サークルを立ち上げる理由を書いてみた。

 こんにちは。今日はディベートの話です。書き終わってから思ったんですけど、この文章、色々なところに炎上要素あるし、周囲へのリスペクトが欠けてそうな文になっていますね。そんな意図は全くないんですけど、不快に思われたらすいません。何かを訴えたい文章でもなくて、ただ単に、僕がどういうことを考えたのかっていう話と、だから何をしようと思ったのか、という話だけです。暇な方だけお付き合いいただければ…。

まずは自分語りをする。

 僕は高校3年生の時にディベートに出会いました。……嘘です。本当は小学5年生の時から、ディベート甲子園というものを知っていました。読売新聞の記者をやっていたので、取材に行っていたんですよね。しかし、ディベートって一人でやる競技ではないので、パートナーが特にいなかった当時の僕は、中学3年間と高校2年間、"取材だけ行く人"になっていたわけです。

 そんな僕でしたが、高3で色々な偶然に恵まれました。まず、パートナーができたこと。ツイッターのリプライ一つから"筑駒弁論部"が生まれ、ほとんど話したことがない2つ下の後輩とチームを組むようになり、結果的には4人の後輩が1年間一緒にやってくれたこと。わざわざ練習会に応援に駆けつけてくれるマネージャーが2人もいたこと。
 僕自身が年齢面で「ディベートをやれる最初で最後の年」だったこともあり(そもそも大体高2で引退してるので高3から始めてるお前はなんなんだって感じですけど)、そういう意味でワンチャンスしかなかったこの年に僕をディベートに引き付けてくれた彼らには、本当に感謝しています。本当に。1人だけ先輩で、しかもこんな性格で、正直邪魔になってるんだろうなぁとかずっと思ってたんですけど、それでも1年間僕についてきてくれた(?)こと、そして、一緒に彼らと試合ができたこと、恵まれているなぁって。

 思い出話をしに来たわけじゃないんだ、次に行きます。

 2つ目は、指導者に恵まれたこと。ルールや考え方は教えるけど、議論そのものには手を出さない、そしてすこぶる頭のいい、素晴らしい指導者に恵まれました。というか、コーチに限らず、本当に周囲のジャッジ、指導者が素晴らしい人たちばかりだった。僕自身がディベートをやりたいと本気で思ったのは、初めて飛び込んだ即興大会の決勝で、普段ジャッジをやっている社会人のチームが本当に面白い議論を回していたからです。肯定側立論を聞いた瞬間の感動、好奇心が刺激される感じ、今でも覚えています。というか、今でもたまに音声を聞いています。

 僕らが甲子園出場を決意して、選手とジャッジという立場になってからも、試合のたびに分厚い講評とアドバイスを下さり、しかもそれを毎週毎週やってくださっていて(本当に週に一度は少なくとも欠かさず試合をしていたし、今から考えると双方ともにコミット量が凄い)、そのおかげで本当に色々なことを学べたし、自分自身がディベーターとして成長できたのも、この空間のおかげだったと思います。

 3つ目は、まぁさっき書いたんですが、環境に恵まれたこと。冷静に考えて、2週に一度は大体練習会があって、メールでジャッジに依頼したら普通の休日にも試合を見て戴けたりしていて、ディベート漬けになりたいと願えばそうなる空間、良いなぁって。

 今から考えると、本当に、恵まれた、というか、運がよかった、というか、細い細い穴に糸がうまく通ったような感じで、僕はディベートの最初のシーズンを過ごしたんです。

近畿に来て思うこと

 愚痴ではない(つもりだ)し、特定の組織を中傷する意図があるわけじゃないのは理解してください。

 大学に入って、2つの壁にぶつかりました。選手として、指導者として。

 まず選手。受験勉強をしなかった代償に大阪に飛んだ訳ですが、当然いきなり踏み込んだ先にディベートのパートナーがいるわけもなく(阪大のサークルは僕が入る前に潰れていた)、基本的には一人で色々やるしかない。一人でやると言っても、ディベートの大会に一人では出られないので、無理を言って関東の人に組んでいただいた。

 しかし、パートナーが東京で、僕だけ大阪。大会も東京だし、練習試合も東京。東京大阪を何往復もできないし、試合も数をこなせない。最初の秋のシーズンは交通費だけで10万円は飛んでいる。
 それ以上に僕がプレパしなかったことでパートナーに迷惑をかけているし、組んでいただきたいとお願いしたのは自分なので、全て自分の努力不足であり、パートナーには今でも申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、そういう話を別にしても、やっぱり公式の練習会に出て、プライベートの練習会にも出て、会議もちゃんとやって…となると、相当の出費と時間が必要になる。ちなみに時効っぽいので明かしてしまうと、夜行バスで無理な移動をしまくった結果(相関があるかは不明)、路上で倒れて病院に搬送された回があった。新幹線は高いけど、健全な移動手段に惜しまず課金することを勧めます。

 大会にちゃんと出て、ちゃんと勝ちたいと思うと、少なくとも僕の実力では、もっと努力してもっと試合数をこなすしかないし、そうなると在阪のデメリットは凄く大きい。ちなみに東北大学に通っているのに僕より何百倍もうまいディベーターの方を知っているので、この話は一般論ではなく僕がダメなだけです。念のため。でもまぁ、時間とカネがキツいのは多分一般論でしょう。

 選手目線での理想の空間は、"大阪だけで組めるような人数、試合ができるような環境があり、ジャッジのフィードバックもあり、かつ東京に行って東京での議論の傾向とか詰めるべき論点とかを学ぶことができる"、なんでしょうけど、僕にはそれを作る能力はなかったんですよね。結局今も近畿でディベートを(選手として)やっている大学生がいるかと聞かれると、大学のゼミの方しか存じ上げないですし。

 そう、そういう意味で、パートナーがいない。サークルがない。JDA優勝という高い目標レベルじゃなかったとしても、そもそも大会を開いたり試合をする人数が集まらない。一人でやれない競技という意味で、この問題は大きい。


 次に2つ目。指導者として。

 僕自身は、最初に自分語りをした通り、パートナーと指導者、試合環境のおかげで1年で成長することができたと思っています。だから、自分が指導する側に回ってからは、その環境を中高生に提供したいとずっと考えてきました。僕みたいに、ワンチャンスしかない人がいるかもしれない。1試合しか試合に選手として出られない人がいるかもしれない。そういう人に、ディベートやって良かったと思ってもらいたい。

 正直なところ、環境があったところで、選手自身の能力やモチベーションであったり、試合の当たり運などによって勝敗が左右されうるところは否定できません。特に、モチベーション。でも、指導者は別に選手のモチベーションに介入できるわけじゃないので(やってる指導者もいますけど、僕はあんまり好きじゃない)、環境だけ提供して、あとは選手の皆さんが好きに楽しんでほしい、というか。優勝を目指すならガチでやればいいし、ディベートの楽しさを知ってもらいたいなら試合ごとにいろんなメンバーで出て、各ポジションの面白さを体感してもらえたらいいとも思っています。

 そういう意味で、環境を提供することは、指導者としての責務なんじゃないかと、少なくとも僕自身は思っているわけです。というか、僕自身はその恩恵を受けてきたので、それを還元する義務がある。そう思い、大学入ってからの初年度は、自分でも引くくらい頑張っていました。ジャッジに呼ばれたら遊びも飲みも全部キャンセルして行くし、週末はほぼほぼ練習会を開いていたし、平日放課後に呼ばれたら大学の授業を切ったし。明らかに大学生としての本分を見失っているし持続性があるわけもないのに、自分の中の持てる時間と金とリソースを全て使って、環境作りに勤しみました。

 でも、これでうまく回ったかというと、そうでもなくて。やっぱり一番のネックは、自分が選手としても指導者としても一流じゃないところなんですよね。肩書がモノをいう業界ではないものの全国優勝はしたこともない、新人戦は決勝でフルボート負けをしている、判断が分かれる論点にテクニカルな議論を乗せて結局負ける、統計資料を細かく見れる丁寧さもない。自分の嫌いなところは山ほどあるんですけど、結局僕は選手としても指導者としてもダメダメなんですよね。指導に至っては経験もないし。指導者の目線では「○○に決まってんじゃん」と見えることでも、選手目線になると見えないことが多い。これは実力とか関係なく、当事者として走っていると俯瞰できなくなるので、気づかないことが多いんですよね。でも、じゃあそれを直接的に言えば指導なのかと聞かれると多分違うし、選手自身に気づいてもらったり考えてもらうためにはどうすればいいかって考えると答えは分からないし、そもそもどこまでが指導者の仕事なのかも分からない。分からないことだらけで、当時は練習会終わるたびに反省文をしたためてました。

 それならジャッジを呼ぼう!という風にも思ってお願いもしたのですが、現実問題として毎週毎週、無給でジャッジをしてくれる人なんか大量にいるはずもなく、呼ぶのが申し訳なくなってやめてしまいました。一度新幹線で関東から来ていただいた会があったんですけど、選手の皆さんの満足した顔が見られて良かったと思うと同時に、これ毎回やるの無理だよなぁ、とも確信しました。ごめんなさい…

 もう一つ、やっぱり、色々な意味で再現性がない。練習会費用も自分で出したり、交通費も自腹だったり、僕自身は別にそこは気にしてないんですけど、冷静に考えて僕がいなくなった後にこんな量でコミットする人がいるとは思えない。僕が動き続ければ一定の環境は提供できるのかもしれないが、それは突然変異のようなものであって、僕が東京に戻った後は多分続かない。それだとただの「僕の自己満足」であって、組織として選手を支える環境ができない。自己満足の為にやっているわけではないので、どこかでちゃんと組織としての進め方というか、再現性のあるシステムを残すことを意識しないといけない、そういう風に思ったわけです。もっとも、これは周囲の社会人からも指摘されていたことなんですけど。

 そういう風に思い、去年は選手の皆さんに申し訳なく思いつつも、コミットの量を減らしたわけです。相変わらず、選手の皆さんにとって満足のいく環境が提供できているとは思わないのですが(すいません…)、それでも、自分自身の負担を減らしつつ、再現性のあるように組んでいこうと考え、練習会のシステムを変えたり、オンラインでの練習会を導入したり、申し訳ないですが参加費を頂戴したり、色々やってみました。

 こういう感じで、皆さんの助けもお借りし、自分なりに2年間、地方でのディベートに向き合ってきたのですが、2年目を終えたときに振り返って、やっぱり一番必要なのは大学生の仲間なんじゃないかな、と、そう思ったんですよね。そう思って、今まで作っていた練習会/大会運営団体(メンバー一人)を潰して、インカレサークルに変えることにしました。

余談ですが、このサークル名は、2年前に社会人の皆さんに頼んで作らせてもらった中高生向けの指導テキスト掲載サイトの名前を使っています。個人的にはこの企画をいつかちゃんと表に出したいと思っているので、そっちも頑張りたいな、と。指導のノウハウって全てがテキスト化できるものではないと思っているのですが(教える相手に合わせた調整が肝要ですからね)、一方で「誰でも見られる"はじめの一歩"」的存在を用意するのも大事じゃないか、と思っていることもあり。大学卒業するまでに完成させたいなぁ。

これから、誰が何を担うべきなのか

 これはあくまで僕個人の考えです。

◆選手として大学でディベートをする人を集めるには、しっかりとした「大きなハコ」を用意する必要がある

 …見知らぬ土地で一人でディベートをやるのって、色々な意味でハードルが高い。一つの大学にディベートジャンキーみたいな人がたくさん集まる場所が偶然できれば多分盛り上がるんでしょうけど、地方だとそれも継続性がないというか(事実、やったるで阪大OBやKUDESのOBの社会人ジャッジの方は何人か存じ上げていますが、今両サークルがどうなっているかというと色々厳しいですし)。そういう意味では、とにかくハコを大きくする、間口を広くする。あいまいに人が集まって、なんとなく人数が多くなっていれば、参加することへの心理的抵抗も低くなる。サークルとして何か活動をしよう!と積極的に動く必要もそんなになくて、「やろうと思ったらやれる場所」「出たくなったらパートナーが見つかる場所」「開きたくなったら内輪で大会が開ける場所」みたいなレベル感で、そこに場所が存在し続けるのが大事。

◆練習会などを開くのも、地方なら大学生主体が良さそう

 …関東はディベート実験室が主催で結構開いてくださったりしていますが、正直な話、あんな頻度でコミットしてくださる社会人の方が大量に(練習会を回せる人数くらい)いる地域は他にないだろう。そういった意味で、比較的動きやすい(と一般的に言われる)大学生がその役目を担うのは、一つの手ではないか。というのも、大学生になれば地区大会でジャッジをすることになるし、ジャッジの練習としてもまた、練習会がいい機会になると思うから。僕は指導者としての壁に結構当たってきたけれど、一方で、指導側に立ったからこそ見えたこと、選手サイドに立って活かせる知見もまた多くあることに気づいた。ジャッジインターンを受けた新大1の子も同じようなことを言っていた。自分の立場とか考え方を相対化して、新しい風を吹き込む、という意味でも、大学生がジャッジをやることは(大学生目線で)メリットが大きいのではないか。などと。

◆やっぱりオンライン練習会は偉大

 …去年1年間、オンライン練習会のシステム(ZOOM,appear.in,LINE通話,Skype諸々)を構築してみて、これは結構手ごたえを感じた。というのも、ジャッジを(所在地によって)選ばなくなったのが大きい。結局、「毎回僕がジャッジ」みたいになると、どんなに回避しようとしても「僕好みの議論」みたいなものに選手が寄せていってしまうわけだし、そういう意味でジャッジの多様性は大事なのである。オンラインだとフィードバックに凄く苦労するのだけれど(試合中の選手の様子とか、話への反応が掴めないので)、その問題を差し引いても十分すぎる手段だとは思う。今年はうまく近畿以外の地区の人も参加できるオンライン練習会システムを公開していきたいと個人的には思ったり。


 …といった考えから、4月から新しくサークルを立てて、上手に回せるシステムを残そう、と思って色々スタートさせたわけです。これが正解なのかは分からないけども、少なくとも今の僕の思考回路と、この策が成功だったのかどうかというフィードバックをまた書いて、一つの記録にしたいと思います。ディベート業界にとって役立つ話なのかは、よく分からないけど。僕自身の大阪出向もあと2年なので、身の振り方とか、何を残していくべきなのかとか、この方法が正しいのかとか、もっと色々考えないといけないですね。


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