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【長文】僕とたこ焼きとおばあちゃんの話

今日は僕とたこ焼きとおばあちゃんの話。

僕はたこ焼きが大好きだ。

小さな頃、よく祖母(以下、おばあちゃんと呼ぶ)が仕事帰りに買ってきてくれた。

1、床屋さん

僕のおばあちゃんは床屋さんだった。

小さな頃は理容師だったおばあちゃんに髪の毛を切ってもらっていたので、髪の毛というものは自分の家で切るものだと思って僕は育った。

月に1度。宇宙人みたいなシルバー色のマントみたいものを被って、庭で、散髪を行う。

家の前を通る人に見られるのが恥ずかしくて嫌だったけど、それが当たり前だと思っていたので、我慢していた。そして、髪型はいつも同じ。そうだ、子供の特権、お坊ちゃん刈りだ。

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それが僕の月1のルーティーンだった。

あれは、小学低学年ぐらいの頃かな。

お坊ちゃん刈りで学校に行った朝、教室で、友達に「髪切った?」と聞かれた。

笑顔で「うん!昨日切ったー!」と答えたら「秀平の髪型って変だよね!」と友達に髪型を笑われた。

家に帰ってすぐにおばあちゃんに「もうおばあちゃんには髪を切られたくない」そう言った。

おばあちゃんはすごく悲しそうな顔をしていて、子供心ながら、なんだか切ない気持ちになったのを覚えている。

でも仕方なかった。

一時期は我慢していたのだが、徐々に周りの目が気になって、お坊ちゃん刈りが嫌すぎて、僕は黒いナイキの帽子を目深に被って学校に通うようになった。

通学路は下を向いて歩いて、授業中以外はずっと帽子を被っていたため、休み時間などで被っている時に、先生に注意されたりもしていた。子供にとっては友達に馬鹿にされるということは、大きな出来事なのだ。

余談:帽子生活は数ヶ月で終わりを迎えた。毎日黒い帽子を被り、登下校を繰り返していたある日、いつも通り、黒い帽子を被って学校に向かっていたら、カラスがもの凄いスピードで、自分の頭に向かって飛んできた。

運動神経は良い方だったので、咄嗟にかわすことができたが、危うく怪我をするところだった。さすがにすごくそれが怖くて、それ以降上を向いて歩いたり、カラスを見つけると走って帰るぐらいトラウマになっていた。

そんな経験をして、身につけているものが黒いとカラスに襲われやすいという話も聞いて、徐々に帽子は被らなくなっていった。

たしかそれから数回は自分の母親に髪を代わりに切ってもらっていたのだが、おばあちゃんがある日「秀平、お坊ちゃんにはしないからおいで」と言って僕を呼んだ。

最初は嫌がったが、「髪を切られたくない」と話したときの、おばあちゃんの切ない顔を思い出して、僕はまたシルバー色のマントを着た。

そして、散髪が始まった。

庭での散髪は、太陽の光が眩しくて目を細めがちになる。目を細めると眉が下がり、前髪を切られすぎてしまう可能性があがる。眉上の前髪ぱっつんというおしゃれ女子の髪型はまだその頃は流行っていなかったので、とにかく眩しくても耐えた。できる限り耐えた。

そして数十分後。

「鏡で見てごらん〜」

僕は鏡に向かった。

そう、なんだか、いい感じだった。

床屋では子供の散髪はほとんどしていなかったらしく、お坊ちゃん刈りを嫌がった僕のためにおばあちゃんは色々な子供の髪型を勉強してくれていたのだ。

その後も、初めての坊主は「バリカンが嫌だ」といえば、ハサミで慎重に6mm坊主にしてくれたし、ベッカムヘアーなんかも挑戦してくれた。

そんなおばあちゃんとの連携により僕は髪型にはあまり困らない小中学生時代を過ごすことができたのだった。

余談:おばあちゃんが床屋を引退後は床屋で使ってた高級バサミを何故か僕が受け継ぎ、自分で髪を切るようになった。予定がパンパンで美容院に行けない時は最近でも自分でちょこちょこ散髪したりする。最近では自粛期間の時に役立った。

2、おばあちゃんの職場と銀だこ

また少し小学生の頃の話に戻るが、そんなおばあちゃんに、家を留守にしないといけない時よく、「秀平がいい子にお留守番していたらたこ焼きを買ってきてあげる」なんていう交換条件のもと、僕はお留守番を任されることがあった。

基本的に僕も幼少期は悪ガキではあったが、ある一定のルールは守るタイプの悪ガキだったので、たこ焼きはもれなくゲットしていた。

そう、床屋の近くにたこ焼きの王道「銀だこ」があったのだ。

たこ焼き

もうとにかくそのたこ焼きが美味しくて美味しくて。

僕は、他のたこ焼きでは満足できなくなるほど銀だこにハマった。

留守番もしていないなんでもない日にサプライズで、たこ焼きをお土産で買ってきてくれた時は、もうおばあちゃんが神様のように思えた。

そんな日はおばあちゃんの凝りまくっている肩たたきをしたりしていた。おばあちゃんの肩はとんでもなく、かたかった。「床屋さんの肩はすごく凝るんだよ〜」とよく話していた。(美容師さんや床屋さん毎日おつかれさまです。)

そんな僕が高校生になった頃だ。

横浜駅を歩いていたら「銀だこ」を見つけた。

猛烈に興奮した。すぐにおばあちゃんに伝えた。すると、「そこでもよく買うわよ〜」なんて言っていた。「早く教えてよ!」なんて話した。

でもその「銀だこ」はおばあちゃんの床屋からは少し離れていた。

詳しく話を聞いたら、昔は床屋の近くに「銀だこ」があったが、途中でなくなったので、少し離れたその場所に毎回買いに行っていたらしい。

勢いよく「知っていたらなら教えてよ!」と言ったものの、知らなかった優しさまで知ってしまい、「いつもありがとうね」としか言えなかった。

それからというもの、週3ぐらいのペースで「銀だこ」に通うようになった。おばあちゃんとその孫がすごい頻度で通っていたとは銀だこの店員さんも知らなかったと思う。

余談:銀だこにはスタンプカードがあった。少しだけ自慢させてほしい。

銀だこのスタンプカードには、赤いカード、銀色のカード、金色のカードとランクがある。

赤いカードにスタンプを20個貯めると1舟分、たこ焼きを無料でもらえる。そして、カードが銀色のカードに進化する。

銀色のカードは12個スタンプを貯めると1舟分、たこ焼きを無料でもらえる。これで金色に進化すると思ったら大間違い。

銀色のカードは12個スタンプを貯めると1舟分たこ焼きをもらえるが、それを3回、すなわち合計36個スタンプを貯めないと金色のカードには進化できない。

見事36個スタンプを貯めると、金色カードになった暁には、10個スタンプを貯めるごと1舟分、たこ焼きがもらえるようになるのだ。

そう、もちろん、僕はスタンプカードでいう最高レベルの金色のカードの持ち主だった。ちなみに、8日と18日と28日と「8」のつく日はスタンプ2倍なので、毎月、8がつく日はテンションが無駄に上がってしまうほど、銀だこファンだった。

まあ、とにかく銀だこにハマった。

3、銀だこの挨拶

銀だこに通っていて、味だけではなく、なんだか、店員さんとのやりとりが心地よいことに気づいた。

その理由は、お会計にあった。

銀だこではお会計をする時に魔法をかけるかの如く「おいしく召し上がれますように」と店員さんが声をかけて、商品を渡してくれる。それが銀だこの決まりらしい。

僕はあれが好きだった。

その言葉が好きすぎて、店員さんが言うのをニコニコしながら聞いて、「おいしくいただきます!ありがとうございます」と答えたり、時には「おいしく召し上がりますように」と言われるタイミングで、シンクロするように合わせて僕も何故か一緒に「おいしく召し上がりますように」と言うっていう謎のボケをかましたりしていた。(店員さんとそれで仲良くなったりした。)

おばあちゃんにも聞いたら「うんうん」と言っていた。(たぶんおばあちゃんは僕ほどはその魔法、ハマっていなかったのだと思う。)

でもでも、僕としては、これが意外と大事な話で。

この「おいしく召し上がりますように」は

コンビニやスーパーで、「ありがとうございましたー」とは全く違うのだ。

僕はその時「当たり前の挨拶にひとつ加えるだけでこんなに印象が変わる」ということを教わった。

僕は普段、人とコミュニケーションを取る時に、普通とか当たり前みたいなことを避けたい、常套句はなるべく使わないようにしたいと思っていたりするのだが、それはこの銀だこの挨拶から受け継いだものなのではないかなと勝手に思っている。笑

4、おばあちゃんにプレゼント

そんなこんなで大人になった僕も、自分のお金で、おばあちゃんにたこ焼きを買ってあげられるようになった。

時々、サプライズで、おばあちゃんも大好きだろうとお土産で買って行って一緒に食べた。

何度かそのお土産を繰り返していて、気づいた。毎回、おばあちゃんはあんまり食べないで「あと全部、秀平にあげる」と僕に多めにたこ焼きをくれた。

おばあちゃんもたこ焼きが好きで、お土産で買ってきてくれてるのかと思っていたが、そうではなくて、本当にただ僕の大好物がたこ焼きだったから買ってきてくれていたことを大人になって知ったのだ。

なんだか初めての感情になった。やさしいとかそういう言葉では表せない深い愛みたいなものを感じた瞬間だった。

5、僕とたこ焼きとおばあちゃんの話

変な話だが、たこ焼きには感謝している。

おばあちゃんのやさしさを改めて教わり、挨拶のひと手間の重要さを教わり、エビアレルギーなのになぜかたこ焼きのエビだけは大丈夫で、軽いアレルギーだってことも教わった。笑 僕は今でもたこ焼きが大好きだ。

そして、やさしいおばあちゃんが僕は大好きだ。

今でも僕はたこ焼きが好きで、見つけるたびに買っている。

「おいしく召し上がりますように」

最近ではその言葉を聞くとそんなおばあちゃんを思い出すきっかけになっている。

言葉ってそういう形で、思い出をプレゼントしてくれたりする。

ライブに足を運んでくれていたこと、いつでも僕の味方でいてくれたこと、美味しいご飯を作ってくれたこと。おばあちゃんとの思い出はたくさんある。僕の記憶の中では、怒ったり泣いたり忙しくて、でもいつも僕には甘くて、やさしかった、そんなおばあちゃんだった。

今では天国で僕のことを見守ってくれている。

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