ココロ ―短編小説―

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 わたしはA山の中に住んでる。

 山のふもとの小学校までは歩いて40分くらいかかるけど、でもわたしは平気だった。だって、この山にはたくさんの生き物がいるから。

 特に好きなのがリスさん。リスさんは毎日せっせとドングリを集めてて、それをお家に持って帰るの。たまにね、ほっぺがプックリふくらんでてかわいいの。

 そんなリスさんや、キレイな羽の鳥さんやかわいいタヌキさん。彼らを見ながら小学校へ行くから、ぜんぜん退屈じゃない。しばらく歩けば森の生き物たちとはバイバイするけど、今度は学校の友達と会う。わたしの住むこの村は、カソカっていう問題で、みんな同じ小学校に通っているから、みんなみんな友達なんだ。

「おはよー!」

「あ、おはよう」

 わたしがそこで出会ったのは綾音ちゃん。おんなじ四年生。

 綾音ちゃんは少し前までなんだか暗い子だったんだけど、今は明るい女の子。良いことがあったんだ、って言ってた。

 わたしが手をふると、綾音ちゃんはトテテテとこっちに走ってくると、「今日はだいじなだいじな日なの!」とにっこりした。

「だいじな?」
「うん。とってもとってもだいじな日!」

 だいじな日ってなんだろう。だれかのたんじょう日かな? それとも……ううん。よくわからなかったけど、わたしも笑った。

 それからわたしと綾音ちゃんの二人でお話をしながら学校へ向かった。

「あたしの家のパンダローがね、昨日お座りを覚えたんだよ」

「すごーい! 綾音ちゃん、前から教えていたもんね」

「うんっ」

 パンダローというのは綾音ちゃんが飼ってる犬の名前だ。白い毛に黒いハンテンがあってパンダのようだからパンダロー。

 パンダローは今年で五歳だから、人間で言えば……。わかんないや。今度、お母さんに聞いてみよう。わたしがそう決意したとき、学校が見えてきた。古ぼけた小さな学校だ。ペンキははげちゃってるし、横にひらく戸はさびてて開きづらいけど、でもわたしのだいすきな学校だ。

 校門の前では飯島センセーがあいさつしてた。飯島センセーは女の先生で、長い髪がとてもキレイだったんだけど、おととい、その髪を切っちゃったの。だから今ではショートなの。でもやさしくてキレイでやさしい先生!

「せんせー、おはよう!」

 綾音ちゃんが言うと、先生もにこにこ笑顔で、

「おはよう」

 と言った。

 わたしもおはようを言わなきゃならないと思って、飯島先生におはようをした。

 でも、先生はこっちを向かなかった。

 何でだろう。聞こえなかったのかな。わたしはもう一度、おはようをした。

「『おはよう』じゃなくて、『おはようございます』でしょ?」

 あれ? さっき綾音ちゃんは「おはよう」って言ったと思ったんだけどな。よく覚えていなかったからはっきりとはわからないけど。でも、いつもは「おはよう」でも飯島センセーはにこにこして「おはよう」って言ってくれてた。

 なんか変なかんじ。

 でも、もしかしたらわたしのカン違いかもしれない。うん。そうかも。

 だからわたしは「おはようございます」と言った。

 先生は怒らなかった。でも、先生はあいさつを返してくれなかった。


 学校は一階建てで、一年生と二年生、三年生と四年生、五年生と六年生が同じ教室を使ってる。(前と後ろに黒板があって、二人の先生が別々の授業をするんだ)。

 だからわたしと綾音ちゃんは三年生といっしょの教室。もちろん、他にも四年生はいる。男の子二人と女の子一人。

 わたしはその中の男の子、健太くんが好きだった。健太くんはかっこよくて運動ができてみんなの人気もの。健太くんと目があうと、頭の中がぽぉってする。心臓がドクドクって音を立てる。だから健太くんが好きなの。

 そのことを綾音ちゃんは知っている。

「もしかしたら健太くんが好きなの?」と聞かれたのは三年生のとき。「なんでわかったの?」と聞くと、「私、友達いないからみんなを観察するくらいしかできないから」と悲しそうに答えていた。

 このころの綾音ちゃんはまだ暗かったからそうなんだろう。それでも、さっきも言ったけど最近は元気いっぱいだ。おかげで友達がたくさんできて嬉しそうに見えた。

 ともかく、そんなたのしい教室へ、わたしと綾音ちゃんは入った。

 がらがらがら。

 って、開きづらくってかたい戸を開けると、真っ先に健太くんの顔が目に入った! だってだって、戸のすぐ近くにいたんだもん!

 わたしは耳まであつくなっちゃって、はずかしいから視線をそらした。教室の後ろにある黒板を見る。「日直 井坂こうた」って文字があった。ちょっと汚い字。

「健太くん、おはよう」

「おはよう、綾音ちゃん」

 綾音ちゃんは健太くんにあいさつするけど、はずかしくってわたしにはできない。あーあ、わたしも健太くんにあいさつしたいな。いっしょにお話ししたいな。

 そう思うんだけど、でもやっぱりはずかしいから、「日直 井坂こうた」をぼぉっと見つめて席についた。ため息まじりにランドセルを開けて、教科書とかクマさんの筆入れを取り出す。

 今日は国語と体育と算数と理科と図工だから――。

「あ……」

 算数の教科書がない。

 たぶん、うちにわすれてきたんだ。

 先生には後でごめんなさいしないとな。それに、授業のときに綾音ちゃんから見せてもらわなきゃ。ううん、今日はなんだかついてない。またため息。

「うおぉぉー……!」

 教室が少し騒がしい。

 男の子と女の子、みんながみんな興奮してる声を出してる。なんだろ。わたしは気になったけど、でも今のわたしは落ち込みモードだし、先に綾音ちゃんにお願いしなきゃならないから綾音ちゃんを呼ぼうとしたら――


 ――綾音ちゃんが健太くんとチューしてた。


 あれ? どういうことなんだろう? 

 綾音ちゃんはわたしに気づいたみたいだけど、それでもチューをしていたままだった。

 チューと言っても、くちびるとくちびるを合わせるだけのものじゃない。

 わたしが想像できるチューと全然違う、何て言ったらいいんだろう。

「濃い」?

 違う。

「気持ち悪い」

 そう、「気持ち悪い」チュー。

 何でだろう。綾音ちゃんはわたしが健太くんが好きなのを知ってるはずなのに。わたしは胸がきゅぅって苦しくなった。うまく息ができない。わたし、おかしくなったのかな。綾音ちゃんは見せつけるように健太くんとチューを続けた。

 何か、ここにいちゃダメな気がした。

 わたしは教室を出た。

 怖かった。

 綾音ちゃんが怖かった。

 綾音ちゃんが綾音ちゃんじゃないみたいだった。

 あのチューはわたしに見せつけるためのものだったのかな?

 なんで? 友達だと思ってたのに。最初から、最初から綾音ちゃんはわたしと友達じゃなかったの?

 そうなんだ、そうだったんだ……。

 綾音ちゃん、前の綾音ちゃんがよかった。前の方がよかった。なんで、変わっちゃったんだろ。それに、健太くんはどうなんだろ。ほんとに綾音ちゃんが好きなのかな?

 健太くん……。

 なみだがこぼれた。

 目から出たなみだがほっぺを伝ってあごの辺りで落ちていく。ポタン、ポタン。気がついたら廊下にはなみだで作られた水たまりがあった。わたしの体のどこにこんなになみだがあったんだろう。わからなかった。わたしはただその水たまりを見ながら泣いた。

 うすく広がった水たまりは、窓から入った光を反射しなかった。

 泣いていたのは五分もないくらいだと思うけど、わたしにとっては何時間も経った気分だった。泣いている姿はだれにも見られなかった。

 朝の会にはまだ時間があったけど、私は教室に戻ることにした。教室が近づくと、また胸が苦しくなる感じがした。死んじゃうかもしれないと思ったけど、私は死ななかった。

  がらがらがら。

 って、開きづらくってかたい戸を開けると、綾音ちゃんと健太くんはチューしてなかった。綾音ちゃんは自分の席で本を読んでるし、健太くんは前の席の男の子とお話ししてた。でもなんだか、へんだ。へんなフンイキだ。

 わたしは息を吸って吸って、それから吐いて。勇気をふりしぼって健太くんに声をかけた。わたしから話しかけるのは、これが初めてかも。

「健太くん、さっき綾音ちゃんと――」
「うるさいなあ、別にどうだっていいだろ。話し掛けんなよ。お前は仲間じゃないんだから」
「えっ……」

 ――仲間じゃない。

 どういうことなんだろう。健太くんはわたしを友達だと思ってくれていなかったのかな。そりゃあ、お話しはあまりしたことないけど。

 でも、ひどいな、と思った。

 健太くん、優しい男の子だと思ってたのに。

 涙が出そうなのをこらえて、わたしは自分の席に座った。

 窓側の一番はじっこに座るわたしには、となりの子が綾音ちゃんしかいない。だから、算数のときに教科書をいっしょに見せてもらわなきゃならない。どうしよ。その綾音ちゃんはジロジロと何度もわたしを眺めては、クスッ、と笑うのだった。

 なんか、もう嫌だ。わたしは思った。

 結局、その時に綾音ちゃんとは何も話をしないで五分経った。

 がらがらがら。

 って、やっぱり音を立てて教室の戸は開いた。

 そこからは二人の先生が入ってきた。三年生の先生と四年生の先生だ。四年生の先生はもちろん飯島センセーで、三年生の先生は田川センセーっていう男の先生だ。

 飯島センセーは前にある黒板のとこに立ち、田川センセーは後ろの黒板のとこに立った。小さな机があって、そこに飯島センセーはノートとか何とか色んなものを置いた。きっと後ろの黒板の田川センセーも同じことをしているんだろうな。

「出席をとります」

 長くてキレイだった髪をばっさり切っちゃった飯島センセーは、自分の短い髪をだいじそうにさわりながら言った。

 それから一人ずつ名前を呼ばれて、みんな「はいっ!」って元気に手を上げる。わたしもとびきりの返事をしようと思って、ドキドキしながら待った。

 でも、わたしの名前は呼ばれなかった。

 わたしだけ、呼ばれなかったんだ。これって、どういうことなんだろう。わたしは考えた。きっと、先生は呼び忘れたんだね。誰でも失敗はあるよね。飯島センセーはときどきどじをしちゃうから、それだと思う。

 けど、違った。

「男の子二人、女の子二人。全員出席ね。私は元気な子が好きよ」

 先生のその言葉の意味がわからなかった。ええと、男の子は健太くんと太一くん、女の子は綾音ちゃんと薫ちゃんとわたしがいる。男の子は二人だけど、女の子は三人が正解だ。

「あれ、先生、私は……?」

 なんか背中がぞわぞわして、呼吸だって変になってきた。健太くんも綾音ちゃんもわたしのことをじっと見てて、なんだか悪いことでもしてるみたいだった。二人だけじゃない。みんなだ。四年生も、それから三年生も。みんなみんなわたしのことを見つめてるような気がした。じぃって、見る。じぃって、見てる。

 そして先生は言ったんだ。

「あなた、誰?」

「……え?」

「あなたは私たちの仲間じゃないんだからここにいないでくださいませんか?」

 仲間じゃない。そういえば、健太くんにも同じこと言われたっけ。私はまた泣きそうになったけど、泣いちゃダメだと思ってくちびるをぎゅっと噛む。横で綾音ちゃんが笑っている。くすくすくす。綾音ちゃん、酷いよ。どうしてこんなことになったんだろう。わたしはいつも、みんなと友達だと思って過ごしてきたのに、それが今日になって全て壊れてしまったようだった。

 きっと――。

 そうだ。きっと、朝に先生への挨拶で「おはよう」って言ったからなんだ。「ございます」まで言わなかったから先生は怒ってるんだ。それなら、謝らなきゃ。許してもらえるように、謝らなきゃ。

「せ、先生。本当にごめんなさ――」

「それじゃあ授業を始めるわね」

「あ、あれ……?」

 先生。なんで? なんでわたしを無視するの? 先生はまだわたしのことを怒っているんだ。それなら、謝らないと。

「先生、すみませんでした……」

 許してもらえるかな。

「教科書の二十三ページを開いてください。はい、それでは太一くん、読んでください」

「……」

 わたしはもう、教室にはいないんだ。

 もうこれ以上謝ったって、先生は許してくれない。なんでかわからないけど、わたしはもう学校にいちゃダメらしい。わたしは黙って教室を出る。

 綾音ちゃんも健太くんも飯島センセーも太一くんも薫ちゃんも田川センセーも三年生たちも、みんな、教室から出ようとしているわたしを笑いながらにらんでた。

 こわかった。

 私の何がいけなかったのかはよくわからないけど、みんながこんなに怒るということはきっとわたしが悪いのだろう。

 がらがらがら。

 開けづらい戸を開けてわたしは廊下に出た。しーんと静まった廊下。誰もいなかったけれど、解放感は無かった。

 自分の下駄箱は開けなかった。わたしの外ぐつは消えているか、ボロボロにされてると思う。そんなのはわたしの外ぐつじゃない。だから私は内ぐつのまま校門を出た。

 すると、なみだがぽろっと落ちた。

 袖で拭った。けど、またあふれた。どうせもう一度拭ても止まらないんだろう。仕方がないから放っておくことにした。なみだを流しても現実は変わらないってことを、わたしは初めて知った。

 ぽろりぽろりとなみだが落ちる。わたしは構わない。

 なみだが土に染み入って消える。わたしは知らない。

 振り返って学校を見た。

 なみだが止まらない目で、学校を見た。

 みんな、みんなみんな、私のこと、嫌いになっちゃったのかなあ。昨日まで仲良くおしゃべりしたり遊んだりしていたのになあ。なんでだろう。なんでなんだろう。


「みんな、心がっているんだ」


 私は今日、この古ぼけた学校が、嫌いになった。


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