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レーザー星人のひとりごと~岡山いいとこ紹介「古代ロマンの風: 鬼ノ城」

ヘタレのくせに、出たがり、歩きたがりのレ-ザ-星人です。
「最上稲荷」から「鬼ノ城」へ、前回の続編となります。
 
「鬼ノ城」は岡山県総社市奥坂と言う所にあります。
幹線道路からかなりの山道に入りますので、やはり車移動が
一番便利です。
近年、訪れる人も増加、人気の観光スポットとして、道の整備も
進んでいますが、いかんせん山深い立地のため、道幅が狭く
すれ違いは、そのための場所でないとちょっと困難で要注意です。
 
実は、20年ほど前に、いろんな所が復元工事中の「鬼ノ城」を
訪れた事があり、その時の工事車両専用道路に比べれば、ずいぶん
走りやすくなっています。
要所要所に係員が配置され、無線で上り下りの誘導をしてくれます。
どこにたどり着くんだろう?引き返した方がいいかな?でもUターン
する所もないぞ!って感じだった昔とは全然違いますがね。
 
で、「鬼ノ城」です、すり鉢を伏せたようなずんぐりした鬼ノ城山の
標高400m付近に、外郭の総延長約2.8kmを誇る我が国、最大級の
「朝鮮式山城」だそうです。
 
誰が何のために築造したのかってことで、諸説はあるんでしょうが
近年有力な説と、ちょっとロマンの有る説を。
 
近年有力な説としては、日本、百済連合軍と新羅、唐の連合軍が
7世紀後半に朝鮮半島で交戦した「白村江(はくすきのえ)の戦い」で
敗走した大和政権が、大陸からの追走を恐れ、九州から西日本の各地に
設けた防御施設の一つであろうというものです。
 
「鬼ノ城」は現在の地形からしますと、かなり内陸部に位置している
ように思われますが、7世紀中ごろの吉備地方(岡山県総社市付近)は
海面が高く、最寄りの港であった「吉備津」とは約11km程の距離
だったと推定されています。(「津」って全国の地名を見ていくと
分かりますが「港」と言う意味でよく使われていますよね!)
 
畿内の大和政権としては、岡山あたりを最終防衛ラインとして敵の
進行を防ぎたいという思惑から、瀬戸内海を遡上してくる海路の敵と
日本海側から上陸、山越えで侵攻してくる敵の双方に対処できる重要な
拠点としてこの場所を選んだのではないか?という「大和政権築城説」。
 
ロマンの有る説としては、こちらはおなじみの「桃太郎」の昔話に
繋がる「温羅(うら)伝説」と呼ばれるもので、事の発端は前述の
「大和政権築城説」に近く、7世紀後半に朝鮮半島での権力争いに
敗れた「温羅」という一人の王子が一族を引き連れて日本へ逃亡
してくるところからです。
 
大和政権とは関わりのない、あくまでも、外来種として描かれている
ところは大分違いますが「朝鮮半島での戦いに敗れて」と言うところが
同じ根から違った物語に発展していく古代ロマンの面白さでしょうか?
 
コチラの説は7世紀後半ぐらいのお話と言うことで、もう学説じゃなく
伝説、おとぎ話の範疇なんですね!
 
その王子は身長5m近い巨人(伝説なんで突っ込まない)で、大陸の
先進的な技術(製鉄、造船など)と技術者の集団と伴に吉備地方に
入津します。
 
土地の人々は、恐る恐るでしょうが、大陸の優れた技術に魅了され
たこともあり、次第に、その存在を受け入れ同化していったのでしょう。
 
ですが戦を生き延びてきた王子のことです、いつ朝鮮半島から
追手が現れるか、気が気ではなく、ここを「安住の地」とすべく
故郷の技術を用いて「山城」を築き敵襲に備えます。
ここまでは、「近年有力な説」と同じく、朝鮮半島からの追撃に
対応するという、異説ではありますが、類似性があります。
が、この「温羅伝説」の顛末はこの先「大和政権」との対立という
驚くべき方向性に色合いが変化します。
 
どういうことかと言いますと「吉備地方」に渡来人がもたらした
技術により「吉備王国」ともいうべき豊な地方政権が突然変異的に
発生した。
 
「大和政権」としては、突然発生した強国をそのままに放置できない
なにより、その技術が喉から手が出るほど欲しい!ってことで
何と、討伐を画策します。
(そういう技術が「もののけ姫」に出てくる「たたら製鉄」等の
技術なんですね!)
 
ここまでお話しますと、勘のいい方は「桃太郎」との関連について
すでに気が付かれていると思います。
そう、「温羅」とその一族が「鬼」で「鬼ノ城」が「鬼が島」です。
そして大和政権の都合で、彼らは「傍若無人な略奪集団」という
憎むべきキャラとなり、片や、大和政権は「桃太郎」という正義の
若武者キャラとなったわけです。
 
但し、始めから「鬼」VS「桃太郎」っておとぎ話レベルではなく
「温羅を棟梁とする傍若無人な略奪集団」VS「大和政権」であり
その「大和政権」側の将軍が「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」。
そうして「温羅」VS「吉備津彦命」の壮絶な戦いの火ぶたが切って
落とされたと言うことです。
で「吉備津彦命」→「桃太郎」の「鬼退治」ってすごく親しみやすい
「国民的おとぎ話」に昇華?され今日に至るってことなんです。
 
見たこともない時代の話を見てきたみたいに語る悪い癖が出たので
ここから先、興味のある方は「温羅伝説」とか「古代吉備王国」とか
「あなたの知らない桃太郎!」とか検索して、古代のロマンに浸って
くださいませ。
 
ま、要はそのような古代史ファンにはたまらない「鬼ノ城」です。
 
天気もよく、5月のさわやかな風が吹くいい日で、駐車場近くの
資料館「ビジタ-センタ-」を少し覗いてから周遊に入ります。
当時の姿をどう推定したのか怪しい所はありますが、復元された
見張台の機能を持つ「西門」へ向かいます。
 
かなり手前からもその姿が望める立派な復元建築で、見張台には
上れませんが、土を突き固めて整備された当時と同じ製法の見事な
「版築土塁」も含め「鬼ノ城」を代表する景観となっています。
 

爽やかな新緑の5月
復元というより創造でしょうね?(誰も見たことないんだもんね!)
見張り台に上がれたら、一段と景色が違うんでしょうね?


行ってみてわかったんですが、駐車場とか、ビジタ-センタ-とか
「西門」までの間は結構、家族連れも含め観光客の往来が多いんですが
「西門」過ぎて本格的な周遊路に入ると、ピタッと人がいなくなる!
 
まぁ、そこから先は、派手な見どころはなく、アップダウンの道を
2km以上、発掘、復元された遺跡や、その説明版を見つつ、往時と
同じ風に吹かれて想いを馳せるという時間なわけで、大多数の人には
あんまり受けないんでしょうかね?
 
でもせっかく来たんですから、ここで引き返すという選択肢はなく
まぁ、さっきまでいた、「最上稲荷」の奥のお山歩きで準備万端
足慣らしは整ってるって幻影に衝き動かされ歩を進めたわけです。
結論から言いますと、準備万端、整ってたわけじゃなく、単にガタが
来てただけで、初めが下り坂だったことも災いし、一度失った高度が
後でどんな事態を生むのか???まぁ、しんどかったです。
 

ほんと、新緑が美しい
現実は現実として行けそうな感じしますよね?
書いてなかったけど、これが「温羅」かな?


でもね「目指せ 岡山県公認観光大使 シニアの部」所属の
レ-ザ-星人の「お勧めスポット」としては、かなり順位が高いことは
間違いなく、適度に足回りを固めてさえいれば、そして天気が良ければ
眼下に広がる総社の町並みも、渡る風も、全てが悠久の古代ロマンに
誘ってくれること間違いなしです。
 
う-ん、でも、前編でも言いましたが、ほど近い津山市で発生した
熊被害もありますんで、お勧めしたいのはやまやまなれど・・・。
 
「自己責任で」って言っとくしかないのが、なんかつらいですが!
 

またまたシュンとした話になったんでお口直しに


でも、紹介だけはまだまだやっていきますんで(岡山に限らず)
また読んでくださいね!
 
前の疲労が抜け切る前に、次の疲労が上乗せされて溜ってく
貯金だったらいいのにな、レ-ザ-星人でした。

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