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福岡に週末2

深夜に寝たのに朝7時には起きてしまった。暇をつぶすために浴槽に湯をためて入浴しながら本を読んだ。旅行に来て何をやっているのだかわからない。『アメリカ紀行』は本当によかった。何がいいってときどきちょっとエッチなシーンが出てくるのがいい。広いトイレで千葉さんがアメリカ男同士のセックスの妄想をしたりとか、ボストン留学で滞在した現地のAirbnbで、ゲイの家主のところに泊まって部屋に入っていいよと言われたら家主とパートナーが裸で二人でベッドにいるところだったりとか……。一応トラベルキットのヘアケアを持ってきたのだけど別にいいという気持ちになりホテルのアメニティで洗髪を済ませる。この別にいい気持ちがいつでもあるわけではない、これでなくてはダメだというときがある、そういうときのための保険が常に必要なのだ。

8時すぎる。昨晩食べた柔らかいうどんのことを思い出す。朝からやっているうどん屋がないかとGoogle mapで探すと、西鉄天神の駅なかにモーニングをやっているチェーンのうどん屋があるので身支度して出かける。風呂上がりなので体が熱く、上着を着ずにニットだけで外へ出たら思いのほか寒く、行く途中湯冷めしてくしゃみばかりした。うどん屋まで行くと一人客たちが朝食を食べている。うどんのハーフとかしわおにぎりのセットを頼み、350円だった。一人客の人たちも店員の人たちもだいたい50代前後のようだ。朝から働いている、深夜に働いていた、もしくは働く前に食事をしているように見える。うどんをすするとだしの美味しさにめまいがする。タピオカミルクティーを飲んだときにミルクティー部分が超美味しかったときのような気持ちだ。うどんがもちもちしていて長いタピオカみたい。温かい透き通っただしの中に長いタピオカが入っているみたいだ…。冷凍さぬきうどんのもちもちはキャッサバ粉による触感だと聞いたことがある。このうどんのもちもちもまたそうなのだろうか。ふたたび寒さに震えながら宿に戻る途中でコーヒーを買った。タリーズコーヒーの本日のコーヒー:トールは380円だった。

ビジネスホテルのベッドでごろごろしていると居心地がよくて観光なんてどうでもいいという気持ちになってしまう。これにあらがって何とか外へ出なければいけない。いや出なければいけないということはないのだけど……福岡で食べようと思っていたカレーがあった。行列する、1時間は待つ、という話なので開店前に行かなければいけないのだけど……だんだん面倒になってきた。そもそも私はなるべく行列する店には行きたくないのだ。井之頭五郎も「行列に並ぶのもそうだが、何より食ってるときに後ろで誰かが待ってるのが嫌い」みたいなことを言うてました。昨晩会えなかった友人から起きた、という連絡と、自分は動けないがカレーは並ぶから早めに着いた方がいい、とダメ押しのようにショートメッセージが来る。やっぱり行こう、と思う。人に流されやすい。誰か今後の人生すべてで私を導いてください。いや、これまでも導かれていないときはなかったのかもしれない。

天神から渡辺通りをたらっと歩いてカレー屋に着いた。すでに15人並んでいて、1時間まぶしいひなたの駐車場でおとなしく待った。待っている間に友人からKindleで今まさに読んでいる本の面白い箇所のスクリーンショットが送られてくる。たぶん疲れで起き上がれなくて寝ながら読書をしているのだ。インドの貧困地域で予防接種を推進するためにダル(ひきわりの豆)を予防接種のときに900g配った話、病気を予防するという発想がなく大きな病院に行くのに気がひける人たちがベンガル医者という無資格の鞄一つの医者に頼ってしまう話。私も友人もしばしば自炊でダルを使う。ダルカレーやパリップ、サンバルなどひきわり豆を使った料理を作るのだ。ダルカレーだと1回に150gくらい使うのだけど、900gあれば6回は作れる…けっこうもらえるんだな。

店から男性が大きなタオルで汗を拭きながら出てくる。入れ替わりにカレー屋の中に入るとL字型のカウンターで6席しかない。そこを一人の店主でやりくりしている。人あたりがちょっと阿久津隆さんみたいな感じの人だ。隣の席との距離が十二分に保たれており狭い店内なのにパーソナルスペースは広く、快適な感じがする。カウンターの椅子は高く足はつかない。客の誰も大声で話さないし。そう考えると急にfuzkueにきたみたいな気持ちになってくる。激辛と書いてあるガラムカレーをオーダーすると、店主は座っている6人分を1ロットとして一度に作り始める。カウンターから手さばきを見るとパウダースパイスをオイルでテンパリングしてベースのよく煮込んだ鶏のスープを注いでいる(気がする)。陶製の平皿にライスとアチャールとマッシュポテトが盛られ、ステンレスのカダイにシャバシャバの濃い色のカレーが注がれている。カレーには骨付きの鶏肉が2つ入っている。テーブルの上のソースポットにスプーンとフォークが入っていてそこからカトラリーをとるようになっている。一口カレーのスープを口に入れると脳天から大きな槌が振り下ろされるような衝撃に見舞われた。おかしいでしょこんなん……という言葉が頭の中をぐるぐると回り始める。スープがあまりにも美味しすぎる。なんなんだ……このスープのコクとキレ、まとまり。味の奥深さとともに整理されたすえのシンプルさも感じる。メイラード反応の産物が口の中に満ち満ちていく。唐辛子の一番美味しいところを滲み出させた醤油を飲んでいるようだ。骨付き肉は長く煮込まれていてスルッと骨から肉が離れる。スープに油がまったく浮いていない。これは作る過程で丁寧にすくってるんだろうか、不可解だ。50円で追加できる玉葱のアチャールはライスと混ぜながらカレーの合間に食べるとこんなに極上の漬物はないと感じる。マッシュポテトとメニューにかかれていたものはマッシュしたマサラポテト(ポテトマサラ)で、ローストしたクミンとターメリックパウダー少量が混ぜられていてこれも美味しい。これをマッシュポテトと表現するのはカマトトという感じがする、「かまぼこは魚でできてるの?」と「マッシュポテトってマサラポテトなの?」は同じだと思う。「ガラムカレー」は激辛と書いてあるのだけど、辛くはないなと思う。でも並びの客はみんな大汗を流して拭きながら食べている。私はかろうじて下瞼にだけ三日月の形に汗をかいた。辛いのか。辛いというよりもこれは……なんと言っていいか本当にわからない。辛い、辛くないという議論に終始するのはばかばかしい。小さなチャイグラスに注がれた一口ラッシーは乳くさくて、スープの淡麗さに比較しリッチな口あたりでそのギャップにまた驚きながら食事を終えた。泣きそうだ、一人で、福岡で……超美味いカレーを食べて……。うしろにやはり20人くらい並んでいる。あっと言う間に宿を出てから2時間くらい経っている。

あたりを歩いてみようと思って天神と反対側へ進む。たいてい消化機能でスケジュール進行が決まる旅行なので食べたらすぐに歩いて腹ごなしをするしかないのだ。渡辺通りから一本入った車の少ない道を歩いているとコーヒーロースターを見つけた。入って浅煎りのエチオピアのスペシャルティコーヒーをオーダーする。サードウェーブコーヒーを飲み慣れたせいで私はどんな都市に行っても浅煎りのエチオピアを頼んでしまう呪いにかかっている。朝食用にホットビスケットをテイクアウトする。テイクアウトのカップは、リッドの飲み口がとてもなめらかで口に優しく、美味しく感じる。友人から、カフェでコーヒーを飲んでいるが隣で"尊敬する先輩"に"夢リスト100"を書かされている若者がいると連絡がある。天神のカフェが一時期の渋谷のセガフレードみたいなことになっているんだな。さらにそぞろ歩いていると白い建物を見かけた。中規模の病院だ。旅先ではけっこう病院に注目してしまう。よく見ると駐車場に落ち葉が積もっていて、ロープが張られ、閉院した廃病院だということがわかる。病室からきれいにけやきの木が見えるように工夫されていて、優れた建築だと思った。

深夜労働をした友人はゆっくり寝て起き出して天神中央公園で買い食いをしている。ジビエの屋台があって鹿の炭火焼きを食べていると連絡があったので公園の方向へ向かう。公園の中は農林水産まつりというのをやっていて地元の食べ物にあふれている。ジビエに蔬菜に畜産物に水産物、加工品、花、なんでも売っていて買いものをしにきた人でいい感じに活気がある。通りすがりの犬をベンチで見ながらビールを飲んでいる友人と落ち合い、食べている鹿肉を分けてもらった。噛みしめるとうまみが出てくる肉だ。「福岡の人たちはおいしいジビエをふつうの顔で食べていてすごい」という話と「期待に反して大型犬を見かけないが福岡では条例で飼育を制限されているのだろうか」という話をした。いつもと離れた場所で知っている人と待ち合わせすると面白く嬉しくなる。天神中央公園はちょっと新宿中央公園みたいだ。高いビルの隙間に広場を囲むように木々が生えていてけっこう人がいる。ちょうど座ったベンチからは三越のビルが見えた。あの下が西鉄天神の駅だ。ふらふら農林水産まつりを眺めたあと、角打ちに行こうということになり薬院の方に向かう。

川沿いを歩きながら、友人が、「こんなこと全然言いたくはないんだけど泊まってるホテルのアメニティのヘアケアが全然ダメできつい」という話をした。ちょうど朝に自分が「ホテルのアメニティでもまあいいな」と思ったのを思い出した。ホテルのアメニティがダメとか、壁が薄いとか、物音が隣に聞こえそうな感じはつらい。いや、私はあまりいつでもこういうのはつらくない方なのだ。でもつらい人のつらいことがそもそもつらいという気持ちはわかる。それが「こんなこと全然言いたくないけど」だ。つらいことはたいてい一つのつらいことではなくつらいことを自覚している二重のつらさとして存在してると思う。会社に選ばれたビジネスホテルは自分で選ぶビジネスホテルと違って合わない。どんなところでも同じレベルのホテルならだいたい大丈夫でしょうと思いきや、会社に指定されるようなホテルはいつも無意識に避けているのだ、たぶん避ける気持ちもなく避けている。それが合わないアメニティや薄い壁やもともと喫煙可だった部屋や合わない朝食会場を避けることにつながっている。

薬院の昼からやっている角打ちに着いた。クラフトビールと日本酒と自然派ワインの瓶が店の前に並んでいる。覗くともう立ち飲みしている人がいるが、うなぎの寝床のような場所の奥からお店の人がやってきてドアを開けて私たちに告げる。「実は今日イベントをやっていて……いつもは今の時間オープンしているんですが、オープンが今日だけ1時間後なんです」こういうとき、私は過剰に「じゃああとでまた来ます」感を出してしまう。うーん、どうしよう、と一瞬悩んだが、他の店に友人が電話で連絡をしてくれて夜の予約をとることができた。待つ場所がないので角打ちは諦め、まだ時間はあるので大濠公園に行ってみようということになる。

移動しながら話す。友人によると最近の福岡にはもともと住居用のマンションの一室で営業する飲み屋文化があるらしい。滞在中に行ってみたい。聞いただけではよくわからない。新宿ゴールデン街みたいな小さなカウンターの飲み屋ということなんだろうか。他の地域ではそういう小さな飲み屋が集まっている場所はもともと戦後に売春がさかんだった地帯がそのまま飲み屋街になっているということがけっこうあるけど、そういうわけでもないんだろうか。今晩行けたら行ってみようということになる。

大濠公園に着く前にお濠があってそこはまだ大濠公園ではないらしい。どういうことだ。舞鶴公園と書いてある。公園の隣りに公園が。歩きながら友人が、会社の人が福岡の女は美人が多いなどと言うので鼻白むという話をした。どう思うか聞かれている気がしたので「それは無関係な他人の見た目に異常に執着・興味がある人だ」と言った。見た目ということただ一つを突破口に無理にこちらに接続してくる人というのが確かにいる。あれは嫌な気分になるものだし、ダサい。でも地域とか国籍とかを誰かの見た目につなげて語る、というのはたぶんどこでも起こっていることで特別なことでもないとも思う。アメリカでインド系のバイレイシャルのモデルの人気が出てきているらしいがそういうのも大差ない話だという話をした。お濠が途切れ大濠公園に着いて湖の中の鴨島に渡る。ちょうど夕日が暮れる時間ぴったりに着き、夕空をそのまま映すぼやぼやした色の水面を見る。天神中央公園より空が広く、高い建物がまわりに全然ないから邪魔するものがない抜けた感じがする。友人が「毎日深夜まで働いててせっかく福岡に来たのにこういうのが全然なかったな」と言い、それなら休日に来られてよかったと思った。そのときなぜかtwitterを見てしまい、麻薬取締法違反で女優が逮捕されたニュースが目に入った。「ニュースにすることの意味全然ないな」「何で捕まる芸能人増えたんだろう」「芸能人に売ってる太い売人が捕まってその情報が小出しに漏れてきてるとかかな」「山口組とかのヤクザのインタビュー読んでると違法薬物の流通は手を出さないって言ってるけどあれ本当なのかな」「誰がどうやって輸入してるんだろう、まあコンテナ1個なんとかごまかして持ってくればかなりの量にはなるのかな…」「やっぱり半グレがやってるのかな」というコンテナの話から山口組がもともとは神戸の港湾労働者の手配のグループ化から始まったという話になった。マフィアの勃興って家族がいない人たちの家族化みたいなイメージがある。2007年にフランス人が『ヤング・ヤクザ/Young Yakuza』という稲川会系の指定暴力団のドキュメンタリーを撮った、という話をしながらそのYouTubeを観ていると、大濠公園の中を遠くからつかつかと寄ってくる人に突然声をかけられた。男性の二人組で、手には新聞のような両面刷りのチラシを持っている。二人のうちちょっと立場が下かな、と思われるほうが、聞き取りにくい早口で自らが信仰している宗教の勧誘をしてくる。「病、災害、事故、不幸を遠ざけるので早く帰依した方がいい」というようなことを言っている気がする。手に持った紙をぐいぐい眼前に押しつけてくるので閉口した。富士山の写真が掲載され不安を煽るような言葉が書かれている。こういうときにどうするか。私のなかでは決まっていて、目を見るのだ。無差別に勧誘したりする人は目を見られることに慣れていないことが多いのか、これをすると効果がある。相手の目を見て表情を変えずただ一言「要りません」とだけ発音して黙りこむと、一転して二人で呪詛の言葉を口にしながら立ち去って他の人に声をかけに行った。YouTubeでヤクザのフランス映画を観ているところを新興宗教の勧誘に邪魔された。ハハ…と乾いた笑いが出てしまう。目を見るのはケンカに慣れている人に対してやると多分挑発になるから本当はやめた方がいいのだが、大丈夫だった。無視する、立ち去る、などいろいろ方法はあるだろうけど、目を見た。twitterで「大濠公園 宗教」で検索すると、さっきの人たちかはわからないが、やはり景観にいい気分になっているのに声をかけられてつまらなくなってしまった人のpostが数個あった。大濠公園を犬を探して歩くがやはり大型犬を見かけない。と思っていたら公園を出るところで首の立派な秋田犬をやっと発見して友人と「ああ、最高だ……」と長く嘆息した。実際は全然関係ないのかもしれないけど、さっき声をかけてきた二人組は私から治らない病の影みたいなものを感じとったりしたのだろうか。確かに前日も長いこと診療した人を看取って死亡診断書を書いた。直接死因には「○○癌」と書き、その原因を書く場所にはいつも「詳細不明」と書く。

時間になったので予約した店に向かう。麻薬取締捜査官のキャリアパスってどんなのだろうと話しながら移動する。インドの予防接種とベンガル医者とアムウェイの夢リスト100と大濠公園の新興宗教団体とMDMA。

予約したレストランは一軒家だった。ここでの経験は今までにないものになった。シェフ一人とサービス二人のこじんまりとした居心地のいい場所だった。我々はここで柿の発酵バターソテー・ヴァン・ジョーヌ、青菜のくたくた煮とモッツァレラチーズ、さまざまな料理法の自然農の野菜のプレート、天然のきのこのオムレツ、夏鹿熟成肉のロースト、オリーブオイルのアイスクリームを食べた。グラスワイン2杯に赤ワインのボトルを1本飲んだ。サービスもシェフも素材にとにかく精通していて、卵一つ、青菜一つとってもどのように生産されているか、誰がどこからそれを自分たちに届けてくれるかを熟知していた。そしてその素晴らしい素材をもっとも無駄なくシンプルな方法で来る人に食べさせたいという誠実さを感じた。スタートのグラスワインを選ぶときに、白とだけ頼んだら目の前にずらっとボトルを並べてくれて、そこまではまあわかる、そこから一つ一つのワインの味、香り、国、生産者の人となり、理念、全て話してくれて、たった一つのワインの説明が終わったときに2分くらい経っていたので、いや、これ全部ワイン説明するだけで15分かかりませんか!?という気持ちになった(言わなかったけど)。料理に関しても一事が万事そうで、これは若い夫婦がやっている農園で、この鹿をしとめたのはまだ20代前半の若いハンターで、……、……、この熱意にはしびれた。もちろん対価として我々は支払っているものがあるのだけど、全然商売という感じがしなかった。ここで食べた野菜のプレートの、レタスの青くさい苦さに惚れ惚れとした。シェフやサービスの人と話し、福岡で何を食べ何を飲もうと思っているか、東京ではどこのワインバーに通っているのかを尋ねられる。シェフは《FESTIVIN》のポスターを手がけるMichel Tolmerと友人であるとのことで、ワインを飲みながら彼の自然派ワインあるあるを描いたバンド・デシネを見せてもらった。じゅうぶん飲んだかなというところでさらにJean François Chénéの白ワインを友人が頼む。私はワインのことはほとんどわからないが、この作り手の白ワインのシェリーのような枯れた香りが最高で数口分けてもらうだけで陶酔してしまう。明かりが灯ったようなやわらかい橙色。Jean François Chénéは醸造を去年やめてしまった醸造家だ。悲しそうにサービスの女性がその話題を口にする。友人が、何だかこうなってしまったそうですね、と言いながら両手をこめかみに当ててそこからスッと手を並行に前に伸ばす。そうそう、こうなってしまったんですよね、とサービスの女性も同じ手つきをする。もともとぶどう畑の端の、まるで方丈記のそれのような小屋に住んでいたらしいが、本格的に世捨て人のようになってしまって醸造をやめてしまったということだった。この話は今年どんなワインバーに行ってもちょこちょこ話題に出る。フランスから遠い島国でこんなに彼のことを思っている人がたくさんいる。ここまで食べて飲んで、正直もうとても満たされて、二人ともが福岡は全クリでいいという気持ちになってしまったが、まだまだ夜は長い。このあとどうするんですか、とお店の人から言われ、向かいのワインバーにホッピングしようと思っているんですと言うと、サービスの女性は「最近オープンが遅いこともあるんですよ。ちょっと見てきますね」と確認してきてくれた。

そのあと、無事開いていることを確認してもらったのでレストランを出て向かいのワインバーに向かった。こちらももともと家だった一軒家を店にしている。カウンターに座り、それぞれグラスワインを頼む。向かいのレストランでたくさん飲んできたことを言うと、カウンターの中の人はニコッと笑ってそれだけでもうわかった、という顔でバチッときまった複雑な味の赤と白を出してくれた。また東京で行っているワインバーを聞かれる。答える。先月東京行きましたよ、○○の周年イベントで、と言われる。このあとどこに行くんですか?と言われる。ハシゴ文化があるんだろうか、お店の人がこの言葉を言うことが多いな。マンションの一室でやっているワインバーの名前が出る。行こうと思っていた店のうちの一つだ。

ワインバーを出てまだハシゴすることにする。やっぱりマンション一室飲み屋の文化に触れねばならない。大濠公園前からタクシーで警固へ移動する。タクシードライバーに、どこのあたり?と聞かれて、目的地近くの病院の名前を告げる。友人が現金がなくなったと言ってコンビニのATMに引き出しに行った。資金を装備した友人のあとについていくと行先はマンションというか、アパートだった。2階建ての外階段の白い外壁の木造アパートで、学生時代、こういうアパートに住んでる友人いたな、いや今もいるな、本当にここが……?アパートの扉は団地っぽくて金属製で厚い。小さな看板がかかってはいるけど、こんなに住居然としていると、とっても入りにくい。一人だったら入れないな。ちょっと息を吸ってから二人で頷きあってから扉を開けて入った。入ると玄関、そのわきにワインセラーがあって、カウンターが見える。既に立ち飲みしている人が6,7人いる。複数グループのようだけど、カウンターの中の店主と和気藹々と談笑してる。うう、入りにくい。こんばんは〜…と言うとちょっとだけ場の雰囲気がサッと変わる。誰かの知り合いなの?一見客?と品定めされている感じがする。いやいや、思い込みです。他人はそんなに自分のこと何も思わない。グラスワインください、と言ってまたもや自然派ワインを出してもらう。うすい赤ください。自然派ワインを飲むときはだいたいうすい赤ください、と言っておけばあとはなんとかなる。うすい赤が好きなのだ。「県外からですか?仕事で?旅行で?」カウンターの中の店主の女性にワインを注ぎながら尋ねられる。はい、東京から。答えると、いつも行く東京の店を聞かれる。下北沢のピッツェリア。富ヶ谷のワインバー。西荻のビストロ。中野のフレンチ。嘘だ。行きつけと言うほど行ってるわけではない(私は)。ワインはだいたい人にいいやつを持ってきてもらって家で飲む。でも、それらのお店の名前を挙げると、店主はああ、好きなのねという顔をする。この前行きましたよ、イベントで呼ばれて。緊張感がなんとなくほどける。店主の女性はメイクをしていない。ショートヘアで細身でよく笑う。肌寒いのにTシャツにジーンズで、袖や襟もとからのびた腕や首に細かい小さなタトゥーがちらちらといくつも見えている。タトゥーバキバキのサービスがいる店はだいたい美味しい、というのは友人と私の共通認識だ。

立ち飲みの隣は東京の出版社のファッション誌の編集とフォトグラファーの二人。その奥女性二人。男性一人。そのさらに奥の二人がそろそろ、と言って帰る。そうしていると新しく男女の二人が来る。女性の方が店主と仲が良さそうで先週ぶり、みたいな挨拶を交わし、どこか寄ってきたの?と聞かれている。女性は連れの男性を大名のアパレルで働いてる人、と店主に紹介する。そうしているとまた新しく3人の男性が店に入ってくる。東京の中央区にある海外アパレルの人たちだ。おしゃれで、気さくに話しかけてくる。東京で行くお店をまた聞かれる。そうしているとまたさらに新しく5人で入ってくる人がいる。一番年長の男性は中目黒のセレクトショップのディレクターで、若い子たち連れてきた、と店主に言う。おしゃれな人たちで急に混みだす。夜が更けてきて来た人たちがボトルを入れて飲みだす。店主が、今日の人たちは東京の人ばっかりね、どうなっとうと?とワインを注ぎながら笑う。隣で飲んでいた男性に話しかけられる。東京の東のエリアで料理関係の仕事をしていると言う。彼が最近出版に関わった新しい料理書を見せてもらった。かわいらしいタイフードのレシピ本。友人と3人で結構まじめなつっこんだ話をしたんだけど、酔っていてあっという間に時間が過ぎてしまった。店も混んできて帰ろうと思うのだけど、周りの知らない人みんながボトルのワインをまあまあ、と言って分けてくれるので帰れない。こういうときにデートレイプドラッグを飲み物に入れられたり、店からぼったくられたりしてもなかなか被害を避けることは難しいだろうなと一瞬思って急に観念する。で、会計を頼むと明朗会計でたぶん2600円くらいだった。会計したあとにもまたボトルから余っているからまあまあ、と隣の人からワインを注がれる。それがまた、美味しいワインばかりだ。福岡を楽しんで!と声をかけられる。明日はどうするの?と訊かれ、行こうと思っているお店を告げると「じゃあそろそろせいこ蟹が食べられるかもね」とときめくような一言が。

夜もふけて長時間立ちっぱなしで酔っぱらい、完全に身体が寝たくなっている。夜風の寒さに震えながら徒歩で帰る。宿は天神なのでそう遠くなかった。国体道路に出ようとしたところで、変な運転をしている車を見つける。黒いスポーツカーで、ガソリンをふかしたり、道路の真ん中で急に停まったり、急に駐車場に入ろうとしたり、そうかと思えばそこでUターンしたり、周りの普通に流してるタクシーが困惑している。歩いている人たちも異変に気づき、立ち止まって見る人もいて明らかに注目を集めている。気づいてない友人に「ねえ変な車いる、こわ」と言うと、視線をやり「あ、ほんとだ。ヨレてる」と言った。ヨレてる。そうか、ドラッグをやってる人が中にいる車なのかな。中で何が起こってるんだろう。急に轢かれたら嫌なので、見つめながら動きに注意して距離をとる。車はまたUターンしてアクセルを踏み、急にスピードを出して遠ざかって行ってしまった。危険運転の車を見たら警察に電話した方がいいのだろうけど、眼の前にしてしまうと状況を把握するまでに時間がかかってすぐに判断はできなかった。(注:福岡から戻って1,2週間後くらいに国体道路と渡辺通りの交差点周辺で危険運転をしている車が警察に呼び止められ、運転していた17歳と16歳の高校生が大麻所持で現行犯逮捕されるというニュースがありました。この人たちだったんだろうか……)

宿の前でまた明日、と言って別れる。福岡土夜を全クリしたなという気持ちでいっぱいになり、シャワーを浴びてからベッドに倒れ込んだ。いい日だった。カレーが本当に美味しかったなあ。

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