「短歌研究」記念号
「「短歌研究」3月号の特集」の作業していて気づいたのですが。
https://note.mu/klage/n/n283ad7e3ba56
1991年に「短歌研究」の「創刊六十年記念」として毎月特集を組んでいるの、おかしくないですか。
ネットでわかる特集号・記事類は下記です。
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〇1932年10月号(1巻1号)
改造社の「短歌研究」創刊号。
〇1933年10月号(2巻10号)
「巻頭言 一周年の辞」
〇1982年1~12月号(39巻全号)
「短歌研究」創刊50年記念特集
・1991年(48巻全号)
特別企画「短歌研究」創刊六十年記念
・2002年5月号(59巻5号)
公式サイトの「短歌研究」の説明文が「全国書店で発売中です。誌齢71年の伝統」になる(4月号までは「誌齢70年の伝統」)。「1」が全角なのは、公式からのコピペママです。おそらく4月号の説明文から1文字だけ修正して流用した際の不統一と思われます。
〇2012年10~11月号(69巻10号、同11号)
特集「創刊八十周年記念 エッセイと作品 創刊八十周年によせて」
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「〇」はいいと思うんですが「・」の部分があやしい。
1982年が50周年なら、60周年は1992年のはずなんです。それが1991年になっている。何か事情があったんでしょうか。
2002年の「誌齢」は聞きなれない言葉で、1932年にかぞえで1歳と考えれば71年はまあいいとします。が、かぞえなら新年号から切り替わるのでは?という疑問が。そして満年齢で考えると、「短歌研究」は7月号創刊ですから、5月号から「誌齢71年」というのは謎。
結社でもそうですが、記念号ってのは時々入れられればいいんで、実は厳密に作る必要はないんですね。こういうところをつつくのは「まちがってます」と言いたいからではなく、雑誌の考え方を見ていくのがおもしろいからです。
この辺は誌面見たらわかるかもしれません(わからない場合もあります)。
閑話休題。
1991年11月号の特集が「創刊六十年記念特集(11) 特集I 近・現代短歌史のニューウェーブ」。明治期の新派和歌にはじまる、各時代の「ニューウェーブ」について書かれた文章が掲載されています。
その最後に「誌上シンポジウム」として「現代短歌のニューウェーブ 何が変わったか、どこが違うか」(荻原裕幸、加藤治郎、藤原龍一郎)が掲載されています。ニューウェーブについての文章でよくとりあげられるやつです。
ここではあくまでも一般的な「ニューウェーブ」です。
この時点の「ニューウェーブ」が結果として短歌の「ニューウェーブ」になっていくので、イコールといえばイコールではあるんですが、自称する意思の有無というか意識というかを考えると「ニューウェーブ」ではないです。
短歌の「ニューウェーブ」の起点は荻原裕幸執筆「朝日新聞」掲載の「現代短歌のニューウェーブ」を起点にすべきというのは、新聞のほうが早いから(7月23日)ではないのです、ということが言いたかった。
それにしても、なぜ1982年が創刊50年記念なのに、なぜ1991年に創刊六十年記念をしようと思ったのか。
現状だと「ニューウェーブ」が1991年に立て続けに使われた印象になります。
1992年に創刊六十年記念があって、「近・現代短歌史のニューウェーブ」特集が組まれていた可能性があります。そうしたら1992年を起点とする説が出ていたかもしれません。
(おまけ)
通号の記念号は、目次で採録されている範囲だと下記があります。
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・1992年8月号(49巻8号)
創刊七百号記念
・2009年4月号(66巻4号)
900号記念特集号
・2017年8月号(74巻10号)
創刊1000号によせて
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※現物見ないで、データで考えているので実際とちがう可能性があります。
とりあえず700号で考えてみましょう。
今の巻号で考えると1巻1号は1944年。日本短歌社になった時点で巻号仕切り直しが行われているということになります。
で、「49巻8号」とは何冊なのかという計算が下記。
2+47×12+8=574
最初の「2」というのは、日本短歌社時代の1944年に刊行した冊数です。
「1巻が2号まで」「あとは12冊ずつ」「49巻はまだ8号まで」という足し算です。
なので、700よりだいぶ少ない数字になります。この差がだいたい改造社時代の冊数。
以上のデータから、通巻は改造社時代から通しであるものと考えられます。ヒマがあったら現物見てみます。