏になったItaqに責任を負わないという条件で妊娠を目的としたセックス、子作りを要請した。
Itaqはその要請を最初は受け入れられなかった。
しかしコンドームをつけた快楽目的の行為は、彼女とって穢らわしいものであり、許容されるものではなかった。
貫徹して性的快楽を拒絶する態度の彼女に気圧され、Itaqは中出しをした。

2月6日
避妊をしたことによりItaqはもこからフラれ破局した。
もこが妊娠していないことをItaqは祈った。

2月8日
妊娠が発覚した。
中出しした時期と照らし合わせるとおそらく妊娠8週目である
報告はLINEで行われた。
Itaqは取り乱したのだった。信仰する幸福の科学の教義上、9週目以降の堕胎は罪業だった。魂が宿らない内に、(この時が8週目だから)一週間以内に、どうにかしてでも、もこには堕胎させなければならなかったのだ。そして同時に、一般の23歳男性として、孕ませてしまったことの実感が恐ろしかった。

だが彼女にとってはいい迷惑である。Itaqはそれをわかった上で、早急に堕胎することと、(死ぬとは正直なところ思っていないし、死んで欲しいとも思っていないが)自殺ができないならば出産して欲しいと伝えた。

「もし死ねなかったら産んで施設に出すでも、とにかくその期間(9週目に)入ったら子供だけ殺すのは止してほしい」

約束とは違うことを言われているわけだし当然もこは不快だった。
それどころか施設という言葉には個人的なトラウマがあったので、怒りを覚えた。それで以下のように返信した。

「殺されるのと今の終わってる社会で親全ロス施設育ちで育つの、どっちも不幸だよね? 殺した方が幸せだよ施設だったら。私は生きること自体不幸だと思ってるから。施設行き絶対無理。そうはさせない。だったら生きる苦労を知る前に殺してあげる。それも愛やろ

対して、取り乱しているItaqは自殺のきっかけを作ってしまったことを謝罪した。
もこは感謝の意を告げた。死んだら曲にして欲しい、伝説になりたい、と言った。

「無理。そんなことしたら俺のキャリアが終わる。女殺して曲にしたやつになるじゃん。それは無理。でも、もこちゃんにあてて書いた3曲(Blue Eyes Patch 、Lapi`s Cockpit、未発表曲)はアルバムに入れる。これは間違いない」

やりとりは音楽の方向へ脱線したが、Itaqは、自殺して欲しくないこと。友達として存在して欲しい旨を告げる。そして、翌日二人で病院に行かないかと誘い、検査で9週目に入っていなければ、堕胎をしないかと提案した。
当然もこは断った。押し問答のままこの日は結局、妥協点は見つからなかった。

妊娠から9週間が経ってしまった。
ItaqはLINE上にて、そもそも責任はとらなくていい約束であるにも関わらず「ごめん、俺は逃げる」「俺、責任ないよね、大丈夫だよね……」「仮にやっぱ産みたいとなっても俺には経済的余裕がない」と度々連絡を入れた。
もこにしてみれば勝手に責任感を感じられても迷惑なのであった。迷惑極まりなかった。
それでもItaqの倫理感の押し付けはヒートアップして、二人の関係は瞬く間に悪化した。他の話題でも言い争うようになった

2月18日
Itaqは知人の助言を受け、もこをブロックした。

2月28日
筆者はもこから連絡を受ける。
妊娠したこととブロックされたことを筆者は報告される。
Itaqの動向と発言、なぜブロックしたのか調査を依頼される。

筆者はすぐItaqに会って話を聞きだした。
これといって嘘をついている様子はなかった。
中に出したことを後悔していた。
ブロックしたことについても、筆者としては理解の範疇にあった。

筆者はありのままを報告した。もこは概ね納得していたように見えた。

3月7日
Itaqは知人Aからもこは中絶する方向性で考えているという話を聞いた。知人Aはこの話をItaqともこの共通の友人から聞いたのだった。もこ本人が発言したのかどうかは定かではなかった。知人Aは、この情報が本当ならば援助するべきだとItaqに説いた。しかしItaqとしては9週目以降の堕胎、教義を破る行動は取り難いものだった。

3月18日頃
もこは抑制していた(幸福の科学の教義の強要、施設送りへの強要に対する)怒りに限界がきてTwitter上でItaqへのディスりを開始。拡散がはじまる。これを見た音楽関係者は彼に火消しを求めた。仕事がキャンセルされ始めた。

3月25日
ItaqはTwitterのDMにて本心ではないが、もこが中絶を選択しているという又聞きの情報を頼りに中絶費用の折半を申し出たのだった。その対価として当該ツイートの削除を求めた。
だが実際もこは中絶の予定はなく金銭的援助も要らなかった。当初の約束通り無責任でいて欲しかった。その為、怒りは収まるどころか膨れ上がっていった。
二人で直接やりとりしても埒が開かないと判断したもこは筆者に仲介を依頼した。話し合いは4月6日に予定された。
しかしItaqの精神状況から当日、話し合うのがベストではないとして、話し合いを一度見送るように筆者はけしかけた。
同タイミングで、筆者はもこちに対して、中立の立場から、Twitterの諸々の投稿は削除した方がいいと説得を試みた。第三者が拡散している(事実誤認になりうる、というか既になっている)断片的な情報を、各々の倫理観を基準として善悪を判断できるような話には筆者は考えられなかったし、こんなはっきり言って倫理の倒錯したイカれた茶番劇をネット上でプロレスしたところで当事者の誰も幸せにならないのは目に見えていたから。
しかし筆者の行動は彼女の怒りの炎に油を注ぐような結果を発生させた。

3月27日〜
考えあぐねたItaqは断りなしに謝罪文をアップロードした。
自分とは異なった倫理と願望を持つもこに対して幸福の科学の教義を押し付けたことに対する謝罪が主な内容であった。
しかし彼女にとっては知られたくない内容を含む内容が一部あった為に、すぐに削除する運びとなった。
最早これ以上どうしていいかわからなくなったItaqは筆者経由でやり取りしていくことを望んで、再度もこをブロックした。それも彼女の怒りを増長させた。
再度のブロックにもこが激怒している事を知ったItaqはその後、妊娠に関して教義に基づいた提案をした事・施設という言葉を使った提案をした事を複数回Twitter上にて謝罪した。
もこの態度は相変わらず「謝罪されても受け入れませんよ何回されても変わりません」といった風だった。
もこは直接会っての話し合いを再度設ける事で誠意を示す事を要求した。

4月2日現在、話し合いは4月10日に予定されている。
当日の仲介者は筆者から変わってもこが新しく連れてくることになっている。

以上が筆者が知る限りの本件の経緯である。

二人の友人として一過言

もこは一貫した希死念慮によって行動している一方、Itaqは幸福の科学の教義に対する姿勢が一時の欲に身を任せたり商売上の付き合いが為にブレてしまっている。
だからといってその純粋さ、殉教度合いで、良し悪しが決定されるというのは、どうしても今回の場合としては違和感を覚える。
理論と実践は必ずしも合致するものではない。共産主義国家にも実際には貧富の格差があるように。本意ではないがそうせざるを得ないようなことが、この世には数えきれないほどある。
Itaqは9週以降の堕胎が罪業であると知りながらも、3月25日もこに中絶費用の折半を申し出たのは全くそんな悲しい葛藤があったからである。音楽関係者にも体裁を保てつつ、ひょっとすると(又聞きの情報で確証はないけれど)堕胎しようとしているかもしれないもこに寄り添えるならば……筆者が同じ立場なら、同じ行動をとるかもしれない。自分には涙ぐましいほど、もこに寄り添っているように見える。
対して、もこはItaqの非をまったく許す気配がない。それどころか幸福の科学そのものへのヘイトを発露しまくっている有様で、Itaqのすべてを拒絶している様子。人権侵害レベルで。
だから本当に今この揉め事で重要視すべきは、一般的な倫理観とか、双方の一貫性なんかではなく、ただ他者を他者と認めて、わかりあえないと諦めた上で、逆の立場で考えて、許しあうことである。それが美しい解決方法じゃね?? と筆者は差し出がましいけれど、本気で二人に主張する。

※補足(4月5日追記)
許しあうことが大事だということに対し「なんで筋を通せない弱者なんかを許してやらなきゃいけないんだよ」という意見があった。理由について補足させていただきたい。
イデオロギー・思想・信仰における矛盾は徹底して批判されるべきものであることについては筆者も同意する。
しかしそれでも、矛盾してしまう弱者を「許せ」というのは、別に100%許せと言っているわけではないことは念頭においてもらいたい。
そもそも、合意の上といっても、妊娠目的の行為に前向きな気持ちではなかったItaqを加担させたのは、もこではないか。Itaqにとって本心ではないことをさせたのだから、(変な話になるけれど)もっと感謝するべきであり、妊娠発覚後に彼が色々と言ったのも、そもそも本心ではなかったんだから言っちゃうでしょう、と筆者は思うのだけれども。
そういう場合を全く予測していなかったならば、今からでも考えてみてほしい。

厳しい言い方をすると、自分を怒らせるような原因をつくったのが構造上において自分であるにも関わらず、断固として許さないというのは、お前そりゃおかしいだろ、と言っているのである。

ともあれ筆者は、10日に行われるという話し合いで、第三者の広平な仲裁により、二人になるべく損がないような落とし所が見つかることを切に願っている。

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