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いつだったかのこと

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くぎりせん

 相互批評の会を持っていたことがあった。
 平日夜に喫茶店で待合せ。事前の人数管理なしの気楽な会だった。雑談もいっぱいした。比較的親しい人も来ていたので、楽しく参加していた。もちろんあまり親しくない人もいた。短歌関係でよくある、会というほどでもない集まりだった。

 そのなかで印象に残っているできごとがあった。このことは誤解※されるとイヤで誰にも話したことがなかったけれど、年とると書いておこうかという気になるもの。走馬灯のようなものです。

 いつのことだかまではおぼえていないのだけど※、会が終わって、皆で駅にむかっていたときのこと。そのうちのひとりと並んで歩くことになった。この方と親しくなることはなかったし、挨拶以上の会話があったのもこの時だけ。
 この方は会場からやや遠いところにお住まいだったこと、また御体調のこともあり、毎回参加する方ではなかった。歩きながら何の話をしたのかは記憶にない。何線で帰るの?とかそんなことではないかと思う。

 駅の入り口あたりで別れる時になって、この方は「わたしはくらげさんがうらやましい」と言われたのだった。私に伝えたいというより、思わずぼとりとこぼれでたようなことばだった。
 いきなりのことであったし、言われるようなこころあたりは私にはなく、とまどった。何と答えたのかおぼえていない。特別否定したようなおぼえもないので、「またいらして」「お気をつけて」みたいなことではないかと思う。

 そもそもこの方が私の何を知っているのか。
 似たような年頃であること、仕事があること、誌上にある作品と、月例の歌会以外にもこうした会に出ていることくらいだろう。逆に考えれば(もちろん勝手な妄想がなければ)、これだけしか知らなくても「うらやましい」と思ったということだ。

 つまり、働いて、恋をして、歌をつくって、いろんな会にも自由に行ける────ように見えたのではないかと思う。歌になっているものが事実とは限らないのだけど、そのように見られることはある。

 恋、とわざわざ書いたのは、この方が、恋愛できない(していない)ことにコンプレックスがあるらしいことをその日の発言から察していたから。
 自作についてこういうものだと自分で言うのはどうかと思うけれど、肉体的なことを含む恋愛をにおわせる歌を私は作っていた。私の歌はさぞかし自由に見えたことだろう。当たり前だ。自由に書いていたのだから。
 そしてそこを「うらやましい」と言われたのだと受けとめた。作品と自分の実体験とは一体化していないつもりでいたので、当時の私は申し訳ないけれど、「なんでそんなことを言うんだろう」とうんざりした。この方のことばをうけとめきれずに反発したのだ。
 思うのはいいけど、本人に聞こえるように言うことじゃないのでは?という気持があったのと、他人をうらやましいと思うことはほとんどない(ゼロではない)ということがあり、私はとくに共感しづらかったというのはあったと思う。言ってどうされたいというのはなかったとしても、私なんかに言うより他の人に言ったほうが、この方はいい時間を持てたのではないかと思う。

 「うらやましい」は歌の内容(からの推測)だけでなく、働いたり、いろんな会に自由に行っている(ように見える)こともさしていたのではないかと思い至ったのは、だいぶたってからだった。勤労と外出だけなら私でない人をうらやましく思うことはありうる。健康による自由を持っているだけなら私に言われなかったと思う。あの時ふたりではなしたからというのは大きいせよ、私の歌があるから言われたのだろう。
 一般的には若者とされる年齢ではあったけれど、世間的にはすでにもういい歳だった。この方の御病気も短い年月ではなかった。他人に言っても思うような返事は得られない可能性が高い発言であること、歌をやっているもの同士という関係ではどうしようもしようがない/されようがない現状のこと……もろもろのことがわからないはずはない。それでもうっかりこぼしてしまった。ささえる御家族でないからこそ、この方にとって夢のようなあこがれのようなことを言えたのかもしれない。
 言われた直後にうんざりしたのは、私の視野がせまかったから。当時これらのことががわかったところで、私とこの方との距離で何か伝えることができただろうか。できることはあっただろうか。こうしたことに思い至ったとき、なんとも切ない気持になった。

 あの日の帰り道、ひとりになってから「何とかえすべきだったのか」と考えたけれど、思いつかなかった。今でも思いつかない。その後、その方が亡くなられるまでふたりで話す機会はなかった。だからどうかえすかは考えても仕方のないこと。それでもまだ考えてしまう。「うらやましい」と言われた直後にとまどって、今もその方に対してとまどっている。

 答えの出ないできごとだったからこそ、あの数秒の時間を忘れることはないと思う。


※ 「うらやましい」に足る人物だと自分で思っているように思われるのではないかという気持があり。

※ 古いデータにメールが残っていればわかるのだろうけど、探してないです。寒い季節ではなかったような気がする。

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