「絶対城先輩の妖怪学講座」の思い出話や感慨などなど

 わたくし峰守が書いておりました「絶対城先輩の妖怪学講座」という小説が、先日、全十二巻で完結しました。ここまで続いたシリーズは私にとっては初めてで、その完結に際して思い出したことや思ったことなどを備忘を兼ねて書いておきたいなあと思ったので、このエントリーを更新した次第です。オチにも触れたりしておりますので本編未読の方はご注意ください。あと、とりとめのない内容ですがご容赦ください。

 一巻が出たのが2013年の初夏なので、書き始めた(というか、構想を始めた)のは2012年だったと思います。日記などを残しているわけではないので曖昧ですが、2009年にメディアワークス文庫が創刊されてから三年ほどが経過し、「ライト文芸」という(そう呼ばれるようになる)ジャンルが方向性を探っている時期だったような記憶があります。まだ講談社タイガや新潮文庫nexも創刊されておらず、ライト文芸自体がなんとなく手探り状態で、あやかしもの・妖怪ものも定番ジャンルというほど定着しているわけでもなかった時期、という体感です。
 正直、上手いタイミングで呼んでもらえたとは思っています。というか、電撃文庫で少年主人公のラブコメしか書いたことがなく、大学生の女子主人公も、その視点から描写される男性ヒーローも書いたことなかった自分によくこの企画をやらせてくれたなと思います。

 うろ覚えなのですが、最初は「選ばれすぎしもの!」(電撃文庫で全三巻。とても気に入ってる作品です)の頃、電撃文庫用に提出したプロットだった気がします。私はプロットを何本かまとめて出すことが多いのですが、そのうちの一つで、戦後間もない時期、身寄りがないけどポジティブで惚れっぽい少年が大道芸人のお姉さんに拾われて(と言うより、少年がお姉さんに惚れて同行し)、旅の道中で妖怪伝承の真実を知っていく……みたいな話だったように思います。
 ただ「妖怪ぬらりひょんの正体が○○で、明治期に絶滅させられており、それを財閥なり政府なりが隠蔽した」というオチはこの頃から決まってました。当時の僕はこのネタ(この文中で言う「ネタ」とは物語におけるキャラクター以外の要素のことです)を異様に気に入っていて、誰かが同じネタを書く前になんとしても世に出さねばならんと思っており、会う人会う人にこの危惧を力説していた記憶があります。どうかしている。

 で、その後いろいろあって「女子主人公と男性ヒーローのコンビの妖怪ものをメディアワークス文庫でやってみない?」というご提案をいただきまして、どういう主人公で行くかとなった時、以前に電撃文庫MAGAZINEで書いた読み切り短編小説の女子主人公(ボーイッシュで行動的な女子高生でした)が書きやすかったし好きなタイプだったので、ああいう感じで……と考えて生まれたのが、湯ノ山礼音というキャラクターでした、確か。

 絶対城については、舞台が大学となったあたりで、大学にいそうな(いてほしい)怪しい先輩、というイメージを膨らませて作ったように記憶しています。

 舞台を大学にした経緯ははっきり覚えていないんですが、ただまあ、元々大学は好きでした。というか「大学」「学生」という場所や属性が好きでした。森見登美彦先生の作品やいしいひさいち先生の「バイトくん」なんかで培われた「大学には変な人がいてほしいし、それが許容されてほしい」という願望が僕にはずっとあって、「資料室に住み着いている学内名物の変な先輩」という絶対城のキャラはそこから来ているように思います。
 あと、学生時代というのは一種の試行期間、「試しに一回やってみる」が通じる時間であってほしいという思いもあり、最後に礼音が転部したところで終わるのは、そのあたりが由来です。学部を移ると大変なのは分かってるし、この後どうなるか分からないけど(まあ作者としては上手くいくとは思ってますし幸せになるとも思ってますが、本文中で明言されていないことは作中事実ではないので)本人がそう思うならそれができるべきだし、それが許されるのが学生であるべきですよね、みたいな。

 話がいきなり変わりますが、私(およびこの「絶対城先輩」というシリーズ)、京極夏彦先生のフォロワーと思われることがたまにありまして。無論京極先生の小説は読んでいますが、「絶対城先輩」に関してはむしろ田中啓文先生の「UMAハンター馬子」の影響がめちゃくちゃ大きかったりします。「UMAハンター馬子」はふてぶてしい関西人のおばはんがUMAの正体を暴いていく連作で、あの世界観はオカルト要素が有りなんですが、オカルト要素のない世界で妖怪の正体や由来を暴いていく、みたいな話も読みたかったんですね。でもそういうのはあんまりない。
 歴史ネタなら、本能寺の変の真実を暴いたりするミステリーは定番なんですが、「ぬらりひょんって一体なんだ」とかやってる作品は僕の知る限りはあまりなかったわけです。それが「絶対城先輩」を書いた理由の一つなわけですが、こういうのもっと増えてほしいですね。増えろ。

 そしてまた話は変わりますが、2000年代というのは妖怪の情報がわっと増えた時期でした。小松和彦先生らによる妖怪研究の学際化、それを踏まえた成果としての各種文献や日文研データベース(あれで知らない妖怪がぞろぞろ出てきたときの衝撃!)、村上健司さんの「妖怪事典」のインパクトなど、具体例は多々ありますが、ともあれ知らなかった情報がどんどん出てきた時期だったんですね。
 自分がその頃に成人して本を買うお金がある程度自由になるようになったのもあって、いろいろ知識が増えたし、妖怪ものののフィクションは元々好きだったので、そういう本を読んでても「この妖怪はこういうキャラやこういう話に使えそう」とか考えるわけです。そうやって生まれたのが私のデビュー作の「ほうかご百物語」なんですが、実際に妖怪が出てくる世界観だと、妖怪を出す際に姿形を一つに絞らないといけない。伝承のバリエーションは広いのに。
 色々読んでると「どうしてこういう伝承が出来たんだ」ということが気になってきますし、ネタも思いつくんですが、それを追求する話をやるには妖怪が実在しない世界観の方が好都合だな、ということを「ほうかご百物語」を書いてる途中から思うようになっていて、その視点は井上円了の妖怪学と重なる(と言いきれなくもない)な、と。元々円了は命名センスも含めて好きだったので、じゃあ円了の命名した施設から名前を借りよう、ということで、「絶対城」になった……といういきさつだった気がします。

 ともあれ企画が固まりまして、書き始めることになました。男性ヒーローの魅力的な描写に悩んで色々あったんですがそこは省略しまして(担当編集様にはそれはもうお世話をお掛けしました)(よく見捨てられなかったと思う)、結果、意外と売れてくれてびっくりしました。言うまでもなく本を買う人はオチや作風を知ってではなく、カバーやあらすじや帯で判断して買うわけで、水口十先生のイラストあってこその売れ行きだったんだとは思いますが、でもまあ二巻以降も(ドカンとハネたりバズったりすることはなかったものの)打ち切られない範囲で売れてくれていたので、作風やノリも許容してもらえたんだとは思っています。ありがたいことです。

 手探り感覚で始まったシリーズなので、絶対城というキャラクターの肉付けは巻を追いながらやっていった部分が大きかったです。何のために何をやっている人か、くらいは最初から決めていましたが、それ以外の部分は後から盛っていきました。
 作者とキャラクターは別物とは言いますが、作品内の倫理観や善悪基準には作者の観点がどうしても出ます(と私は思います)。主人公やヒーローのスタンスもそれと同じで、「忘れられていく事実は誰かが覚えておくべき」「いつか誰かが知りたいと思うかもしれないから記録は残すべき」といった絶対城の考えは私の思うところでもありました。言わせたというよりは、絶対城が繰り返しそう主張する中で、改めてそう考えるようになった印象が大きく、なるほど作品に教えられることもあるんだな―と思ったりしたもんです。その後に書いた「こぐちさんと僕のビブリアファイト部活動日誌」「帝都フォークロア・コレクターズ」にもここらへんの意識は反映されております。分かりやすい。
(余談ですが、この「資料と記録は残して開示しろ」という絶対城のスタンス、そんな変なことを言っていたつもりもないですし、特定の何かや誰かを批判したわけでもなかったんですが、公文書の改竄や隠匿が常態化している現状だと政権批判にも見えてしまう感もあり、なんというか困った国になってしまったなあ、という思いはあります)
 なお、絶対城先輩が「学術的意義を重視するし、空気も読めるし、友人知人を大事にするし、倫理観も割とまとも」という、ちゃんとした人になっていったので(まあ元々そこまで倫理観のおかしい人にするつもりもなかったんですが)、でも変な研究者も欲しいよね、ということで、中盤以降に出てきた晃は他人の迷惑を顧みず好奇心と独自の倫理で動くキャラとして設定させてもらいました。どっちのタイプも(というか主だった登場人物は全員)私の好きな性格なので、気に入ってもらえていたらありがたい限りです。

 シリーズが続くのは嬉しかったんですが、他の作品より話作りは大変でした。妖怪には実在する伝承があるわけで、それを踏まえた上で(もちろん情報の取捨選択はしますが)サプライズ的な真相や正体を考えないといけないし、しかもそれが解明されることで事件が動かないといけない。
「天狗の正体は○○だったのか。じゃあ論文にして発表しよう」だと娯楽小説のオチとしては弱いんですね。「○○の正体は○○で、それが分かったので事件が収まる」という展開にしないといけないし、シリーズを重ねていくと前と同じオチは使えないし、センシティブなネタももちろん使えない。大変ですけど楽しかったです。結果、あの世界は人間以外の知性がそこら中にいることになったわけですけども、それもまた楽しくていいよねーとも思います。

 で、そんな感じでシリーズは続き、全十二巻、足掛け七年弱で完結しました。自分で言うのもなんですが、ちょうどいい長さだったかなと思います。ネットの感想、あるいはファンレターなどを拝見すると、中高生の頃に読み始めた方が結構多くてですね。ツイッターでも書いたんですが、その時代に完結まで追っかけたシリーズって結構後まで残るんですよね。もちろん成人や社会人や小学生の方に読んでもらうのも同様に嬉しいんですが、シリーズ刊行中に主人公の年齢に追いついたり追い越したりしてもらえるというのは何かこう特別な感慨があるわけです。
 あと、高校時代以前に読んだフィクションで描かれる大学ってものすごく自由で楽しそうに見えたので、そういう感動を与えられていたなら、光栄だし恐縮だしありがたい限りなわけです。絶対城の修めている妖怪学は現行の学問ではないですが、調べて何かが分かることの気持ち良さ、知っているものにバックボーンがあったことを知る快感なんかを伝えられていたならなおのこと嬉しく思います。

 完結するのが残念という声もいくつかいただきました。そう思わせてしまったのは申し訳ないですが、そう思ってもらえるシリーズになれたことは嬉しいです。
 私の好きなゲームに「終わった物語はな、伝説になるんだ」というフレーズがありまして、まあそういうことなんだと思っておりますし、作者的には満足してます。全十二巻というのは、まとめて買ったり図書館でちょっとずつ読んだりしやすい長さですし、内容については言うまでもなく面白いですし(作者は自作のことを超面白いと思うものなのです)。

 もう一つ嬉しかったのは、「代表作」になってくれたこと。他編集部や他社から出た本の帯にも「絶対城先輩の妖怪学講座の峰守ひろかず」と書いてもらえることが増えまして、そういう意味でも忘れがたい……というか忘れようのない作品であり、忘れられないキャラクターになってくれました。イラストで絶対城たちに姿形を与えてくださった水口十先生、舵取りを担ってくださった担当編集様、そしてシリーズに寄り添ってくださった読者の方に、改めて深く深く感謝します。以上です。