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福岡に週末3

深夜にべろべろに酔って寝たけど日曜朝はいつもの時間に起きた。まだアルコールが少しだけ残っているような気がして、念のため多めに水を飲む。部屋の照明を消したまま遮光カーテンを少しだけ開けて部屋の明るさを調整する。何となく気になって、スマートフォンでGoogle Mapsのアプリを開いて、大濠公園の周りに新興宗教施設があるか確かめる。おーあるある、天理教、真光、幸福の科学があった。三つ巴状態じゃないか。

朝だ。またうどんを食べたい。すっかり博多のうどんに魅了されてしまった。何人かの友人に勧められた牧のうどんを食べようかと思って調べる。博多ターミナル店が一番近そうだ。歩くと30分、バスだと10分。博多天神間のバスは100円で乗れるらしい。もう少しごろごろしていたいけど身支度を始める。バスに乗ることにする。

すぐに来るはずのバスがなかなか来なくて寒い中10分くらい待った。9時くらいなのに人通りが多いなと思ったら、天神でお祭りをやるみたいで、法被姿の人が足を出して何人も歩いている。大人は一人ひとりどこかに集まっていき、子供たちは集団でどこかへ列をなして移動していく。バスが来たので乗る。知らない土地の路線バスに乗ると地名も方向も何もわからずうっすら不安になり、でもその不安が訳もわからずうれしくてそわそわしてしまう。地方のバスでは方言に耳をすませることにしているけど博多ターミナルへ向かうバスは皆一人で誰の口からも博多弁を聞かなかった。

バス停を降りてビルを目指すが高いビルが多くていまいちよくわからない。歩道橋を上がってあたりをつけた建物で合っていた。梅田のヨドバシカメラみたいな感じの建物がバスターミナルのビルらしい。入って地下を目指す。ちょうどエスカレーターを降りたところに牧のうどん博多ターミナル店があるはずなんだけど、なんだかエスカレーター前が混雑している……まさか、と思ったら開店直後のうどん屋に並ぶ老若男女だった。並び方がばらばらで最後尾がわからない。でも店内は広くて食券を買った人からどんどん吸い込まれていき、列がみるみる空いていく。最後尾と思われるあたりに並び食券を買う。家族連れもいるが、中高年も多く、また中学生くらいの男女が3人で来ていたりする。すべての人のための食堂という感じがする。食券を買って、カウンターに座る。厨房の一部が見えるが、魔法のような手さばきでうどんが釜揚げされ、目にも止まらぬ速さで食卓へと提供されていく。スムーズに席に案内してくれた店員の人が次はお冷をもってきて食券を取りにきて、硬さはどうしましょう、と尋ねられる。硬さ。なんとなくとっさに「"やわ"でお願いします」と伝えたが、合っていたのか。そもそも硬さの表現も、レベル感もわからない、何もかもわからない手さぐりのグルメ……アジアの食堂っぽい。バンコクのバミー屋で「汁なし?汁あり?スープは別で盛る?辛くしていいの?」とタイ語で訊かれたときくらいの手さぐり感だ。不安と期待と空腹と……。

座っているカウンターの目の前に、『ユーリ!!! on ICE』のキャラクターがうどんを座敷の店内で食べている大きなポスターが貼ってある。『ユーリ!!! on ICE』は確か唐津なんだよな。だから九州のうどん屋にポスターが貼ってあるんだね。で日本人の主人公とロシア人のキャラクターが二人ポスターに描かれている。うどんを夢中で食べているキャラクターと、カメラに気づいてポーズをしているキャラクターとがいる構図だった。それぞれ違ううどんを注文していて、真ん中に牧のうどんの特徴である追加するだし汁の満たされた小さなやかんが配置されてる。ロシアってうどんみたいな料理あるんだろうか。パン食圏というイメージがある。安易な発想だけど黒パンとか。それにいくらとサワークリームとディルとか。ロシアのキャラクター二人の出身地はどこなんだろう。モスクワかサンクトペテルブルクだろうか。どちらにせよ中央アジアは遠い。ウズベキスタンのラグマンとか食べられるんだろうか。いやいやラグマンをたとえ日常食にしていたとしても淡麗な牧のうどんとはまったく異なるものなわけで……。左手にはユーリ!!! on ICE、右手には厨房が見えている。厨房であの小さなやかんが蓋をあけて並べられていて、そこに巨人の肩くらいありそうな大きなやかんで熱々のだし汁が注がれていく。淡麗のもとである黄金の透明なだし汁だ。白い調理服を着た厨房の女性は少しくらいこぼれるのも構わずどっぷどっぷと勢いよく注いでいく。人の身体からやかんの内部に波を興している、と思う。飽きずに厨房を見ていると、間もなくオーダーした「肉ごぼう天うどん かしわ飯セット」がやってきた。盆上には左上に小さな出汁入りのやかん、左下にかしわ飯、黄色いたくあん二切れ、右に肉ごぼう天うどん。肉うどんとごぼう天うどんがハーフ&ハーフになっている感じだ。肉うどんというのは牛肉とねぎが甘辛く煮てあるものがのっている、ごぼう天うどんはごぼうの天ぷらがのっている、のだが牧のうどんのごぼう天はかなりフリッターに近くカリッとして、しかしそれでいて分厚い衣はやや黄みの強い色をしている。遠くからみたらイカの天ぷらみたいな感じ。不思議不思議。うどんのどんぶりのふちまで麺が入っているので、うどんの間に汁がある感じで、汁にうどんが浸かっているというふうでは全然ない。食べ始めてみると出汁と一体になったどこまでも柔らかい麺の存在。啜っても啜っても丼の中のかさが減らない。私は子供のころ麺類が苦手だった。子供の食べるスピードでは麺がどんどんのびてしまって食べても食べても減らないのだ。大人になってどこに出しても恥ずかしくない健啖を手に入れた私は久しぶりにその時の気持ちを思い出した。しかしなんとまあ出汁がとても美味しい。出汁自体は淡麗なのだけど、甘辛い肉の煮汁やごぼうの天ぷらのはざかいから染み出した醤油の味や揚げ油がカオティックに混じり合って一口一口が何とも表現できない複雑な変化する味わいになっている。麺を食べていくと出汁を吸い続ける麺が太り、出汁は減っていく。そこへ、小さなやかんに入った追加用の出汁を注ぐ。それでやっと、ふつうのうどんのどんぶりらしく、うどんの上に出汁が張られる。しかし、これも時間の問題だ。博多のうどんは時間やスピードと提供される食事の厳しい関係にその美味しさが守られている。こういう小さなやかんってあまり見たことがない。盆のなかの位置としては蕎麦湯を入れる塗りの湯桶に役割が近いだろうか。しかし、アルマイトっぽい簡素な佇まいは韓国のマッコルリが提供されるときの真鍮の小さなやかんに似ている。牧のうどんのメニュー表にはキムチがトッピングされたうどんもいくつかあった。活気のある庶民的なファストフードとしての福岡のうどんはどこかで近い韓国の食文化と混ざり合ったのかもしれない。この前、新大久保で韓国の国民食のチャジャンミョンを食べた。そのときその黒いヌチャヌチャしたあえ麺についてきた黄色いたくあんはこのかしわ飯についてきているたくあんとよく似ている。

ホテルに戻って少し休んだあとにチェックアウトする。チェックアウト直前にインターホンが鳴る。出るとベッドメイクのスタッフの若い男の子がびっくりした顔でこちらを見て、「すみません」と言う。もう誰もいないと思ってこのドアベルを鳴らしたのだ。

ぎりぎりまでホテルで時間をつぶしたが、行くあてがない。友人からは、「銭湯に入りに行く」と連絡がある。天神中央公園にぶらぶらと行ってみる。途中で、朝見た法被姿の人たちが大勢集まっている広場に出る。タープやテント、折りたたみ椅子が出されて前が舞台になっていて、これからなにかのパフォーマンスが始まる雰囲気だった。天神中央公園では昨日と同じ農林水産まつりが開催されている。日曜の生中継の地方局のカメラが入って軽快に通行人にインタビューしている。された人は照れている。コーヒーでも飲もうかな。また歩いていたらいいコーヒースタンドがあればいいんだけど……そういうラッキーなことはそんなに連日では起こらない。検索するのが面倒だけどこういうときは検索した方がいいのかもしれない。検索すると効率的で便利なのだけど見つけるべき店を自力で見つける充実感に欠けるし、検索で見つけられない店は歩いて見つけないと絶対に見つけられない。そういえば数年前福岡に来たときは歩いていたら偶然古道具店の集まっている場所にでてかなりシャビい骨董、古道具が見られた記憶がある。紙の箱だけ売ってるかなり渋い店とかあった。あまり覚えてないけど、たぶんそういうのは家具を売ってる路面店があるエリアに行くとその付近にあるのだと思う。ということでまた昨日に引き続き薬院の方へたらっと歩くことにした。福岡くらいの規模の都市というのはこういう歩き方で十分偶然にまかせた楽しい街歩きができることが多い。細い道を歩いているとユーズド家具を扱っている大きめの店が現れる。その店をぐるっと見たあと、入り口付近に置いてある他店のショップカードでいいデザインのものをいくつか勘で手にとる。それぞれ住所を見てみると近くにあるものがあって、その一つに行くことにする。角を曲がったところ。雑居ビルの2階だ。古いビルの階段を上がると団地のような半外廊下になっていて、ねずみ色にすりガラスの重たい扉が入り口だった。なるべく静かに開ける。古道具屋や骨董のお店では細心の注意をはらって音を立てない、身さばきも注意深くすることが大切だと思うのでそうする。店の中は広く、陳列の間隔はそうしてほしい、と思うよりさらにたっぷりととられていて、好みだ。好きだ。思ったとおりかなりシャビい。たぶん北欧系だと思う。私の好きな骨董・古道具屋というのは彩度の低いものを非常にキレイに売ってるというタイプのところで、売っているものの使いみちがわからなければわからないほど興奮してしまうのだけど、このお店はそういう部分が大いにあった。ガラスの足つきのポット。鋼の鍬。籐のかご。木製のスプーン。陶の動物のフォルムの置物。見事だったのは木製の装飾の少ない燭台のコレクションだった。一本用の燭台がキャンドルの太さに合わせていくつも揃えてある。三本用のものもありそれは両腕を天へ広げたような木のカーブが美しい。極めつけには、十本用のキャンドルスタンドが目に入る。天使像のような、千手観音像のような、そういう聖なるもののような、でももっと原始のもののような燭台。十本用のそれに目を奪われたが、ちいさくシールでkeepの印がついていて、既に売れてしまっているものであることがわかった。深く息を吸ってから店員に会釈をして店を出た。

古道具をみるのはあそこだけでいいな、あの燭台だけでもうよかったかも…と思いながら酔ったようにあてどなくまた歩き始めた。古道具は見た。あとほかに道具系とかギャラリー。ブックストア。行くべきところあるのかな。どこだろう。そうだ、福岡が本社の文具のブランドがあったな。ストアがあるだろうか。Google Mapsを立ち上げる。会社の名前を入力する。あっ、フラッグシップストアがある。場所は、現在地から10分。ついてるなー。旅先ってこういう風についてることがいつもよりよく起こるし、目鼻が効く感じが強くなることがある。どうしてだろう。川沿いの住宅地を白金の方向に歩く。日曜の午後だけど、静かで殆ど誰も通らない。ずっと住宅地が続いて、そのままステーショナリーショップが現れた。白いビルの側面に会社名でロゴが大きく書かれている。うまくリノベしてある建物で、アプローチのもともと駐車場だったのではないかという屋根つきのスペースを一部アウトドア用品売り場、残りはテーブルとベンチを置いて広いテラスにしてある。レモネードやサンドイッチを提供してそこで一休みできるようにしているようだ。外からは上半分中が見えるような格子というか窓というかそういうガラス張りになっていて、ディスプレイされた文具・カレンダー・手帳などが見えている。学生のころこの会社の文具を使っていた。それはシンプルで価格が安く、デザイン性に富んでいた。人気もあったと思う。台湾に行ったときにデザイン性の高い文具を探して、これは素敵だな、MITのものなんだろうかと確認したらこの会社のもので日本で買えるねと苦笑いしたことがよくあった。海外の文具ファンに評価されているらしく、1,2年前にDTLAに直営店ができたところまで知っている。

中に入ると外の閑静さと比較してけっこう人がいる。商店で賑わっているようなエリアではなく大きな店は近くではここくらいしかないから、みんなわざわざ足をのばしてきているのだと思う。オリジナルの手帳はさまざまな種類がある。ずっと見ていたくなるようなカレンダー。美しいクリップ。美しい鋏。ボールペン。ポーチ。マルチケース。ブックスタンド。ステッカー。マーカー。定規。オリジナルのもの以外に輸入ものもある。アメリカ、ドイツ、台湾の文具がある。紙の素材を指定したオリジナルのノートブックを作ることができるらしく、紙の見本が何十種類も置かれて試し書きもできるようになっている。Noritakeがディレクションしたプロダクトがいいな、と思ったけど、私が買うものはストアにはないように感じた。レジに手ぶらで並び、レモネードをオーダーする。外で待っていると愛想よく窓を開けて手渡してくれる。何か文具を買った方がよかっただろうか。いや、無理することはない。荷物が増えるのが旅行で一番嫌なことなのだ。でも……生姜の効いたレモネードをテラスのベンチで飲みながらぐるぐると思案していると、店から50代くらいの男性が出てきた。先程私がレモネードを受け取った窓でハイネケンかハートランドの緑色の瓶を受け取ってそのまま飲んでいる。なんとなく違和感があってその人のことが気になっていたら、数分後に20歳そこそこくらいの女性が一人出てきて、彼のところにつつーっと寄っていく。もう結構寒いのに丈の短いパンツをはいていて、朝見た法被の子供たちくらい脚が出ている。二人は「それ、なんですか?」「飲んでみる?」という会話のあと、「どうだった?」「外国の……味がしますね」と会話し、苦笑いしている。女性の方は、果たして法律上アルコールを飲んでいいのかどうかもわからないような年頃に見える。「なんて呼べばいい?」とお互いの呼び名を決めている。と、そこへ女性が不意に、すこし遠くのテーブルの上に置いてあるものを見て「かわいい」と言いながら寄っていき、スマートフォンを構える。男性は面食らい、え、何?と言いながらあとをついていく。「何?何を撮ってるの?」「なんだろうこれサボテンかな?かわいい」「それって本物?作り物じゃない?」「毎日、日記書いてるんです。だからかわいいの見つけたら写真撮ることにしてて」「俺のことも書いてくれる?」「はい」全部会話が聞こえてくる。もうこれ以上聞きたくはなくてズズと全部レモネードを啜ってごみを捨て、店をあとにした。

嫌なものを見た気がする、嫌なものというのが不当にジャッジしている表現とすればもっとやわらかく言えばなるべく見たくないものを見たっていう感じだろうか。ああとにかく何もかもが嫌だな。渡辺通りの方角へ歩いていると友人から連絡が来る。ヘイジーなビールが入った飲みかけのビアグラスの写真でメッセージは「アペロ」と一言だった。夕方予約したレストランで合流する予定だったが友人はもう明るい時間からビアバーで飲んでいる。あのチャラいビアバーだ。飲みたい、飲んで今見たものをなるべく速やかに忘れたいよ。すぐ合流する旨を連絡してそそくさと移動する。すれ違う男女二人組を見るとさっきのような人たちではないかとなるべく目を逸らす。それが嫌というよりはそれに関するあれこれを考えるのが嫌なのだ。神経細胞の発火の回数は有限なので嫌なものについて考える時間はなるべく少なくしたいのだ。

ビアバーに続く曲がった小径を入り無事一昨日の夜一人で来たそこへ到着する。店を覗くとL字カウンターの一番奥に友人が立ち飲みしている。息継ぎしながら泳いで岸にたどり着いたような心地でカウンターの奥へ進み、友人が片手だけ挙げるのでその隣へ立つ。チャラいサービスの男性が「あれ?◯◯さんじゃん」と私が一昨夜帰るときに教えた呼び方でカウンターの中から名前を正確に呼んでくるのでまじでビビる。一昨日は深夜だったから眼鏡をかけていて今と印象がけっこう違うのによく顔と名前を覚えて判別できるなと思う。すごい。すごすぎる。「このお客さんと一緒だったの?友達?この人ねえ今週何回も来てくれてるんだよ」と友人を指して言う。知ってます。友人はビールに詳しいのでどれを飲めばいいか尋ねるとこれでいいんじゃないと言われたのでアメリカのクラフトビールをオーダーする。「どこのビール?」「ミネソタのクラフトビール」「ミネソタってどこかちょっとわからない」「たぶん形が四角い、四角くて湖がある」「たぶん赤い、勘だけど」とめちゃくちゃ言っていると「あいよっ」とか言いながらサービスの人がビアグラスを持ってきてくれる。赤いというのはレッド・ステイツということだ。あとで調べたらミネソタは全然レッド・ステイトではなかった。青かった。場所はわからなくても日本人が名前をうっすら知ってるような州はたぶんだいたい青いのだ。トランプじゃなくてクリントンに入れてる。「さっきパパ活見た」と言うと友人も顔をしかめた。「父娘じゃないの」と言われ、作りもののサボテンのinstagramと日記のくだりを説明した。こんなことを説明したくない。結局めちゃくちゃよかった骨董の燭台のことより最新の嫌だったパパ活目撃のことを共有してしまう。人間というのは不幸を分かち合うことを優先してしまう生きものなのかもしれない。ミネソタのNEIPAは直球に美味しかった。NEIPAが流行した時代にクラフトビールにハマれてよかった。とても自分の口に合うのだ。友人が次のビールを選んでいる。ロシアのミルク・スタウトとか名古屋のハイチュウを使ったヘイジーIPAとかすごいのがいろいろある。ハイチュウて。惜しむらくは我々には時間がないこと。あと10分くらいでアペロのこの店を出てワインをさらにこれから大量に飲む予定があるのだ。

カウンターの中のチャラいサービスの人が、スマートフォンを横に構えてリニアに動かし入り口の方から客席の動画を撮影しながらやってくる。まだ16時前なのにビアバーはほぼ満員。instagramのストーリーにカウンターの満員御礼を動画でupしているのだ。これ、昨晩最後に行ってさんざん飲んだアパート一室飲み屋でも混んで来たときにタトゥーの入った店主が同じことをやっていた。カウンターの中から自分の客が飲んでいる楽しそうな様子をストーリーにupしていた。他の人はどう思っているんだろう。正直私はあまりいい気持ちはしない。福岡に来ていることをTwitterで言っていたし、私はTwitterでフォロワーがなぜか2万人以上いるので何かのきっかけで特定をされたらそういう自分でコントロールできないプライベートな情報の流出みたいなことにつながるのではないかみたいな懸念があった。いやいやTwitterなんてしなければいい、Instagramもしなければいい、ただオフラインにして生きればそれでいい、そうすればそもそも他人のInstagramのストーリーに怯えることもない。そして誰かを怯えさせることもない。でも、発信も受信もしなくてもいいのになぜかもう10代のころからずっとしてしまう。やめたことはない。やめたことはないというのはもう呼吸みたいなものなのかもしれない。

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