配信に思うこと

この週末は二つの有料生配信を見た。

土曜日は、新日本フィルハーモニー交響楽団の定期公演。日曜日はパルコ劇場で行われた「大地」。だんだんとこの方式にも慣れてきた。タブレットで見ているが、途切れることもほとんどなく、見やすい。

先週はゴスの無観客配信ライブを。その前は本多劇場の公演を見たけど、今週からはついに、会場にお客様が入った状態のものの生配信。ソーシャルディスタンスで客席を満席にできない今、チケット収入だけではおそらく赤字で、こうやってライブ配信を見る人たちで芸術やエンタメが潤うのであれば、聴衆としてこんなに嬉しいことはない。

とはいえ、こうやってライブ配信を見ていて思う。

ライブ配信を見る人は「やっぱり生で見れるなら見たい」と思うのか、「これなら配信の方がいい」と思うのか、どちらなのだろうか。

当然、ライブ配信の方が、値段は安い。例えば、今日の「大地」だと会場で見るチケットは12,000円。配信は3,000円だ。同じ値段なら配信を4回見れることになる。さらに、私たち地方住みからすると、芝居を見るためにはチケット代より高い交通費・宿泊費を出すこともある。そう考えると、配信の方がお得だ。

それだけでなく、家にいながら見られる手軽さ、飲食をしながら見られる手軽さもある。家族や友達と語らいながら、またはチャットをしながらなんて楽しみ方もある。

東京のオケなんかは毎月のように定期公演を打っていて、魅力的なプログラムが沢山あるんだけれど、そんなにちょくちょく東京の行くことができるわけではない。配信でも見られるっていうのはありがたいことだと思う。

それでも。

今日私は、自分が客席にいないことが悔しくてしょうがなかった。

会場にいる空気感、台詞の響き方、照明、音響のバランス。会場で味わいたかった。そして、何より役者さんの魂のこもった台詞を、演技を目の前で受ける。その時間が必要だと思った。今日のラストシーン、大泉洋の渾身の演技に涙を流し流しながら、その場にいたいと何度も思った。

思い出すのは、NACS本公演、「PARAMUSHIR」のラストシーン。戦友はみんな亡くなり、自分だけ生き残ってしまった桜庭さんの悲しみ。安田さんの演技に会場全体がのまれていく感じ。演劇の力ってこういうものかと思った。あの時のような空間。

オケだってそう。アンサンブルの繊細なタイミングは会場でしか味わえない。

もちろん、画面越しに伝わることもあった。でも、やはり、会場で共有したかった。

コロナ禍の中、沢山のチケットを払い戻した。出演者やスタッフに感染者が出ないように、観客に感染者が出たときに主催者側が責任問題にならなくて良いように、ずっと「仕方ない」「我慢するしかない」と思ってきた。けれど、じわじわと、劇場の空間を共有することができないダメージが続いている。それを思い知らされる。

「大地」のチケットは今の所大阪公演は取れている。とはいえ、今の大阪の感染状況のままだと、おそらく行くことは難しい。

それでも、私は必ず客席に戻りたい。次の公演に行けなくても、安全に見れるようになったら必ず。

こんな世の中ですが、全ての演劇やコンサートが無事に開催できて、幕が下ろせますように。


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