ソバ―ショートショート―
「蕎麦の打ち方というものを教えてください」
そんな若造が後を絶たなかった。むろん、私は断る。
私はこの方半世紀を蕎麦に捧げてきた。妻も持たず、子も作らず、自分の代だけの刹那な伝説として蕎麦を打とうと決めたのだった。だから誰にも私の技術を教えようなどとは考えもせず、それを懇願するものには首を縦に振ったためしがなかった。
そば処『いただき』。私の店には従業員が私の他には居ない。それは私の技術を盗まれたくないという思いと、誰かと馴れ合うために蕎麦を打っているのではないという思いからだった。
それを哀れむ者もいる。誰とも交わることもなく、孤独でかわいそうだ、などと勝手な推論を立てる者もいるが、一人を孤独と思う者の気が知れなかった。一人とは、自由ということである。それになにより、私の店には人が来る。その者たちとは注文の際以外に口を交わさないのは言うまでもないことだったが。
そして、そんなとき、ある男がやってきた。
「注文良いですか?」
私が他の客の蕎麦をゆでているときだった。私は「ああ」と返し、先の客に蕎麦を出してから注文を聞いた。
「なんだ?」
「メニューにはありませんが、ラーメンありますか」
と、それは唐突だった。
若者は、その問いに迷いがなかった。
「ラーメン? なんだお前、ここはそば処だぞ?」
「え、ないんですか? はぁ、困ったなあ……」
若者は頭をかいて再度メニューに視線を落とす。そしてため息。
「ないのかぁ……」と小さくこぼした。
その姿が、私をひどく苛立たせた。
「そんなにラーメンが食いたいのであれば、出て行け!」
そう怒鳴ると、他の客は一斉に私を見た。若者は驚いたような顔をするが、反省の色はこれっぽっちとなかった。むしろ、私の一言に怒りが込み上げたように立ち上がった。
「なんですか、ラーメンの一つも出せないで何がそば処だ」
「なんだと?」
「ラーメン否定するなら、まずはラーメンを極めてから言え!」
なんとも破綻した論理だったが、それは少しだけ心に来るものがあった。
「うるさい、出て行け!」
私が再び叫ぶと、若者は下唇を噛みながら腰を丸めて帰って行った。
それからというもの、若者は毎日私の店に来ては「ラーメンはないのか」と尋ねた。そのたびに私は彼を追い返すのだが、それでもめげずに毎日来店した。一口も蕎麦を口にせず、それなのにいつしか若者は常連客のような存在になった。それでも、私に「一度ラーメンを作ってみればいいじゃないか」と言ってくる客は他にはいなかった。それがなぜか、寂しく思えた。
(……いや、何が寂しいだ。一人が孤独と思う者は、そもそもが弱いのだ)
と心の中で呟きながら蕎麦を切っていると、
「おぃーす」
と、それはもうあの若者が来たという合図になっている声が聞こえた。
今は誰も他に客が居ない。若者はずかずかとカウンターに座ると、メニューを見た。
「ラーメンならないぞ。そんなに食いたいならよそへ行け」
私は初めて先手をきった。
若者は顔を上げ、何か反論するかと思ったら、
「蕎麦、一つ」
と言った。
それはあまりにも拍子抜けで、うっかり蕎麦を太く切ってしまった。
「……わかった」
蕎麦を注文されたとあれば、私は蕎麦を出そう。それも、この若者に「うまい」と言わせられるほどの蕎麦を。
そして出した蕎麦に、若者は箸をつけた。
蕎麦をすする音だけが店内に響く。
数分後、若者は汁までのこさず完食した。
私は、心中穏やかではなかった。これでまずいと言われたら……。
そして若者は、
「うまかった」
と言った。
「ああ」
無愛想に私は答えるが、嬉しかった。
すると若者は言った。
「この蕎麦の打ち方、教えてください」
そして私は――――。
〈了〉
…………
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