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【長文】出会って20年(出会い編)

僕には、中学生の頃からずっと隣にいてくれる木村マサヒデくんという友達がいるんですけど、お互い12歳、13歳の頃からなんやかんやありながら、今日も仲良く音楽を一緒にやっています。

実は、今年は出会って20年の記念すべき年なんですね。

でもこういう状況下というのもあって、声を大にして祝うことでもないよなって思っていたんですけど、20年ってやっぱりよく考えるとすごいことですよね。

ということで、今回は前編後編にわたって、木村くんとのエピソードを語る回にしたいと思います。前編は木村くんの出会いのお話。

もう、いろんな媒体やライブで、話し尽くしているので、このマガジンを読んでくれている時点で、知っている方が多いと思いますが、僕と木村くんとの最初の出会いは中学校の野球部の仮入部の時でした。

僕も木村くんも小学生の頃から、超のつくほどの野球大好き少年でした。

知らない方のためにも小学生から中学生の野球について説明すると…!

小学校の頃から、プロ志望、甲子園を目指しているような子は、中学に上がると、リトルシニアのチーム、所謂、学校の部活ではなくクラブチームのような団体に入ったりする人も多いんですね。

野球には、軟式と硬式があって、中学の部活で硬式を扱っている学校って少なくて、硬式野球志望の人は、そういうリトルシニアのチームにテストを受けて入ったりします。僕も木村くんも結構本気で野球をやっていたのでリトルシニアのチームから推薦を受けていたりしました。

でも私立の中学に入学して、電車通学だったこともあり、家から遠い学校に通いながらリトルシニアの練習は難しいということで推薦を断って、学校の中学野球部の仮入部の練習に参加していたわけでございます。推薦を断っていたというのもあって、僕も木村くんも仮入部の時点で少し「レベルが高いところを見せないといけない!!」と意気込んでいたような気がします。

さて、そんなこんなで仮入部の1日目。

僕は、小学生の頃からピッチャーを担当していたので、もちろん中学の野球部でもピッチャー志望でした。第一印象が大切だと思っていたので、あまり人が選ばないであろう真っ白のジャージを新調して、グラウンドに向かいました。

グラウンドに着くと、ピッチャー候補は他に、ひとりだけいて、それが赤いジャージを着ている少年でした。

見た目はしゅっとしてて、かっこいい。隣でキャッチボールをしていると投げる球のスピードも速くて、バッティング練習では、バカスカホームラン級の打球を飛ばしていて、その時、言葉は交わさなかったけど、正直「やばい…負けるかも」と心の中で思っていたわけです。

僕も負けじと横で、小学生の頃は、区の中で5本の指に入ると言われた球速(どのぐらいのレベルかわかりづらい)を見せつけ、バカスカホームラン級の打球を打ったりして対抗心を燃やしていたりしました。

それから数日、ある程度仮入部の子達も仲良くなってきて、仮入部派閥ができ始めていきました。その派閥は大きく分けると、赤いジャージの少年と、白いジャージの少年の二組だったような気がします。

その赤いジャージの少年を完全にライバル視していた僕は、その後も一切会話も交わさず、実力で圧倒してやろうと、近所の公園で黙々と壁当てをしたり、素振りをしたりして、部活の練習に向かっていました。

そして、ある日。

僕と同じ派閥の友達から「あの赤いジャージの子が工藤くんの事、なんか話してたらしいよ」と口コミがあったのです。

「おっと、そうか、中学というのはそういう場所か。悪口なんてものをこそこそ言う奴がいるのか。」

一気に、ビー・バップ・ハイスクールモードです。

あまり喧嘩は好きじゃないけど、仕方ないか。やるだけやってやろうと、覚悟を決めました。

そして、その瞬間がついにやってきます。

いつも通り仮入部の練習を終えて、教室で着替えていると…

走ってはいけない廊下を「スタタタタタタタ!!!!!」と走る音がこちらの教室に向かってくるのです。

僕は急いで脱いでいたジャージを着て、構えました。

どういう風にかわすか、パンチなのかキックなのか何を繰り出すべきか頭の中でぐるぐるしていました。そして…

「(ガラガラガラ…!!!!!)」

ドアが開いて、入ってきたのは、赤いジャージの少年でした。

すごい剣幕でした。

そして、空気が一瞬凍りました。

よく見ると、彼は赤いジャージを着ていなかったのです。

そうです、上半身は裸、下半身はパンツ一枚、上履きは履かず、裸足でした。

「どうも!1年C組木村正英!出席番号16番(記憶曖昧)です!どうぞよろしくお願いします!!!!!!!!!!」

それだけを言って、彼はまた去っていきました。

「スタタタタタタタ!!!!(正しくは、ぺちぺちぺちぺち!!!!)」

本当に何が起きたのかわからなかったです。

でも、ひとつわかったのは、「すごく面白い奴がパンツ一丁で教室に入ってきた」ことでした。

それからのことはあまり覚えていないのですが、お互いパンツ一丁になって、握手をしたかしてないかで、「友達になってください」と話したような気がします。

それから一気に2人は仲良くなって、自分たちのことを「親友」と呼ぶようになりました。その同じ派閥の友達が言ってた「工藤くんの話」は「あいつはすごい」と赤いジャージの子が僕を褒めてくれていたみたいで、お互い良い意味で意識しあっていたことがわかったのでありました。

そうです、その赤いジャージの少年こそ、20年経った今も一緒に音楽をやっている相方木村マサヒデだったわけです。

それから数週間後です。僕と木村くんは横に並んで、投球練習をしていました。そして、木村くんが「俺、ピッチャーやめて秀平のキャッチャー役になるわ」と言って、彼はピッチャーからキャッチャーに転向しました。これがバッテリー誕生の瞬間でした。この時から、彼は僕の女房役と言われるキャッチャーにかってでてくれたのでありました。

それからバッテリーのの2人は、毎日朝の7時10分頃に横浜駅に集合して、学校に向かうようになりました。朝練があるときは6時台だったかな。朝練では、階段をうさぎとびしたり、おんぶしながら階段を登ったりして、青春を過ごしました。

僕の学校でも男2人で毎日待ち合わせしているような人たちはいませんでした。自分たちでもあれはなんだったんだろうと思ったりします。

これが2人の出会いのエピソードでありました。

おまけでクラス替えのお話もあるのでしておきますね。

あれは、中学2年生になった時のことでした。

クラス替えのチャンスがやってきました。

もちろん僕と木村くんは違うクラスだったので、先生に「同じクラスにしてください」とお願いをしました。そして、何度も祈りました。しかし、その願いも叶わず、クラスは違うし、さらに教室の場所もすごく遠くに離されました。

そして、その後、中学高校6年間の同じ学校でしたが、同じクラスになることは一度もありませんでした。隣のクラスにすらなったことはありませんでした。

これ、後に、すごいことがわかるのです。高校3年生の時です、職員室にいたときに、すごく仲良い先生と話していて、クラス替えの秘密を知ってしまいました。

基本的にはクラス替えはランダムで行われるが、「この子とこの子は仲が良すぎる」という2人は、事前にクラスを離すようにしているということだった。

そして、そこに工藤と木村の2人は入っていたらしいのです。

で、特に僕と木村くんはさらにその中でも要注意人物だったそうで、休み時間になると必ずどちらかがどちらかの教室に行って、ずっと話をしていたらしく(あまり覚えていない)そんな仲の良い生徒は本当に稀だったみたいで、隣のクラスにもしてもらえませんでした。

隣のクラスだと教室が近いので、休み時間の時により多く絡みに行ってしまうし、体育の時には同じ授業になってしまう時もあるからとかそういう理由もあったとか…。

そんな風に、要注意人物と言われると、それはそれは不良少年だったのではないかと思われそうだが、この2人はそんなことはありません。中学高校6年間、ほぼ皆勤賞(後々、PlayYou.House加入のきっかけにもなったSONYのオーディションで1日休んでしまったので正確には精勤賞)で、木村は生徒会長と工藤は、ほぼ毎年学級委員長を勤めるという生徒だったのであります。

そんな不思議な少年でありましたとさ。

振り返ると出会った時から、木村マサヒデはすごい人で、僕の一歩前でかっこよいところを見せつけて、道を作ってくれて、臆病な僕が前に進むと、気づいたら僕の横に立って、僕のことを支えてくれていました。それは20年経った今も昔もずっと変わらずで。

本当にこの人に出会ってよかったなと思いますね。

以上、出会いとクラス替えの学生時代エピソードでした。

後編へつづく。。。

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