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大学時代の思い出(20)

 車を壊してしまい、ローンだけ残った状態で次の車を買うことは不可能だと思っていた。

 ところが、バイト先のガソリンスタンドの常連さんでホンダ自動車販売店の店長さんが名義書換料さえ、払えば車を譲ってもいいと言ってくれた。ガソリンスタンドのすぐ近くにあるホンダの販売店は、新車が売れると、バイト先のガソリンスタンドで10リッターだけガソリンをつめて、お客さんに車を渡す。ガソリンを入れにくる度に会うので顔見知りになっていた。

 話はこうだ。新車を購入してもらうためにそれまでお客さんが乗っていた車を下取る。その下取った車が5年以上立っていると、車検が2年近く残っていても査定額が0なので廃車してしまう。だから、どんな車でもよければその下取った車を譲るというものだ。廃車手続きをするには、山形の先にある陸運局まで持っていき手続きする必要があるため、陸運局に行って、名義変更を届け出て、名義変更代を払ってくれれば販売店としてもメリットがあるというのだ。

 藁をもすがりたい心境だったので、店長さんの話に乗った。書換料2万円でシビックの初期型の車をゲットすることができた。車検は一年半残っていて、卒業するまでは乗れる予定だった。

 ところが、この頃のホンダ車は、今のホンダ車とは別物だった。8年半落ちのシビックは、かなり傷んでいて、普通に走ることは走るがほとんど部品が壊れる寸前の状態だった。

 まず、名義変更手続きをしに陸運局に行ったのだが、その帰り道でマフラーが落ちた。バックミラーで根元から折れたマフラーを見てすぐに車を止めた。落としたマフラーを回収して折れたところを見ると、完全に腐食していた。アクセルを踏むとエンジンの下の方から炎をはき出るのが見える。暴走族にも負けない轟音が車の下の方から聞こえてくる。米沢に戻るまでの1時間半、轟音を奏でながら走る羽目になってしまった。解体屋からマフラーを取ってきて付け替える。これで3万円ほどかかってしまった。もちろん、バッテリーも新品に交換した。

 夏休みに帰省のため、東京に戻る際に、一緒に帰省するという太田市の友達を宇都宮の駅で降ろした直後に、運転席のシートを支えていたボルトが折れた。発進のためアクセルを踏見込もうとしたら、ボルトが折れ、その反動で運転席が後部座席の方へ倒れていき、頭が後ろへと引っ張られた。あわててハンドルをぎゅっと強く握り、身体が後ろに倒れるのを避けた。このままでは、運転できないので、宇都宮の駅前で助手席シートと運転席のシートを交換して何とか東京まで戻った。

 冬になり、借りていた駐車場まで雪かきに行くのが面倒で、一週間サボっていたら、車が完全に雪の中に埋もれてしまった。雪解けを待って、春先に恐る恐るエンジンを回すと、セルが弱々しくまわり、その後エンジンが無事かかった。雪に埋もれていたおかけでエンジンルームの温度がそんなには下がらず、バッテリーがもったものと思われる。サイドミラーが少し曲がった程度でその他はなんともなかった。

 この時の経験で、譲ってくれた店長には悪いが、当分ホンダ車には乗らないと決意した。ただよりも高いものはないことを知るいい機会にはなったけど…。

 ネタに困って始めた『大学時代の思い出』だったが、色々と記憶を辿っていくと、思った以上にばかなことをしていたことが思い出され、当初2~3回で終わるだろうと思っていたにも関わらず、20回まで続けて書くことが出来た。

 1980年代の話なので、書きながら今とはだいぶ違うなあと思ったところも結構あった。今のように、携帯電話やインターネットがまだない時代だったが、あの頃はそれが当たり前だったので、特に不自由を感じていなかったし、なければないで楽しかったんだと思う。

 最後につまらない経験談にお付き合い頂いた皆様に感謝してこのシリーズを終わりたいと思います。ありがとうございました。

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