「みどり」1958年6月創刊号(學燈社)
何かの束にまぎれていた1冊。当時ありがちな若者雑誌だとは思います。この雑誌の場合は「若者に教養をつけさせる」という趣旨であることが「若い知性と教養の手帖」という惹句からわかります。一応海外文学の紹介、哲学、映画、音楽など記事もありつつも學燈社だけあって国文記事が強い。
巻頭グラビアが谷崎潤一郎。真正面をむいたモノクロ写真1点がどーんと載って、紹介文が添えられているだけのものだけど、これ、撮り下ろしなのかなー。
続いてのグラビア(見開き)が、「脚光を浴びる若い作家たち」。曽野綾子、大江健三郎、原田康子、開高健、有吉佐和子、石原裕次郎。みんな若い。
グラビアとは別に本文記事で「作家訪問 大江健三郎氏を訪ねて」という訪問記あり。この記事の写真とグラビア写真があきらかに別なんです。どういう進行だったのかやや気になるところ。
投稿欄選者は下記。
文壇 保高徳蔵
詩壇 菱山修三
歌壇 木俣修
俳壇 水原秋櫻子
創刊号なのに投稿欄に掲載があるということは、別媒体で募集したか、学校等で募集したかだと思われます(説明的記載なし)。短歌と俳句両方で掲載、複数作入選などが見られます。分母はけっこう小さいかも。
さっくりぐぐった範囲では、アララギの上條竹芳(掲載は「上条」)さん、俳人の望月たけしさんなどの名前がありました。同姓同名の可能性もありますが、居住県からほぼまちがいないかと思われます。
個人的にちょっと「へー」だったのは寺山修司。短歌が掲載されています。1958年6月といえば『空には本』が出てるか出てないかくらいのころ。著作としては『われに五月を』しかない段階での依頼だったと思われます。
掲載は「美耶より風彦へ」というタイトルの8首です。冒頭いきなり旧約聖書の雅歌からの引用(一連の内容とは直接的には関係しない)。「汗ばみて牝鹿のごとく抱かれ〓む千の星たち眠りたる野に」の上句、「風彦が狩りよりかへり来て繋ぐ馬のしづかに汗を妬めり」あたりがなんだかこのころの塚本さんっぽい。
※〓は「日星」
この歌が既読かどうかももはやよくわからないのですが、寺山さんの歌をまとめて読んでいる時はまったくこういう感想を抱いたことがないので、新たな感覚でした。
このころの、こういうちょっと長体っぽい明朝の活字が好き。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?