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自然と生まれてくる共通認識のようなもの

 今回は、自然と生まれてくる共通認識のような感覚を居酒屋での雑談の中で描いてみました。もう少し掘り下げるべきかもしれません。

上原里美(うえはらさとみ)42才

 「四十を過ぎちゃったから真剣に何かにうち込みたいと思うんだけど、何やっても長続きしないのよねえ」
 と里美がつぶやく。里美はバブル全盛のころに青春時代を過ごし、そのとき知り合った現在の夫と結婚したが、子どもに恵まれず、もてあました時間を有効活用しようと、この店を始めた。 店を始めて1年が過ぎようとしている。
 駅から数分のところにある家庭的な居酒屋で、カウンターが数席とテーブル席が4セットほど置いてある小さな店だ。若者というよりも若干年上の常連客が多く、以外にも男女両方が集う店でもある。
「音楽のジャンルでは、どんなのが好きなの?」
 カウンターに座っている常連客の一人である渡瀬がグラスの焼酎を一口含んでから里美のつぶやきに反応した。


「ジャンルって?」
「クラシックとか、ジャズとか、歌謡曲とか」
「うーん、特にこのジャンルが好きというんで選んだことはないかも」
 考えてみると、音楽のジャンルを気にして曲を選んだりしたことはない。 今日はあのグループの曲にしようとか、あの歌手の曲を聴こうとか、その日の気分で選んでいる。
「えっ、じゃあどうやって選んでいるの?」
「いってみれば、かっこいい男が歌っているからっていう感じかな」
 それを聞いていた渡瀬の頭の中でははてなが浮かんでいるようだ。渡瀬は自分の言葉にかみ砕いて質問してきた。
「歌手から入るって、いうこと?」
「そうかもしれない」
 バブルのころ、常に選んでいたのは、かっこいいアイドルの男たちだった。あの頃は今のように大勢でアイドルグループを組んでいるという時代ではなかった。せいぜい四人ぐらいまでで「その中で、私のお気に入りは彼」的な発想でアイドルに憧れファンになっていった。だから私の場合、音楽はジャンルで分かれていない。っていうか、あのころ、音楽というもの自体がそのときの感情のはけ口でしかなかったような気がする。溜まったうっぷんを発散できればそれで良かった。
「確かにアイドルに夢中な女の子がキャーって叫んでいるとき、曲を聴いているようには思えないよなあ」
 渡瀬は、思春期の若い女の子がアイドルを見つめながら叫んでいる風景を想像しているようだ。
「叫ぶことに夢中になって実際全然聞いていないよ。」
 今でもあこがれている歌手のコンサートに行けば、最初から最後まで踊りながら叫び、後になって歳をとったことを痛感し反省する。曲なんて、ほとんど覚えていない。曲を聞きにいっているわけではないのだ。
 だから、同じ年のコンサートツアーに何度でも足を運ぶ。
(楽曲が同じで、構成も同じコンサートに何回も行って飽きないの?)
 夫に尋ねられたことがあったが、目的は気持ちを解放することだから、楽曲なんて関係ない。
「思春期にアイドルから入ってしまうとそうゆう感覚で音楽を聴くっていうこともありなのかなあ」
 渡瀬は、自分とはまったく違う発想の異邦人を理解しようと努力している雰囲気だった。
 里美は、音楽の話から少し違った分野へ話を移した。
「好きな選手がいて、応援しているうちにその競技に詳しくなるということもあるよね」
「本田がかっこいいと思って、サッカーにのめり込んだひとも多いんだろうね」
 そう、わたしの中では何かにのめり込んでいくのに、音楽とかスポーツとかそんな区別はない。ただそれに興味がわいたからのめり込んでいくだけだ。
 渡瀬が話を続ける。
「そう言えば、中田が初めて登場してきたとき、なんて不細工なんだろうと思っていたんだけど、活躍しているのを見ているうちに、いつの間にかファンションリーダーになっていたよね。あれは、サッカーのプレイが素晴らしかったからだけじゃなくて、サッカー選手としての彼の行動に一貫性があって、他の選手にはないカリスマ性があったからなのかもしれない。そうこうするうちに、サッカー以外でもあの中田がやっていることならかっこいいなとなって、彼自身の生き方がかっこいいとなり、時の人になっていったんだろうね」
「でも、人を魅了するあの素晴らしいプレイがなければ、最初に注目をあびなかっただろうし、当然カリスマにもなっていなかったんだと思う」
 何事にもきっかけが必要ということだ。
「大人はそうかもしれないけど、子どもたちは、単純に中田がサッカーのスーパースターだったから、彼に憧れ、かっこいいと思ったんだと思うよ」
 同じ時代に何かを共有するということは、生きているなら誰でも経験すること。ただし、人によってまた年代によってもその感じ方は違ってくる。 当然のことながら、子ども目線と大人目線でも違うし、男女の差でも違ってくるはず。しかし、中田に感じたかっこよさや、スターやヒット曲に多くの人が魅了される状況は、年代や感じ方が違ってもそこに何か共通するものが生まれているような気がする。それが誰もが認めるかっこよさだし、ヒット曲のクールさだったりする。それはその時代を生きる人々の共通の認識のようなものになっていくのかもしれない。そして、世代を超えて定着したものが本当のコモンセンスになっていく。
「理屈で選ぶというよりも、センスで選んでいるっということになるのかなあ」
 決して、すべてのものが理屈で選ばれているわけではない。五感が感じる心地よさから何かを選ぶということを誰もが自然におこなっている。逆にこうして集まった集合知のようなものが経験則となって理屈が作られるのではないだろうか。
「例えば眼鏡を選ぶとき機能性で選ぶ人もいるけど、かけ心地やデザインで選ぶ人も多いよね」
 渡瀬が話を続ける。
「確かに、私はかけ心地で選ぶタイプかもしれない」
 そう、わたしは自分のセンスを大切に生きている女なのだ。

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