ディベート雑感

甲子園も終わったので、最近の思考を整理しようと思う。

文化を途切れさせないために

1年途切れると、部活動へのダメージは結構大きいようだ。自身が過去に在籍していた地区でも、毎年出場していた学校が来られなくなっていた。また、指導の中で「参考にする先輩の姿を見れないまま主力学年になってしまった」という声も聞いた。確かに、ルーティンのように動かしている毎年の流れを突然切られたら、復旧には大きなエネルギーが必要であり、戻りづらいという部分は否定できないだろう。そういった意味では、形に拘らず大会を継続することはディベート文化の持続性という観点から最優先されるべきに感じる。

そしてこれは、大会が1個続けばそれで解決するという問題ではなく、様々な制約条件に対し相互補完できるような形で複数の場を提供することが必要だと思う。顧問が確保できない方、日程上行けない方、他校と合同でチームを組まないと出れない方…様々な方がいらっしゃる中で、どの領域に「このままだと掬えない方」が多くいらっしゃるのかを見極め、その方たちに適した大会等を開く必要がある。

昨年のDCSは正直「みんな掬う」くらいの気持ちで設営したし、実際受け皿が他になかったので多くの方にご参加いただけたが、その裏でも「学校のパソコンにdiscordを入れられない」というようなお声をいただいたり、掬えなかった方がいるのは事実だろう。今後はそうした方の声を丁寧に収拾し、今どういった大会/各種環境が求められているのか、を深掘って考えたい(ご意見ある方、お気軽にTwitter @H_S_I_K のDMにご一報ください)。

教室と競技のハザマで

話は変わるが、昨年のDCSでは「競技ディベート」の全国大会と銘打って大会を開催した。僕が大学に入って以降、教室ディベートと競技ディベートの差を感じる機会が多く、この辺りは棲み分けを意識的にしたいと思っているところである。

定期的に各種TLで「高速スピーチ問題」が発生するが、正直な話、教室ディベートの大会として高速スピーチは望ましくないと私も思う。私の理解では、教室ディベートは「多様な市民(=ジャッジ)を説得する」競技であり、そこでは当然多様な市民に受け入れられる事も重要な要素である。年にもよるが、決勝戦のスピーチを1倍速で聞き取って理解できる一般市民はそう居ない。社会受けしないのは事実であろう。

ただ一方で、ディベートという競技の中で勝利を追求する際、物量を多く読むことは当然の行為である。実際、競技のトップシーンで今も活躍される方であればあるほど、高速スピーチにも対応できるし、投票理由も理路整然としたものが多い。そして、選手も勝ちたいと思えば思うほどに競技色の強いスピーチを行う。だからこそ、枠は教室ディベートでジャッジも幅が広いのに、選手の指向は競技ディベート、という状態が頻発し、「ジャッジに取ってもらえなかった」と選手から苦情が出たり、一般観戦者が「ディベートの試合を観たが早口で何言ってるか分からなかった」とコメントしたりする事態が起きる。

私は競技ディベート指向が強いため、正直に言ってジャッジの意味不明なアゲインストは大嫌いだが、教室ディベートという観点に立てば「結局多様な市民を説得できなかった選手が悪い。論理や感情など様々な引出しを使って説得するのが教室ディベートだ」の一言でバッサリである。このあたりの相容れなさについて、今まではだましだましやってきた気がするが、近年、競技ディベートの大幅なレベル向上や、教室ディベートのスポンサー喪失などの変化が現れたことにより、今一度このタイミングで、今後の教室ディベート、競技ディベートの方向性について考えるべきだと思う。

私個人は今のところ、競技ディベートを通じた議論文化の普及に興味があるため、競技ディベートの観点からのアプローチを重点的に行っている。ただ、それもかなり難しい、という話を次の項で書く。

普及のための要件

競技ディベートの普及には、明確なルール、エンターテインメントとしての面白さ、そして、参入ハードルの低減、この3つが満たされている必要があると考えている。

明確なルール、これは、何をやったら勝ちなのか、という部分が明確であることだ。よくディベートが普及しない理由として「結局ジャッジの主観だから運ゲーだ」という言葉を貰うが、フィギュアスケートの採点も項目が決まったうえでの主観判断だし、空手の技判定も体制や引手/足などを総合判断して行っているに過ぎない。ディベートもそうした意味では投票を行う上での基準が比較的一貫しており、この要件は十分満たされているだろう。
ただ、とはいえ判定はよくわからん、と言われることも多いので、昨年のFLEAGUEでは1票=50点と計算し、バロットに加えるという試みを行った。個人的にはかなりこれは手ごたえを感じており、票とバロットの比率を調整すればスタンダードな仕組みになるのではないかと感じる。もともとディベートはリーグ戦のような試合数を重ねる中で実力差が出る競技であり、バロットの価値が0になるトーナメント形式はあまり適さないのではないか、という思いもあり(サイドが逆で当たってたら勝敗が違っただろう、と選手もよく言う)、予選n試合+上位4チームで肯定否定両サイド行う準決勝、そして決勝は一発勝負、というような形式での大会がベストではないかと最近思っている(形としてはサッカーのルヴァンカップのようなモノ)。

エンターテインメントとしての面白さ、これは新規参入プレイヤーを増やすためには必須である。ゲーム実況を見てて面白いと思ったから始める、とか、友人がやってて面白そうだから始める、とか、そういった心理的誘因が競技参入への一番の大きな要因であり、この点を保証しない限りは普及が難しい。ちなみに私がディベートを始めた理由は「生レバーの立論が面白かったから」なのだが(分かる方向け)、ディベートを始める理由としてはああいうのを聞いて面白いと思う、とか、或いは素直にめちゃくちゃカッコイイスピーチを聞く、とか、そんな感じではないか。
実はこの点が現状の競技アカデでは一番難しく、自分も悩んでいる部分である。例えばフィギュアスケートなら、技はわからなくてもただスピンしているだけでカッコいいのだが、競技アカデでは前提知識(教養)がないとどうしてもスピーチがカッコよく見えないのである。

これに対する現状の自身の結論は、競技アカデのカッコよさを追求することをやめる、というものである。代わりに、競技パーラでカッコよさを追求したい。

例えば、麻雀や囲碁は、専門知識がない人間が見ても楽しみづらいもの、という点で競技アカデと共通しているように思える。囲碁や麻雀を最初からやるケースもあるが、大体はコマの動かし方やら役やらを覚える前に挫折する為、幼少期から「ドンジャラ」や「五目並べ」のような簡易的なゲームを通じて理解と馴染みを得させている。これと同じように、資料を用いず自分の言葉で喋る競技パーラを前に押し出すことで、競技ディベートへの親和性を高めてもらいたいのである。
当然、競技パーラも十分難しいのだが(というか、資料に喋らせればよいアカデより難しいという事もできる)、競技パーラは「素人がいきなり参入してもできそう」に見えるため、見かけの参入ハードルは相当低いうえ、スピーチ速度も落ち、自分の言葉で喋る機会が増えるために「カッコいいフレーズ」も生まれやすいのではないか、と思うのである(要検証)。競技パーラ→競技アカデと進んでもらったり、或いは競技パーラのトッププレイヤーができるような環境を生みたい、というのが当座の目標である。すでに英語ではHPDUとHEnDAのように棲み分けができており、日本語ディベートでも競技パーラと競技アカデで2大会立つような大会設計を模索している。

最後の参入ハードルの低減は上の部分で書いたが、結局参入者が多くなければ大会が細っていくのみであり、ハードルを下げる行為は普及の為に必須である。初心者向け教材を作るとか、初心者向け大会を開くとか。パートナーがいなくても出れるようにするとか、手本となるような試合の映像を用意するとか。そういった細かいハードルの低減が必要である。

というわけで、後期以降はそういうことをやっていきます。お楽しみに。

オンラインでの体験提供

また話が変わって(戻って)、教室ディベートである。直近の大会を見ていて、中高生に提供する体験の満足度を上げる取り組みをしていかないといけないなぁと思う。今季、練習会等で「フローターのモチベがない」「サブメンバーが辞めた」「試合が機械的」という声を聴き、確かにそうだなぁと思うばかりである。自分がいなきゃいけない理由であったり、自分がこういう体験をした、という証拠であったり、そういったものを強く打ち出せるような取り組みを導入していきたい。私案はいくつかあり、どこかで試せれば。

ちなみにコレを考えているとき、甲子園全国大会の色紙の思い出を話す機会があり、全員口をそろえて「色紙で告白された」と回答していた。第二反駁さんのスピーチに惚れました、結婚してください。書いた側は忘れていても書かれた側は覚えているものである。これも立派な「自分がこういう体験をした、という証拠」である。

タテをつなぐ取り組み

もう一つ、オンラインによって失われかけているのでは・と個人的に危惧しているものとして、社会人と大学生のつながりが挙げられる。僕が大学生の時は図々しくも懇親会などで懐に飛び込みまくったものだが(言うまでもないが社会人ディベーターの方々が寛容だったために許された行いである)、オンラインではそういった世代を超す交流が生まれず、主にジャッジ面での技術継承に危機感を抱いている。ジャッジの勉強はインターンや実践機会だけでなく、懇親会やジャッジルームで得たものも多かったため、最近は積極的に自分が社会人と大学1年生をつなぐように動いている。いずれディベート界を引っ張っていくであろう大学生に向けて、できる限りの知見を提供できるよう、サポートしていきたい。

終わりに

ダラダラ書いたが、自分にやれることは目の前の課題に一つ一つ取り組んでいくことだけである。ご協力いただける多くの方の期待に応えられるよう、自身の考えを整理しつつ、前に進んでいきたい。

というわけで、近々新しいことをやっていきます。お楽しみに。


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