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本当に贈られたいクリスマスプレゼント

毎年、年末のホリデーシーズンの気配が出てくると恋人へのクリスマスプレゼントの話題が出るのがTwitterの風物詩となっています。今年はウェブ上で素敵なものとして提案されているハートのネックレスはダサい、要らない、もらうと女性は本当にがっかりするという内容のものでした。じゃあみんな本当はクリスマスに何が欲しいのか。その謎を解明すべく私はアマゾンの奥地へ向か……わずフォロワーの方に質問を投げかけました。

クリスマスプレゼントに欲しいものをReplyしてください

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https://twitter.com/kmngr/status/1200664162923270144

驚くべきことに数時間で200以上の回答が集まりました。私をフォローしていない人もReplyをくれています。みんな、本当は何が欲しいんでしょうか。ここに一つ一つをアカウントとともに転載することはしません(転載する前提での質問ではなかったからです)ので、見たい人はリンク先を見に行ってください。

具体的に欲しいものがある人は、たとえば「Dysonのドライヤーが欲しい」「BALMUDAのランタンが欲しい」「Maison Martin Margielaのスノードームが欲しい」「RALPH LAURENのバスローブが欲しい」「Turkのフライパンが欲しい」「マキタのインパクトドライバーが欲しい」「Snow Peakのチェアが欲しいが1つにしぼれない」などです。すごく分かりやすいですね。知らないその人に近づけるような答えだなと思いました。でもそのうえで、Turkのフライパンであなたは誰に何を作るの、マキタのインパクトドライバーは何に使うのという質問をすることができると思います。とても楽しい答えが返って来ます。(気になる人はリンク先に見に行ってください)ちなみに、この人たちのうちやりとりをしているうちに我慢できなくなって自分で買いました、買うことにしますと報告してきた人が二人いました。チョロいね。

欲しいものはあるが具体的には決まっていない、どこに売っているのかわからない人は、たとえば「革製で内側がカシミアで、指ぬきとそうじゃないので2wayになってる手袋を探しています」「鎖骨がきれいに出るもので、真緑より少し落ち着いた色で、でもぱっと目を引く緑のワンピース」「中指につけるちょうどよい指輪」「一番いい干し芋」「ちょうどいいスープ皿」「大きな あるいは色のいいすり鉢」「薄型のノートパソコン」などです。これもとても分かりやすいです。ものをどこで探したりどうやって調べたりしたらいいかよく知っている人は「◯◯のはどうですか?」とちょっと言いたくなります。これもまた、自分の欲しいものがわかっている人たちです。一番目の人よりも、手に入るまでは、もう少し時間がかかりそうです。「どんなときに使いたいですか?」といろいろな人に尋ねました。「薄型のノートパソコン」と答えた人は、修士論文を書いています。カフェでそれを広げて論文を進める自分を想像しています。

物ではなく時間・体験がほしい人は「連休です」「お昼寝の時間です」「彼とクリスマスを過ごすための休みが欲しいです」「安らかな眠りです」「安定した情緒です」「安寧です」「気持ちよく健康的に働ける職が欲しいです」「清潔な水です」というような答えでした。これは確かに私も欲しいなと思える一方で、それをあなたにもたらすのはいったいなんだと思いますか?と問いかけたくなるような回答ですね。簡単そうなことなのに、なくて困っている人がたくさんいるものです。そして、それはたぶんプレゼントされるようなものではないものなのだけど……物ではないぶん切実です。ところで、「清潔な水です」と答えた方に、「清潔な水が欲しいと思う理由はなんですか?」と尋ねました。すると、水への憧れがあるともに、心因性多飲症で水への憧れが強い状態だという回答がありました。不思議な答えだなと感じたときに、問いかけた人が嫌にならないようなしかたで「それで、それで?(よければあなたのことを知りたいです)」と訊くのはよい対話になったなという感触がありました。

抽象的なもの・存在しないものがほしい人は、「どこでもドアです」「インドカレーが永遠に出てくる鍋」「1つ1つ殻がデザイン書きされた、オサレな天津甘栗が欲しい」「ハリー・ポッターになれる眼鏡です」と書いた人たちです。急にそんな全然「無い鍋」とか「無い栗」出してくるのは卑怯だな……!と笑ってしまいました。この世に全然ないでしょう、それ。「どこでもドアです」と言った人に、「まず、どこへ行きますか?」と尋ねました。旅行に行きたいのかな。通勤時間がつらいのだろうか。そうすると、「家族、恋人、友人がいる地元にすぐに帰れるようになりたい」というホームシックに共感して胸がしめつけられるようなリプライが返ってきました。「それで、それで?」「あなたは、どうして?」「どんなふうに?」これを訊くと、顔の見えない相手のことがその次の瞬間にもう少しわかるのです。

大金、経済的安定部門です。「1億円」「不労所得」「現金」「土地です」これは意外と少なかったかもしれません。しかし、本当はあなたがた何が欲しいのでしょうか、としばし考えてしまいます。確かに金銭や経済的安定や不動産は私も欲しい、欲しいというかまあもらえるならもらう、くらいかもしれない。でもよく考えると欲しいのはお金や土地そのものではないですよね。たぶんそれによる自由がほしいのです。自由にお金を使えるという状況が欲しいのです。ではそこであなたが選択するものは何の自由なのかと聞きたい。一人の人に、1億円あってまず初めに何に使うのでしょう?と尋ねました。お返事は、母親から借りているお金を返したい、でした。自由にならないお金、からの自由ということだったのです。この人たちには、もう少し聞けることがあるような気がします。みんなきっと、お金が欲しいだけの人ではないと思うから。

これは番外編ですが、本当は自分自身が欲しいものではないものを書いた人もいました。他の人のために与えたいと思っているプレゼントということです。「母がまた歩けるようになることです」「子どもの合格です(中学受験)」「私はいいので、内藤哲也さんに頑強な膝をお願いします。」内藤哲也さんて新日本プロレスの方ですよね。膝で困っているんでしょうね。別に人の代わりに欲しいと思うものを書くのはいいです。でもあなた自身が欲しいものは他にないかな?とちょっと聞きたいです。

それでは私が欲しいものは何か。実際に誕生日に何かあげよか、と言われたときにはオリーブオイル、塩、入浴剤のどれかを言っています。花をもらうこともあります。別にミニマリストではないのですが、思い入れのある私物が増えそうになるとどうにも腰が引けます。オリーブオイル、塩、入浴剤、切り花なら贈られる量もたかが知れていますし、毎日使うものなのでやがては使い切ることができます。つまり私もこれといって欲しいものがないのです。ものを貰う、贈るということは難儀なときがあります。贈りもの上手、という言葉がありますが、ほとんどの人にとってはプレゼントは難しいことではないでしょうか。一方で、贈りものは贈られたときにその役目をほぼ終えている、という考え方もあります。だから贈られたものは手放してもよいのだと。寂しいような気もしますが、たしかにそうでないと贈りものをもらったらそれを決して手放してはいけない呪縛が発生していることになります。(私はそれをけっこう勝手に感じてしまう方です)

贈るのも、貰うのも、なかなか難しい。

願いとか望みとかってよく使われる言葉ですよね。欲しいものを聞く、というのも願いや望みを尋ねているのです。でも、人によってこんなにも願いや望みの抽象度は違う。幸せが欲しいと答える人と、家電が欲しいと答える人とでは、全然願いや望みのスケールが違うのでしょうか。でも幸せが欲しいと言ってる人の先にあるのも良い家電の購入かもしれない。願い慣れるというのは大事だなと思います。私は仕事で、「あなたの願いや望みはありますか」ということを患者さんに投げかけることがあります。でも(特に欲しいものがない私がこんなことを言う資格もないんだけども)けっこうみんな、リクエストを聞かれることに慣れていない。自分の希望を打ち明けることが得意ではない人が多いと感じます。また、自分の頭の中の望みや願いを整理することも不得手であるように思います。でも、病院に入院して、この先命が長くないとなったときに、少ない残りの人生の時間を満ち足りたものにするにはリクエストが必要です。願いや望みの発露を周りの人は待っています。いや別に、病気でこの先長くないとわかったからというわけでもないのです、誰にとっても残りのこの先の人生を満ち足りたものにした方がいいのです。それには望みや願いや欲しいものを整理できた方がいいのではないかとたまに思います。

話がだんだん逸れてきてしまいました。もっと逸らしていきますと、何かを克服したときに他人に贈りものがしたくなるということがあります。ときどき、死の受容のプロセスの中に、贈りものをしたい気持ちや利他の精神が突如発露する患者さんがいます。本当に自分がこの先もうどうにもならないと知った人が、意識がなくなる前日に「私は今こんなだがどうしても人の役に立ちたい」と言って死後のアイバンクへの角膜提供を申し出られたということがありました。角膜提供だけでなく、医学の発展のために何か役に立てることはないかと、お亡くなりになったあとの病理解剖を申し出てくださる方もいます。で、そのこと自体、その人個人の人生の課題の取り組み方というよりは、なんとなくなのですが人という生きものの根源的な欲ではないかな、と感じたことを覚えています。最期の願いや望みが他の人のために何かをしたいということがあります。

閑話休題。

やっぱりね

これだけは確かではないかと思うのは、やはり残念ながらハートのネックレスが欲しいですとReplyをくれた人は少なくとも私の質問の回答者にはいませんでした。アマゾンの奥地に行かずともわかっていました。やっぱりあまり欲しいという人はいないのかもしれません。逆に、欲しいものでメジャーなものは何なんだってことになると思うのですが、みんなそれぞれ違います。重複した回答例としては、窯(陶芸用、ピザ窯でした)、傘、鉄のフライパン、ワイヤレスイヤホン、ドライヤー、香水、靴、調理家電、照明、とかで、ネックレスを送ろうとしていた人に言ったら、か、窯!?という感じですよね。でも現実はネックレス0、窯2です。びっくりしたよね。つらい現実かもしれないけどゆっくり受け入れていけばいいから……。

話をしよう

「それで、それで?」「あなたはそれからどうしますか?」「どんなふうに考えますか?」「あなたがどう考えているか聞きたいんです」こういう気持ちでした合いの手の質問で、こんなに知らない人が生き生きと話し出して返事をしてくれるとはあまり思っていませんでした。(じゃあ何でしたのかというとそれもわからないけど)でも、欲しいものの話をちゃんとすると、少しコミュニケーションのキャッチボールをするだけでその人が欲しいもの、その生活や、ポリシー、考え方がわかってくる気がします。だから、もしよかったら、贈りものをしたい相手にちょっと聞いてみてほしい。「あなたは何が欲しいんですか?」「それで、それで?」「何色のものが好きですか?」「あなたはそれを身に着けて、どこへ行きどんな気分でいたいの?」と。


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