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【長文】周りの目を気にしてしまうことについて

どうも、こんにちは、工藤秀平です。

月に4回の長文(今回も4000文字を超えているので、読む際はお気をつけください)の時間がやってきました。

改めて、このマガジンに登録していただきありがとうございます。このマガジンは有料なので、選ばれし方が登録している限定的な場所であり(この文章はまだ無料で見られる範囲内ですが)僕のことを「知ってくださろうとする優しい人たち」だけが集まっている場所だと勝手に思っているので、ここでは、僕が思っていることを出し惜しむことなく、全て吐き出していきたいと思っております。

よって、このマガジンでは、自分のコンプレックスや、自分にとって恥ずかしいこと、なかなか普段話せないようなことなんかも包み隠さず綴っていきます。

みなさんには、「同じ悩み持ってる!」とか、「それ、僕(私)も思ってた!」なんて共感してもらえても嬉しいですし、「そんなこと考えたことなかった!やってみよう!」みたいに、何か力になってくれたらもっと嬉しいですし、ただただ「へー!」って読んでいただくだけでも、とても幸せなことだなと思っております。そんな感じで、どんな角度からでも構いませんので、気軽に読んいただければと思います。よろしくお願いします。

今日は「周りの目を気にしてしまうことについて」綴っていきます。

お付き合いよろしくお願いします。

では、スタート。


まず最初に

僕はよくこんな風に人に言われる。

「工藤くん、そんなにいろんな人のこと考えていて、大丈夫・・・?」
「工藤くん、それはちょっと考えすぎじゃない?」
「工藤くん、そんなこと誰も気にしないよ〜そんな気にしていたらいつかストレスで倒れちゃうよ」

僕は人より、少し、周りの目を気にするタイプだそうだ。


これは正真正銘…


僕のコンプレックスである。


じゃじゃーん!!


じゃじゃーんじゃないわ!と思いつつ、コンプレックスすら愛していこうぜっていう気持ちで生きているので、それっぽく効果音をつけてみました。

そう、一般的には「周りの目を気にしすぎる」ことはよくないこととされている。

そりゃそうだ。

今みたいなSNSの時代では特に、周りの目を気にしすぎていると何も発言できないし、何も行動を起せなくなってしまうし、何より、ストレスが溜まるのだ。ストレスで心が弱ってしまったらよくない。

そんなコンプレックスは直したいものだ。

人に聞いてもわからなかったから、僕は本をたくさん読んださ。

「嫌われたっていい」
「人はそんなに君に興味を持っていない」
「人の時間に縛られるな」

そんなことが書いてあったような気がする。そんな文字を見るたびに

「いや、わかってるよ!気にしないでうまく生きられるなら気にしていないわ!」

そんな風に心で叫びながらそんな関連の本を読んでいた。

そういうテンションで読んでいる自分も含めて、「え、自分ってなんかやばい人なのかな?」と思ったりもしていた自分では普通だけど、人にとってはそれが特殊な言動や行動だったなんてことは、よくあることなので、僕は、人に指摘される度に、自分を見つめ直すようにしてきた。

いつかの自分を見つめ直す機会があったとき、僕は、子供の頃の自分はどんな環境で育ったのかを考えてみた

すると自分は、周りの目を気にするくせに、周りに人がいる環境、

所謂、

集団でいることが好きだったことに気がついた。


僕は姉と妹に挟まれた3人兄弟(姉と妹に挟まれた時ってどういう漢字の表記になるのか未だにわかりません。)の中で育ち(これもある意味集団)、小学1年生の時に野球チームに入り、中学時代は丸坊主で野球部でピッチャーをしながらアカペラグループを組んで、高校でもアカペラを続けて、その頃から木村君というお友達と本格的に音楽を始めて大学生の頃にPlay.You.House(Goose houseの前身)というシンガーソングライター 集団企画に参加して…今はPlay.Gooseという集団のリーダーをしている。

この経歴を見る限り、僕は子供の頃から常に集団の中で育ってきたのだ。

周りの目を気にしてしまうのに、好んで、周りの目がたくさんある集団の中に飛び込んで行っていたわけだ。

完全に矛盾している。

そして、さらに特殊だったのは、周りの目を気にするような人間が、学生時代はクラスで推薦され、学級委員長を任された。学校を卒業したあとも、Goose houseのリーダーになった。これもメンバー投票の推薦だった。

(豆知識:最初リーダー(仮)だったのは元リーダーがお休みの日にリーダー的にチームをまとめる人が別で必要だったため、その目的で名付けられた。)

リーダーや何かの長になった当時は、自分が推薦される理由がよくわからなかった。


リーダーとか「長」のつく仕事をする人は、周りの目を気にせず、「引っ張っていく」ってイメージがあったし、結構怖い雰囲気を持っていないといけない気もしたし、とにかく自分は向いていないと思っていた。

でも、今では、推薦された理由がわかる。

僕は、周りの目を気にしてしまう性格だったからだと思うのだ。

え?

って感じだが、これには続きがある。

周りの目を気にしてしまう性格の人間が、集団の中にいることが極端に「好き」だった結果、リーダーに推薦されたと思うのだ。

どういうことか。

それはこの「好き」という感情に隠れている気がする。

そもそも集団の中に、居続けることって大変なことなのかもしれない。


音楽活動をしていると、ソロアーティストとして活躍されている方と話す機会もあるわけだが、以前言われたことですごく記憶に残っている会話がある。

その方はグループ活動ではなくソロ活動をしている理由をこう答えていた。

「本当はグループでやった方が楽しいのはわかっているのだけど、ずっと人と一緒にやっていると思い通りにならないことが多すぎてストレスが溜まるから自分には無理だった」

たしかに、集団でいることは、自分がやりたいことが全て叶うわけではない。時には人の顔色を伺ったり、誰かがミスをしたらその責任が自分の責任にもなったり、本当に様々なことを考えながら過ごしていかないといけない。

”好きな場所”にいるためには、”好きじゃないこと”もしなければいけない。

"好きじゃないこと"をすることは、"我慢をすること"に近いので、ストレスが溜まる。ストレスが溜まることは辛い。ストレスを溜めながら続けることは大変なわけだ。

だがしかし。

自分は"好きじゃないこと"をどう感じていたのか


僕の場合は、この”好きじゃないこと”をすることを”我慢”とは感じなかったのだ。

”好きじゃないこと"も”ストレスなくやれてしまう”ほど「好き」だったのだ。

この感覚は非常に言語化が難しいのだが、僕の中でいい例だなと思うのは

2時間、友達との待ち合わせで待たされるのは嫌だけど、テーマパークのアトラクションの2時間待ちは大丈夫。
コンビニのレジの行列は苦痛だが、大好きなお店(ラーメンとか)の行列は苦痛じゃない。

これらが同じような感覚なのかなと思う。

極端に好きになると、そのためにする"好きじゃないこと"は、"我慢をすること"とは感じなくなる。そうやって、人は順応していける生き物なのかもしれない。

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Goose house時代から現在のPlay.Gooseに至るまでリーダーを務め、K.K.としても活動する工藤秀平。本人が普段考えているこ…

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