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WordPressが生み出す価値

WordCamp Ogijima 2020 ONLINEが2020年9月6日(日)に開催された。
WordPressを使うデザイナーやエンジニアだけでなく、これから使おうとする人たちも集まるイベントはいくつかあるが、「Camp」と名が付くものはそれらの中でも大規模なものと言っていいだろう。日本では東京や関西地域だけでなく、海外でも世界各地で開催されている。
しかし今年はコロナの影響でリアルの開催が困難なことは誰でも容易に想像できる。実際、日本ではどこもCampは開催されていない。自分自身も開催は期待していなかったが、オンラインで開催されると知って一般参加した。

今回のWordCampに参加して感じたことと、それを書く前にWordCampとの出会いにも少し書いておこうと思う。

WordCampとの出会いは2011年

初めてのWordCampも初めてWordPressを触ったのも WordCampKobe2011 だった。ピンクのTシャツを着たスタッフたちが楽しそうに切り盛りしている姿がとても印象的だった。

彼らを見て「次から絶対スタッフとして参加しよう!」と思った。実際翌年のWordCampOsaka2012では存在感の薄い実行委員をした。それ以降はしばらく個人的な事情で参加できなかったものの、WordCampOsaka2015で再び当日ボランティアとして参加した。この年と翌年はハンズオンのサポーターもやらせてもらった。その後も2019年に至るまで関西で開催される全てのWordCampにはボランティアスタッフとして参加している。
ちなみに2015年から3年間はWordCampTokyoも当日ボランティアとして参加させてもらった。

他のIT系のイベントには無い多様性

もちろんWordPressのイベントなのでコンテンツとしては技術的なことが多いものの、ブロガーの人の話しなどもある。また参加者もまだWordPressを知らない人や漠然と「何かのヒント」を探しに来ている人も多い。

他のIT系のイベントにも参加したことがあるが、どれも「すでにその道の人」しか集まらない。場違いを感じたのは1度ではない。

WordCampは登壇者も参加者も多種多様で「すでにその道の人」以外の人にでさえも門戸が開かれていて自由だ。誰にでも必ず居場所がある。それがWordCampの素晴らしさだと思う。

WordCamp Ogijima2020 が教えてくれた2つの価値

1.リアルに勝るオンラインWordCampの価値

言うまでもなくWordCampはWordPressが生み出した素晴らしい価値のひとつだと思う。そして今回の男木島発のCampは多くの人にオンラインでさえもCampの魅力を体感できることを証明したと言っていいと思う。確かにリアルに全てが勝るとまでは言えないと思う。
しかし、地方の人や子育てで家を留守にできない人などリアルでは参加が難しい人にも参加の道を開いたことの意義は大きいと思う。そういう意味でもオンライン開催は「もうひとつの形」としてコロナ後にもあってもいいと思った人は少なくなかったのではないかと思う。

従来の東京や大阪などのWordCampはお金と時間、そして距離という制約をクリアできた人だけが参加できた。でもオンラインはそれらをほとんど制約することなく、参加を容易にする。「WordCampの民主化」が起こったという言い方もできるかもしれない。

2.WordPressに秘められた価値

言うまでもなくWordPressはブログやWEBサイトを構築できる。ECサイトでさえも作ることができる。かつてあるCampの登壇者は「WordPressでできないことを探す方が難しい」とまで言っていた。もちろんそれはWordPressという高度なプロダクトからくる技術的な価値だ。

しかし今回新たに気付いた価値はWordCamp定番のライトニングトークの中にあった。これは3分という限られた時間でスピーカーが自由に話すコンテンツだ。
数人のスピーカーの中、印象的だったのがブログについて語った「かっぱさん」だった。彼はその中で「ブログが自分の居場所を作る」といったことを言っていた。

仕事も無ければ買い物以外にどこか出かける用事もない。実際にそういう日常を過ごしている者には本当に「居場所」の大切さがわかる。子どもや学生の居場所を必死に作ろうとするNPOは腐るほど存在しているが、大人の孤独に目を向ける人はほとんどいない。だからこそ私は共感した。

ブロードバンドの普及でブログが生まれ、各種SNSが登場し、ポッドキャストや動画コンテンツもできた。そしてスマホを誰もが持つ時代になった。そうした環境の変化が進んでも「最強のツールはブログ」とブログの優位性の認識も広まった。
ブログは筆者が持つ「知」を蓄積できシェアできる。なおかつその人のブランディングにも役に立つ。実際にブログがきっかけで本を出版する人やプロブロガーとして生活している人がそのことを証明している。彼らは決まって自らを「凡人」だと称し、「だから誰にでもできる」とも言う。
しかしその理屈はわかっても、多くの人が「何を書いていいのか」というところで止まってしまう。

かっぱさんは自分が書けるものとして英語ドラマの解説のブログを書いているらしい。彼は他に仕事も持っているが、ブログを書き始めたことで「新しい居場所」を作ることができたんだと思う。ブログで居場所を作ることができるというのはすごいことではないだろうか。

光が当たらない人が自ら光を持つ

残念ながら孤独な大人の中には自らその人生を自ら終わらせる人も少なからずいる。NPOや行政からも気にもかけられず、居場所が自分の部屋だけという人も少なくない。日本経済もそれなりに悪くない水準を保てる様になって政府もようやく「氷河期世代支援」を打ち出したものの、コロナで消えてしまった。しばらくは公の力も期待できないだろう。

でも「彼ら」に居場所ができたらどうだろう?働ける会社でも趣味の集まりでも何でもいい。きっと生きる意欲が生まれる。実際に自分自身も2014年末に突然仕事を得られたおかげで生きる気力が生まれたから、その気持ちは誰よりも理解しているつもりだ。

居場所が見つからなければ失望の中でヒッソリともがき苦しむしかない。いわゆる「うつ」とか「引きこもり」も同じかもしれない。
しかし「もし居場所を誰でもWordPressで作れるとしたら、それってすごすぎないか」とかっぱさんの話しを聞いていてストレートに思った。支援を待つのではなく、自分の力で居場所を作ることができる。

ちなみにブログの登場をWEB2.0と言ってた2005年頃、無料のブログツールでブログを2011年頃まで書いていた。時事問題の論評や旅行、自分で作る料理の様子をガラケーで写真に取ってレシピを書いてはアップしていた。1日最高のアクセスは300足らずで、普段は10くらい。コメントをくれるのは主婦ばかりだった。ネタが無くなり、更新しなくなった。

他に探せば居場所を作ることができるツールはあるかもしれない。でも探さなくても、多くの人がWordPressを知っている。そう考えるとやはりすごいツールだと思う。だからこそ、まだ書きたいことは決まっていないが、WordPressでブログを書きたいと思った。

さいごに

今まで自分自身にとってのWordCampの価値は、人から刺激をもらえること年に一度しか会えない人たちとWordCampでは会えること、だと思ってた。もちろん、それは間違いでもないが、今回はオンラインのWordCampの価値を大いに認識できた。

一方でWordPressの価値は当たり前の様にその技術にあると思っていた。だから今までWordPressの価値自体を気にしたことがあまり無かった。

でも今回のオンラインのWordCampはWordPressの気付かなかった価値を教えてくれた。これが個人的には一番大きかったと思っている。

今まで光が当たらなかった人が自ら居場所を作ることができて自ら光を発することができる

なんて素晴らしいんだ。魅力的すぎないか。幻想ではないと思いたい。

本来ならこれはWordPressで書くべき記事だと思う。しかし現在個人のWordPressのサイトを持っていない。しかし鉄は熱いうちに打たないといけないと思い、図らずもnoteで別の記事の下書きを始めていたのにそれを差し置いて書くことになった。WordPress以上にnoteのことを知らなかったが、どうしても書いておきたかった。

サポートしていただければ幸いです。