大学時代の思い出(4)
一年の夏休み、実家に帰省した。帰省といっても東京の郊外にある実家に戻るので、帰省というよりも都心に出るという雰囲気だった。
少しでも安上がりにするため、深夜バスで寮で知り合った同級の医学部生と東京に向かった。乗った深夜バスは、座席は狭く、冷房もあまり効いていなかったので、朝まで寝ることはできなかった。早朝、新宿について、バスを降りたとき最初にやったのは、背伸びとあくびだった。
実家でじっとしているのもなんなので、期限付きのバイトとして、小学校で水泳を教えることになった。バイト先は、通った小学校ではなく、駅向こうにある別の小学校だった。学生が4~5人、学校の先生と一緒に夏休みの小学生に水泳を教えるスタイルだった。
通ってくる小学生の中に、脳に障害をもった男の子がひとりいた。最初、彼は水に顔をつけることもできず、水をみるなり、逃げ出す始末だった。それなのに毎日真面目に水泳教室に通ってくる。何か目的があるのだろうかと見守っていると、何かをしたあとに、必ず担任の先生の顔を伺う。そして、先生に抱きつくにいく。おそらく先生に甘えたいのだろう。
そこで、彼に声をかけた。「教室の終わる頃までに泳げるようになって、先生にその姿を見せようよ」彼は、先生のいる方をじっとみて、そのあと頭をたてに振った。
その日から、泳ぐための練習がマンツーマンで始まった。まず、水に慣れさす。だっこしたまま、水の中で遊ばせることからスタート、水を怖がらなくなったところで、プールの中に彼を降ろす。そのあとは、水掛遊び。互いに水を掛け合って遊ぶ。彼が飽きないようにたまに担任の先生にも入ってもらう。先生が入ると彼は俄然張り切る。いつの時代でも男の子にとって女の先生は特別の存在だ。
次に水中で目を開ける練習。今のように、水中ゴーグルを誰でもする時代では無かった。そのため、泳ぐためには水中で目を開けられなければならなかった。じゃんけんから始めて、碁石広いと進めていく。鬼ごっこも取り入れると俄然張り切り出す。この頃は、もう水に恐怖を持たなくなっていた。
ここまでくれば、泳ぎを教えるのは簡単だった。本人が楽しくてしょうがないのだ。ちょっと手助けするだけで、すぐに10m泳げるようになった。彼は泳げたことを真っ先に僕に報告しに来る。そして、自慢げに僕を見詰める彼に僕は言った。
「自慢する相手が違うだろう?先生に報告しにいかなくちゃだめじゃない。」
すると、彼は僕と話していたことも忘れて先生の方へ一目散に向かっていった。そして、先生の前でもう一度10m泳いで見せた。
この水泳教室でもう一つ覚えていることがある。どう見ても大人の僕たちと変わらない体格の男の子が六年生の中にいた。彼は、非常に優しい性格らしく、水泳を習うときも他の人に先を譲り、自分はいつも一番最後に教えてもらうというスタンスだった。
ある日、教室が終わったあとに、小さい子らを片っ端から水の中に投げてみんなと一緒に遊んでいた。身体が大きい子も投げて欲しいといって寄ってくるので、ある程度の大きさの子も投げていた。そんなとき、彼は僕の横で他の子を投げるのを手伝ってくれる。そんな彼に、「お前も投げてもらいたいか?」と聞くと、「おれはいいよ」とはにかみながら答える。
身体はでかくても心は小学生なのだ。きっと投げてもらいたいに決まっている。体格を考えるとおそらく投げるのは無理だろうと思ったが、無理矢理投げてみた。ほとんど、水面すれすれだったけど、投げられた彼は、満面の笑顔で「ありがとう!」といって、すぐ他の子どもたちを投げはじめた。そのときの彼の笑顔も忘れられない思い出になった。
他の小学生に比べ、早い時期に男性ホルモンが働き出し、本人の意思とは無関係に身体が勝手に大人への道を進んでいく。そんな彼の心の悩みまでは見てあげられなかったが、一つでも小学生らしい思い出を作ってあげたかった。
つづく
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