ガクアジサイ

物語の種

 トレードオフという言葉は、いろいろな場面で使われます。その意味は、「両立し得ない関係性」とか「複数の条件を同時に満たすことができない状況」とか。例えば、「高品質と定価格は両立しないのでトレードオフの関係にある」などのように使われます。
 主に経済分野でよく使われるので、二者択一のように見られることが多いのですが、「複数の条件を同時に満たすことができない状況」と理解すると決して二者択一ではありません。
 杉山修一著「すごい畑のすごい土」(幻冬舎新書)では、トレードオフを次のように定義しています。

 トレードオフとは、一つの特性を選ぶことで他の特性を犠牲にすること

 この定義で使われている特性は、たくさんあると思って下さい。トレードオフとは、その中で相反する関係にあるいくつかの特性をあきらめることだという意味です。決して一つにしぼるという意味ではありません。

 最近、太り気味のあなたが、「今日の夕食は、何にしようかな?」と考えたとします。夕食のメニューは星の数ほどあります。しかし、太り気味だから、夕食を食べるのをやめようとはなりません。食べると太るの関係はトレードオフの関係ですが、太るから食べないというふうに普通は考えません。では、どうするでしょうか?太る原因を考えます。カロリーをとりすぎると太る。なら、高カロリーの食事は避けた方がいいな、揚げ物はよそう。だけど、ヘルシー過ぎて満腹感がないのも後で夜食を食べそうで問題だな。じゃあ、ある程度ボリュームがあってカロリーの多くないものにしようか。こうやって、夕飯を何にするかを決めていくのではないでしょうか。

 上の例は、どうでもいい内容ですが、トレードオフを何回も行っていくと、身の丈に合ったものが見つかっていくのだと思います。二者択一ですぐに終わらせるのではなく、相反する理由をよく考えてかみ砕いていく。そして、どちらかというとこっちという方向に徐々に進んでいく。そうして辿り着いた選択が最良の選択になるのではないかと僕は考えています。

 地球上に生き物が生存していくために必要な条件として多様性というものがあります。しかし、人間の生活圏が広がり、環境破壊が進み、多くの生き物が絶滅していっているのが実状です。最近では、世界の科学者らで組織する国際自然保護連合(IUCN)からニホンウナギが絶滅危惧種に指定されたというニュースが話題となりました。地球上の生き物は、人間を含めてたくさんのいきものが共にいなければ生きていけません。人間の体の中だけを見てみても腸には人間の細胞の10倍近い細菌が共存してます。彼ら抜きで人間は生きていけないのです。

 自然の中にいる動物とか植物、そして土壌にいる微生物や菌類など多種多様な生物の間の相互関係を生態学では、生物間相互作用というそうです。この生物間相互作用は、競争、捕食、寄生、相利の4種類に分類されます。競争とは、「餌やすみ場所を奪い合う関係」です。捕食とは、「食べる・食べられるの関係」。キャベツの葉(食べられる)を芋虫(食べる)が食べている時のキャベツと芋虫の関係が捕食にあたります。寄生とは「寄主(例えば病原菌)が宿主(例えばリンゴ)から一方的に利益を得る関係」です。そして相利とは、「お互いに利益を与え合う関係」です。この4種類の関係で多くのいきものが複雑に繋がっています。

 一つの水槽を用意します。その中に水を入れ2種類の魚を入れます。水槽の中には、水と魚以外のものは入れません。同じ餌を与えて同じ環境でこの2種類の魚を育てていくと、そこに競争がおこり、片方が勝者となりもう一方が敗者となって、勝者が敗者を排除してしまいます。これを生態学では、競争排除というそうです。同じ環境下に違う種類の生き物がいると必ず起こる現象で一緒には生きていけないのだそうです。

 ところが、この水槽に水草を入れて場所によって違う環境を作ってあげます。そうすると、2種類の魚の間で競争はおこりますが、排除までいかずに自分たちのテリトリーを決め、共存しはじめるそうです。環境が複雑になればなるほど、いろいろな生き物が多数共存できるようになっていくそうです。

 もう、お気づきだと思いますが、非常に環境を複雑にし、たくさんの種類の生き物が共存している環境。それが、地球なのです。その中では、競争だけでなく、捕食や寄生、相利の関係が存在します。環境問題で多様性が重要視されるのは、こういった理由からです。

 生き物の世界では、競争は勝者と敗者を決める二者択一ではありません。多様な環境の中にそれぞれの生物の居場所をつくり出すプロセスなのです。適者選択ではなく、適材適所をつくることが競争の役割になっているそうです。杉山さんは、本の中でこう書いています。

 競争は敗者を排除するプロセスではなく、多様な環境の中にそれぞれの生物の居場所をつくり出すプロセスといってもよいかもしれません。
 つまり適者生存ではなく適材適所をつくるのが競争の役割です。
 人間社会での競争による格差は、競争が原因というより多様な環境条件が欠如しているところに問題があるのではないでしょうか。
 社会に多様な価値、多様な職業があるならば、競争は、勝者と敗者の間の格差をつくるプロセスから、自分の分野を明らかにし個人のアイデンティティを確立するためのプロセスになるかもしれません。
 しかし、近年の技術革新は、社会を多様性の高い環境から均一な環境に変化させてきました。機械化の進展は、職人芸を誰でもができる単純労働に変えてきました。
 インターネットの急速な普及は、世界のどこでも同じ情報に接し、価値観を共有する方向に進んでいます。近年のグローバル化は、さらに世界レベルでの環境の均一化を促進するかもしれません。
 均一な環境と競争が組み合わさった時には、必然的に競争排除が起き、敗者は絶滅します。
 人間社会は自然界とは異なり、敗者を見捨てることはできません。
 私たちは、競争をなくすのではなく、人間社会の環境や価値を多様にし、それぞれが得意分野を見つけて共存できるように注意を払うべきなのかもしれません。

 おそらく、コンピューターやインターネットといった環境が備わる前と後では、社会を構成する環境や価値が変わったのだと思います。そして、その流れは現在も進行中です。人間社会の環境や価値をどうやって多様化するのか。大きなテーマだと思います。

 ところで、これって、なんか物語の種になりそうな気がしませんか?現実に即した課題だと思います。創造をいろいろな方向に持って行けるような気がします。私も物語を紡いでみようと思いますが、もし良かったらあなたも妄想してみませんか。ご自由にどうぞ……。

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