ICSI→妊娠→出産直後に発覚した、息子の先天性十二指腸閉塞

うちの息子は4歳。
元気に保育園に通う
食欲旺盛の巨大児である(笑)

でも実はうちの息子、出産直後に先天性十二指腸閉塞が発覚して緊急搬送された。
ちなみに妊婦検診では胎児に異常はなかった。
むしろ、私の持病(起立性調節性失神)にて大学病院へ強制転院させられた。
青天の霹靂とはこのようなことを言うのだろう。

忘れもしないあれは四年前の春。

初めての子供。
しかもICSIで授かった子供だったので、私は非常にセンシティブにマタニティライフを過ごしていた。
実は私は 起立性調節性失神を一時期酷く起こしていた。
その話を32wチラッと主治医に話したら
『うちじゃみれない。大学病院に転院』と一言。
そそくさと紹介状を書かれ、有無を言わさず会計時に渡された。
片道一時間、出産費用も高額な病院だ。

40w4d
子宮口が全く開かず。
グリグリをされても 子宮口が柔らかくなる気配もなかった。
41wになったら誘発をしようという話になった。
その日の夜陣痛がきた。

40w6d
約39時間かかった。
頭が大きくて、なかなか出てこず。
痛みの中、カイザーする?なんて話もちらほら助産師さんから。
いや、あんまりだよ、こんなに陣痛耐えたのに、、とか(笑)
当の私は、切ってくれ~切ってくれ~と叫んでいました。
あまりに時間がかかったので、旦那は隣の分娩台で寝てたらしい。

生まれた直後赤ちゃんを抱いて吸引した助産師から『手足が脱力?してる気がする。新生児仮死じゃないですか?』と医師に発言している様子が。
それに対して医者がそんな簡単に 言うもんじゃない と制するやりとりがうっすら聞こえたが、その時は気にもしなかった。

会陰切開でざっくり出血をして、陣痛が長かったため、出血量も多かった。
点滴をしながら、うとうと 生まれたての我が子を少し胸に抱いてストンと眠りに落ちてしまった。

6時出産。
15時頃、 義理の両親と夫が花を持って面会に来てくれた。
それと同時に私も起きた。
みんなでぞろぞろ新生児室の前のカーテンが開くのを待った。


いざカーテンが開くも、私の名前が入ったネームプレートが見当たらない。


ん?
うちの子がいない。。

すると新生児室の後ろの方でなにやらバタバタ医者が2名3名と看護師らしき人達が赤ちゃんを囲んでいるのが見えた。
赤ちゃんが泣き叫ぶ声。
旦那とまさかあれじゃないよね、なんて冗談まじりで話していた。

すると、助産主任から『こちらへきてきださい』と隣の小さな部屋へ呼ばれる。


嫌な予感がした。


NICUの医師から説明を受ける。
出産後ミルクを吐き続けている。
今、点滴ルートを確保した。
レントゲン? CT? を撮ったら十二指腸閉塞の可能性が高い。 うちには内科のNICUしかないので、これから外科のNICUのある小児多摩総合医療センターへ搬送する、と。

頭が真っ白。
それから記憶がうろ覚え。

その後、救急隊が病棟へ入ってきた。
保育器 に入って、NICUの医師に付き添われて運ばれていく息子をただただ見つめていた。
夫も救急車一緒に乗り、入院手続き、説明等に奔走した。


その日の夜。
母子同室ではなかったが、夕方になると面会に来る家族が楽しそうに自分の赤ちゃんのことを話している。
カーテン越しにその声を聞くだけで つらかった。
夜、その声を聞きながらご飯を食べながら一人泣いた。
出産時 担当してくれた助産師さんに話を聞いてもらった。


次の日から、部屋の中で搾乳をしたり、おっぱいマッサージ。 赤ちゃんの指導なども全部個別でやってくれることになった。


生後1日目

夕方夫が一度私の病院へ戻り、タクシーで一緒に息子の病院へ向かう。
貧血もあり、会陰が酷く傷んだが、そんな事を言ってる場合じゃなかった。

NICUへ。
入室にはインターフォンを押す。
荷物はロッカーへ預け、手洗いをして入る。
一部屋に10人くらい赤ちゃんがいた。
他の保護者もちらほらいた。
ピコンピコンと響く機械音。
漂う緊張感。


息子の保育器に案内される。
心なしか、酔っ払ったような表情。
嘔吐ばかりしていたせいか、気持ちが悪そう。
お腹が空いているんだろうか、おしゃぶりをずっとちゅぱちゅぱしていた。
小さな体に信じられないくらい大量の点滴・心電図・パルスオキシメーター・酸素・鼻から管、、

泣くまい泣くまいと思ってたのに、息子を目の前にして涙が溢れた。
苦しい
苦しい
この子は産まれてまだ1日しか経ってないのだ。
この子は今、生きてるんだ。


外を見るともう夜。
車椅子でNICUに入室した私。
主治医は待って居てくれたようだ。

・恐らく息子は、先天性十二指腸閉鎖症。
しかし、十二指腸が完全に閉塞しているのか、狭窄しているのか造影剤を使用してもはっきりわからない。
しばらく検査を続けてやってく。

・閉塞の可能性が高ければ手術が必要。
今は検査で見極めてる。

・経口摂取ができないため、中心静脈栄養(太い血管に点滴ルートを入れ、確実に点滴を体内へ入れる点滴)に切り替えられている

・十二指腸が閉塞しているので、鼻から管を入れて胃液やガス等を排出している

・命に別状はなく、他の合併症もない。
ただ、ミルクが飲めない状態だったため、低栄養、低血糖、低体温、脱水があり、状態はよくないが点滴で改善するだろう

NICUを後にしてタクシーで病院へ戻った。
夫はそのまま自宅へ。
9時過ぎに病室へ戻り、その後もなかなか寝付けなかった。
私にできることは母乳を絞る事と、身体を回復させる事。
息子に会いに行く事を目標にしていた。

生後2~3日目

夕方~夜にかけての面会時間を避けるように息子に会いにいった。
会いに行くのがたのしみだった。
夜も寝れない日々が続いた。

生後4日。
多摩総から、夫の職場に連絡が。
今日手術が決まったから、病院へ来て欲しいという連絡だった。
忙しい中、スケジュールの合間をぬってどうにか息子の手術を施行することが決定した。
主治医から説明を受けた。
手術を施行する前、外科部長から丁寧な説明を受けた。
安心した。
任せられる、そう思った。

手術室の前まで息子を見送った。
息子、なんだかニコニコしてた。
手術室のナース達がかわいい!と。
なんだかホッコリした、と思った瞬間点滴台が倒れそうになる、危ない危ないとそこにいた皆で冷や汗。

17時入室。
手術は4時間ほど。
麻酔で眠った息子の顔をとても柔らかい表情だった。
手術は無事終わった。
開腹したら十二指腸は完全閉塞していた。
また、息子の膵臓は輪状膵という特殊な形をしていた。
ダイヤモンド吻合という術式にて手術は完了した。


息子の力が抜けたような寝顔を見て、心底ホッとした。

ありがとうございます。


それから、術後合併症もなく経過した。
GCUへ移り、我が子を胸に抱いた。
保育器からコットになり、搾乳した母乳をちょっとずつ鼻の管から入れることになり、点滴は減り、鼻から腸まで入れていた管も抜け、約1ヶ月後無事退院することができた。

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