ひとはどんなときに命が有限だと実感するのだろうか?

今後、このテーマで、主人公を変えて何パターンか文章を作っていきたいと思っています。一回目は、ほぼ実体験でフィクション性が貧しいものになっています。

渡瀬徹(わたせとおる)53才 その三

 今振り返ってみると、30才で体感したこの経験は、その後の人生に大きく影響を与えたと思う。あの頃にくらべれば、だいぶ記憶力は戻ったが、それでも人並みの記憶力はない。人の名前や数字の記憶力は、努力はしたが、直らなかった。今でも、大事なことはメモらなければ不安になるのも事実だ。
 また、病気後、記憶力が落ちたことを他のひとに説明しても理解してもらえないジレンマにも悩まされた。当然のことのように、作業していた内容をある日突然忘れてしまうことがある。こういうことは、普通ではあり得ないらしく、いくら説明しても信じてもらえないことが多かった。やっかいなのが、病気する前に覚えたことは、忘れることなく何度でも思い出せることだ。20代に覚えた技術的知識は、病気の影響では失われていないようで、即座に思い出すことができる。しかし、病気後に覚えた知識は、半年使用していないと、すぱっと忘れてしまうことがあるのだ。普通の人には理解できないのも当然なのだが……。
 しかし、いい面もあった。今まで記憶してきたことをどこまで覚えているのかわからないため、あの日を境にもう一度知識収集をしようと思いたったことがひとつ。
 20代、仕事にかまけてほとんど本を読んでいなかった状態から、読書三昧の日々に変わったのだ。高校で学んだことぐらいまで遡って知識収集を始めた。理科系の新書を手始めに、分野を選ばず、色々な分野の本を読んだ。また、脳の病気を患った影響で、脳に関する本も何冊も手をつけた。小難しい本に飽きると、小説を何週間も続けて読むようにして、リラックスすることも忘れなかった。
 そして、何よりもあの経験で命に限りがあることを学んだことだ。言い換えれば、自分を大切にするようになったということ。20代までは、結果を出すため、がむしゃらに行動することをいとわなかった。そのことが、体にダメージを与えても時間が経てば元に戻ると思っていた。しかし、病気後は、ある一定の線があって、そこを超えると戻ってこれない可能性があることを学んだ。時間配分を考え、無理をしないでできる方法を模索し、行動するようになった。
 結果として、マイペースといわれることが多くなったが、それはそれでしかたがないことと思っている。

 朝、4時に起床し、ジョギング用の衣装に着替え、部屋を出る。5月の下旬ともなると、外の空気も柔らかくなり、肌にやさしい。マンションの階段を下りていくと、街路樹に留まっている野鳥が忙しなく鳴いている。アキレス腱を伸ばして、軽く足首を回し、屈伸運動を何回かやって体をほぐす。そして、歩くスピードとさほど変わらないスピードでジョギングを開始する。15分経つまでは、このペースを維持する。そうしないと、間接のどこかを痛める可能性がある。
 53才になった今、自分の体と会話しながら慎重に体を動かしていくことが当たり前となった。早く体重を落としたいが、急いでケガをしたのでは元も子もない。
「おはようございます」
 反対側から歩いてくるひとに、すれ違い際に挨拶された。
「おはようございます」
 走りながら、言葉をかえす。この時間でもけっこう歩いているひとがいる。川沿いのこの道は、朝のウォーキングコースになっているのだ。だが、ほとんどのひとが、すれ違い際に挨拶をかわさない。山歩きのように、出会い頭に挨拶ばかりしていたのでは、疲れてしまうからかもしれない。
 そう言えば、最近では、登山道にひとの渋滞ができるという。そうなってしまうと、すれ違うひとと挨拶をするという習慣も薄れてしまっているのだろうか。
 昔、山を登っていたころ、たまにしかひとと合わないので、久々にひとを見つけ、すれ違い際に挨拶するとなんとなくほっとし、安心したものだ。人間の生活圏に今いないという山特有の緊張感があったからだと思う。
 ジョギングをしながらふとそんなことが頭をよぎった。

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