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玉城徹さんについてのメモ​

 昨日話題になったので、以前クローズドなところで書いたメモの一部をアップします。基本的には自分用のラフな内容ですので誰かの役に立つとか、検証するとかいうような内容ではありません。
 2009年1月31日のさまよえる歌人の会という読書会で玉城徹『樛木』のレポーターをしました。その際に閲覧したけど、当日使わなかった(使わない予定だった)範囲について書いています。
 「玉城さんが難解というのは誰が言ったのか?(未解決)」「アンチ前衛としての玉城徹の実際の発言」の2本立てです。

 この時点では『馬の首』は未読でしたが、現在は読んでいます。


 読書会当日は『樛木』の最後の一連を初出と比較するという内容で発表ました。

 ついでながら付記すると国会図書館には同人誌「寒暑」(Z13-1101)全6号の所蔵があるので、興味のある方にはお勧めいたします。

(2014年4月28日)

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2009年1月24日のメモ

 今日は国会図書館へ。

 主に角川「短歌」を閲覧。レポーターを仰せつかった月末の玉城徹読書会むけ。1961年あたりから呼び出してみました。このあたりは時期を見なくても中井っぽい誌面だと思いますですね。

 以下、今日、思ったことをそのまま垂れ流します。あとで考えを変えるかもしれませんが、このまんまのメモを作りたかったので。

 何を見たかったかというと「玉城徹はわからない」という言説がいつからはじまっているのかというのを知りたかったのでした。ザッと見なので見落としはあると思いますが、それはもう仕方ないということで。『馬の首』が出る前は特になし。『馬の首』の批評が1962年10月号に掲載されているものの、「わからない」「難しい」という指摘はなし。時期的に前衛の後だから? わからないという発言がしにくい空気があったのかもしれない?(大保留)

 1963年2月号の「最近新鋭問題歌集特集」で自選50首と共に「私のノート」という小文が掲載されています。これに「「馬の首」についてはすでに多くの批評があり」とあるので、当時けっこう話題だったのかなー。カドカワしか見ていないのでよくわかりません。でもこの年の年鑑では華麗にスルーされてるし。ちなみにこの年の話題の歌集は『日本・殺風景』という合同歌集。……えーと、知りません。

 このころは書評欄はあまりなく(だいたい3冊くらい。ない月も存在します)、歌誌の動向やら同人誌紹介の記事が多いです。歌集を出す人が少なかったからでしょうか。
 読み出すとおもしろくて止まらなくなるので読まないようにしていても、つい目を通してしまいます。ツカモトのアレを書いている時に雑誌をつぶしている時もほぼ同様の感想を思い浮かべましたが、ある意味今とそう変わらないです。常に批評は無力化しているし、新しい人の作品は時代を切り開く意志がないのです。もちろん、誇張表現もありますが。常に危機感があったからこそ短歌はなんとか生き延びられた部分もあると思いつつも、こういうのを読んでいくと「今、危機感を持っています」というか「現在の危機」というかの文章が空疎に思えてくることでありますよ。と、いってもあくまでも古いものをまとめて読んだ後の感想であって、実際には新しい文章に刺激を受けることはしょっちゅうなんですけど。

 読んだとはいえませんが、60年代前半はだいたいめくりました。このあたりのを出したのは、検索でヒットしていた「「現代」把握の方法とはなにか 断絶のなかに連続を・ふたたび玉城徹に」(藤田武)がなんなのかを確かめるためでもありました。これは前号に掲載された玉城さんの「現代短歌’66」についての文章に応えるものでした(読書会からどんどん離れています)。

 出発が遅れたためまだ肝心の資料を閲覧できていません。まだどういう話ができるかも思いついてません。読書会までにもう1回行くつもり。
 

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2009年1月30日のメモ

 今日は無事、図書館に行ってまいりました。

 該当期間の総合誌を全部見ることはできませんでしたが、本命のカドカワ1972年7月号は呼び出せました。このころのカドカワは「今日の作家」として毎号1人の特集を組んでいるのです。この号が玉城さん。

 岡部桂一郎、片山貞美、山崎一郎の「寒暑」同人3名が玉城さんを語るというステキ記事がありました。その中で「いや、もうぼくは「いそのかみ」が最高に映っちゃうんだ」(岡部)と絶賛されている歌(?)があるのですが、これが何のことだかわからずー。『樛木』は自分がここと決めたところしかちゃんと読んでいないので見落としているも。それとも抄出にはないけど『馬の首』の歌なのでしょうか?
 私、『馬の首』を読んでいないのです。だって国会にないし、古本は高いし。そのうち読むつもりですが、今回は時間切れです。

 玉城さんは「わからない」という批評はついにみつかりませんでした。このころの年鑑(1973年版と1974年版)で高野さんが作品展望で玉城さんをとりあげています。佐藤通雅さんの引用をした上で「ただごと歌」としてます。現在のただごと歌と微妙にちがうような気もしますが、当時はそういう理解がある程度のところで共通してたんじゃないかなー。
 とりあえず、巽、宮、高野が白秋ラインで理解を示し、片山、針生といった歌仲間に批評をきっちり書いてもらったっていうのは大きいような。後に残るもの。
 付け加えると『玉城徹のうた百首』を後に出すことになる村永大和さんも玉城さんについて何度か書いています。が、論争もしています。あれれ。

 とりあえず、読書会では↑は話題にしないor横道の部分のつもり。

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2009年2月3日のメモ

 土曜日にアンチ前衛としての玉城さんの話題になっていたら発言するつもりでしたが、なりませんでしたのでここで。

 出典忘れましたが、玉城さんは塚本さんの歌を「意味がわからないのではなく、おもしろさがわからない」というようなことを書いておられました。

 出典がハッキリしている範囲では、カドカワ1971年11月号掲載の金子兜太さんとの対談で「短歌前衛の非常に大きな弱みとして、始めから、ジャーナリズムの批判、短歌ジャーナリズムの批判というものが非常に欠落していたと思うんですね。」と場がたるんでいたというような批判をされています。「短歌前衛」は聞きなれない言葉ですが、「俳句前衛」と金子さんが使ったのでそれに対しての言い方として使っています。

 また、同誌1980年8月号の前さんとの対談では

>> 玉城さんの青春性の中には前衛的なものがあるんだね。(前)

>> もともとあの人たちが幼児的だとは思っていない。ただ、そういうなにか、仮想敵みたいなものを設けたときに幼児的になってきたんじゃないかという感じを持ちますね。排除的なんですよ。非常に。(玉城)
※仮想敵は「伝統派」のこと

>> いい作品というものは、必ず謎を含むのだと。これは当然なんです。しかしそうすると、それを謎がありゃいいと、つまり謎かけをすりゃいいというふうにひっくりかえしたところがある。(中略)これは実は前衛精神じゃない。

 というようなカンジ。
 個別に認めてないというより、あのまとまりというか運動というかが弱かったと言っているようです。

 ただ、玉城さんの油断のならないところは「前衛批判されてましたよね」というと「批判なんかしてない」と返されるところですねー。どんなツンデレだっつーの。

    ★

双手(もろて)もてアカショウビンを捕へたる夢なりきそを放ちたり夢に 玉城徹『樛木』

 この歌の理解のために私がプリントアウトしていったのが↓の写真。
http://nikko-ojika.com/wp-content/uploads/2008/07/akasyoubin-300x300.jpg

 持っていったのは比較的赤く見えるものです。「アカショウビン」の検索結果は↓。見比べてみるとくちばしがオレンジであとは褐色~橙色ってカンジで真っ赤ではなさそうです。

http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%93%E3%83%B3&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2&gbv=2

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