見出し画像

大学時代の思い出(11)

 この時の東北一周旅行、全て覚えているわけではないので、覚えていることだけ書いてみる。

 国道13号線をまっすぐ北上していく。山形、尾花沢、新庄を通り、県境を越えて秋田県に入る。僕らの年代にとって、秋田といえば桜田淳子だった。つまり秋田美人。秋田に入れば美人がいっぱい。そう思っていた二人の目つきが、秋田県に入った当たりから血走っている。

 湯沢の町に入ってから、車を止め、周りを見わたすと確かに桜田淳子似の高校生やおばさん、そしておばあさんがいる。「おお!」思わず声が出る。やっぱり秋田には美人が多い。ということで二人は納得しあった。だからといって、なにか行動にでるわけではなく、そのまま秋田市に向かった。桜田淳子が湯沢出身かどうかも知らない。血走った目にそう映っただけなのかもしれない。でも、それだけで満足だった。

 ちなみに、この前の年、松田聖子がデビューしている。確かこの年に、小泉今日子と中森明菜がデビューしたと思う。中森明菜の「セカンドラブ」が気に入って、レコードを買いに行き、間違って小泉今日子のデビューアルバムを買ってきてしまい、何か違うと悩んだことを覚えている。

 話がそれた。秋田市で一晩過ごすことになり、海辺にある県営公園の駐車場に車を止める。初めての車中野宿だ。運転席にはハンドルやアクセルペダルなど余計なものがあるので寝づらい。まず、じゃんけんで寝る場所を決める。このじゃんけんは、旅の間の行事となった。何事もじゃんけんで決める。車外で缶ビールを飲み、睡魔が来たところで車の中に入る。すると、見回りのおまわりさんが自転車に乗って、こっちの方に向かってくるではないか。不振に思われないかとひやひやしたが、おまわりさんは何も尋ねることなく過ぎ去っていった。後で考えてみると、夏場の海辺の公園といえば、カップルでいっぱいだったはず。いちいち車の中をのぞきこむ野暮なおまわりさんなど、いるはずがない。逆に言えば、そんなカップルがたくさんいるところに男二人で寝ていたということだ。へたをすれば痴漢と間違われていたかもしれない。なんとも情けない話だ。

 秋田大学の食堂で朝食をとった。山形大学と同じで、地方から来ている学生の方が多いせいか、秋田大学にはそれほど美人がいるわけではなかった。食堂の雰囲気もあまり山形大学の食堂と変わらなかった。

 秋田から青森を通って、太平洋側に入る。八戸まで行ったところで二泊目に入ることになった。駅前の銭湯で風呂に入り、寝る場所を捜す。

 この日、台風が接近しているとラジオのニュースで伝えていたが、まあ、こっちの方はまだ大丈夫だろうと判断して、港のそばの駐車場に車を止めて、寝る準備をはじめた。時折、車が風で揺れ、風音がうなって聞こえる。かなり風が強いな、と思って目をつぶっていると、ジャバッと波しぶきが車を襲ってきた。とっさに二人とも飛び起きた。これは、まずいと判断。寝る場所を山の方へ変えるため、移動することになった。峠にあるドライブインを見つけ、その駐車場で寝ることにした。この時点で雨がかなり強く降っていた。
 朝、目覚めてみると目の前に消防車が留まっていた。何事かと思い、消防士さんに聞いて見ると、目の前の斜面が台風の雨で崩れる恐れがあるので警戒しているという。「おいおい、それなら俺たちを起こせよ」と突っ込みを入れたいところだったが、真剣にガケを見守っている消防士さんにそんなこと言える雰囲気ではなかった。ここも、安心できるところではなかったのだ。一拍の恩義があるので、そのドライブインで朝食を取り、青森県を後にした。

 岩手県に入り、盛岡へと向かう。当初は、岩手大学で昼飯を食うつもりだったが、盛岡といえばわんこそばだ。ここはわんこそばを食べるべきということで意見が一致。早速、店を探す。わんこそばは、予約制のところが多かったが、何件目かで入れた。メニューにはわんこそばしかなく、値段の違うコースがいくつかあった。最低のコースでも2000円した。貧乏学生にとって、2000円は痛かったが、それが最安メニューなので、それを選びしかなかった。
 わんこそばの他に刺身やちょっとしたおかず、そして薬味などが別のお椀に盛ってあり、それを平行して食べるスタイルだった。が、側におそばを放り込む娘さん姿のおばさんが控えており、そばが無くなった瞬間にそばをお椀に入れてくる。一定のリズムがあるため、なかなか刺身や薬味に手を出す暇がない。そうこうしている間にお腹が満腹になってきて、余計他のものを受け付けなくなる。終わってみると、刺身などのおかずは、ほとんど手つかずで残す結果になってしまった。慣れている人であれば、頃合いを見ておかずにも手を出すのだろうが、初めてでは、わんこそば特有の雰囲気にのまれてしまい、おかずまで手が届かなかった。

 それでは、おわんの数が多かったかというと、そんなことはなく、隣で食べていたおばさんたちがしっかり80パイとか食べているのに、我々は50パイも行かない状態だった。なんのことはない、わんこそばを食べるということは、ざるそばの大盛りを2000円出して食べたということなってしまった。自業自得だけれど、店を出たときは、2000円返せという気持ちだった。

つづく

 エッセイ集 目次


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?