見出し画像

日記です、日記

朝起きてカレーリーフの鉢に潅水しようとしたら先端から久しぶりに新しい芽が伸びてきていた。前からある下の方の濃い緑色の葉と比べて柔らかくて黄緑色ですこし透けていて、それなのにすこし表面が光を反射している感じがあるというか、そこだけ輝いている。そのあと病院に行くために外に出たら鉢の芽と同じような新緑が街のあちこちにパーッと見えてきた。昨日まではあまり気づかなかったのに、毎年新緑ってこういうふうに急にハッと気づく感じで自分の中に訪れる気がする。夜に雨が降った翌日だからだろうか。桜が咲いたりそれを愛でたりするのも好きなんだけど、どちらかといえば4月から5月にかけての新緑がいつも驚きをもって自分の中で訪れるのでさらに好きだし、もっと見逃さずに目をよく開いて見るべきと思っている。街路樹とか植え込みの新緑も枝の先端が室内のカレーリーフと同じようにちょっと黄緑色で、葉っぱが柔らかく周縁がくるっと内側に丸まっていて、そして光を反射してピカピカ、テカテカとしている。照葉樹じゃないのにどうして光るんだろう、クチクラがあるわけじゃないんだと思うけど……。

クチクラってラテン語で、英語ではキューティクルだって知ったとき面白かった。キューティクル層って言われるとかなりキャピキャピしている。

最近、もう人と話さないわけにもいかないので、マスクして2m離れて雑談している。友達と会って話せないので、職場の人と友達みたいな会話をして慰めあっている感じがする。

先日、同じ職場の看護師の人と2m離れて雑談していて、最近の心もちについて話し合っていた。その人はもともと几帳面ですごくきれい好きなんだけど、感染症看護やマネジメントにもものすごく敏感で(看護の専門は別の領域)かなり初期の方から新興感染症の恐ろしさを「今はまだだけどもうすぐ大変なことになる」とこれまで見たこともないような恐ろしい顔で皆に毎日触れ回っていた。あとから思えば彼の言ってることは完全に正しかった。それで言ったとおりになってどう思っているかを話していたんだけど、予想外に「いや、今は自分の専門領域のニーズがあるからここにいるけれど、実際にバチバチの感染症集中治療の看護ってあんまりこれまでやったことないから上からやれって言われたらやります、むしろやってみたいし……」と言っていた。私にも半分理解できて、そして半分危うい気持ちになる。「人によってもちろん違うけど基本的に看護師って"そういう"教育を受けてきてるから、やれと言われれば大半やると思います。僕なんか独身だし、同居の家族もいないし、普通に仕事として興味あるんで……」彼の受けた教育は『人の命と健康、尊厳を守る』(そのために滅私をいとわない)というものという背景がある。災害医療なんかもそうで、主に地震などの災害が発生したら看護師はまずまっさきに病院に向かうように教育されている(医師もだけど看護師はもっとそうだと思う)。

正直、防護服とかN95マスクとかが明らかに足りなくて、不十分な装備の中で感染症診療をやるのは自分は気が進まなかった。もっと言えば正気じゃないような気がしていた。しかも、一時期病院で使用するようなサージカルマスクが極端に不足していたのは、市井の人の買い占めによる可能性が高く、外に出るたびに「どうして病院でするようなマスクを医療従事者が院内で使えないのにスーツ着て出勤している人たちが会社に行くためにこんなに使ってるんだろう」と(彼らの背景もわからないのに)見かけるたびにかなり陰鬱な気持ちになったりしていた。サージカルマスクをしたらふつうに外に出てもいいとか免罪符と思っているんだろうかと嫌な気持ちになったりしていた。こういう、自分でなかなか変えられないことに対する(思い込みも含む)嫌な気持ちがある中でやりがいということだけで働くのは特別攻撃隊みたいなもの、とどうしてもかつての戦争と安直にむすびつけたくなってしまっていた。同僚の彼の話を聞いてもう少し学術的なことや自分の興味・好奇心・経験とつなげて気持ちを切り替えなければと思った。ずっと暗い気持ちでいるのはよくない。この状態は急に消えたりはせず、まだしばらくずっと続くのだから。

何週間か前だけど医局で精神科の先生とちょっと立ち話していて、今回のことで感染症診療に従事している人たちのメンタルケアのチームを立ち上げたと知った。精神科医たちのメーリングリストなどを発端として全国で同様の院内チームの立ち上げが自発的に起こっているとのことだった。それを聞いてけっこう感動した。明らかにきついことを続けていると絶対にどこかで燃え尽きがくることをもう我々は知っていて、それを見逃さないし見放さないというピアサポートだと思ったからだ。自分たちに必要なのは、お互いに助け合い、自分の領域でフォローしあってじりじりとでも進んでいくことだ。助け合わずに差別するなど、いついかなるときにでもすべきではない、本当に愚かなことだと思う。

外食をしなくなって一ヶ月以上経っている。家で一人で飲酒するとaddictしてしまいそうなのでアルコールを飲まないようにしていて、それから最近仕事で疲れると食欲もあまりなくてときどき夕食を抜いていて、それが原因だと思うが体重が毎日減っている。病的な感じではないが、そうなっている。スーパーでパックに入った肉を見ても買おうと思えず野菜ばかり買っていて、動物性蛋白質を摂るタイミングも減ってきてしまった。自分に関しては食事の役割が大きく変容して、豊潤なうまみを味わう体験というよりも水分や電解質や糖質などで回復するためのものという役割が大きくなってきている。かぶをすりながしにしてどろっと熱い薄味のものを胃に入れてとりあえず温めるとか、煎茶と生米で茶粥を作って塩も入れずにお茶の風味だけで食べるみたいな奇妙な回復食のような食事を自分で作ると、ときどき異様に癒やしのようになっているのを感じる。

ここまで書いてみて思ったけど、もっと早くこういう日記を書いていればよかった。でもここへ来るまで相当いろいろな自分の中での変化もあったので、やっと書けたという感じなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?