映画マッチングの考察


1年半待ち望んでいたこの日、ついに映画館で観ることができた。多くの佐久間担がその上映を心待ちにしていただろう。
まず始めの感想として、内田英治監督が手がけた作品は期待以上に面白く、キャスティングも豪華。観客の心を鷲掴みにするストーリー展開で最初から最後まで楽しめる作品だった。犯人の動機や象徴表現、音楽など細部にまでこだわった映像作品だと思う。
サスペンススリラーとしてはグロテスクなシーンは少なかったと感じたが、一貫して不気味な空気が漂っており、常にゾワゾワさせられた。
特にクライマックスの怒涛の展開や最後の永山吐夢の表情は恐怖で私を支配した。
内田英治作品のファンやサスペンス好きには是非見てほしい。

見ての通り(?)私は佐久間大介のファンである。
内田監督の「ミッドナイトスワン」も、サスペンススリラーやホラー映画は好きではあるが、金髪佐久間くんが好きすぎる私。
正直この作品は7割、いや6.5割佐久間大介を見る目的で行った。佐久間くんの金髪を、永山吐夢を見るために…
しかし想像以上に面白く、象徴的な表現や意味深なシーンが多く考察しがいがある作品だと感じた。
単に見るだけでは勿体無い。
これはもう考察するしか選択肢はないと思い、個人的に気になったことを調べ、パンフレットや小説を読み自分なりに解釈したことを書いていくので、
『そこら辺に転がっている佐久間大介のファンがなんか言ってるわ』の感覚で見れる方のみでお願いします。

※あくまでも映画主体の完全ネタバレブログです。映画だけでは分かりにくい箇所を小説やパンフレットを参考に考察してます。
※小説をこれから読む人はUターンで
※キリスト教についてサイトで調べたことを基に考察しています。

アプリ婚連続殺人

殺された夫婦は顔にバツ印(十字)がカッターで切り刻まれており、首と手には鎖が巻き付けられ2人はテーブルの上で片手を祈るように組み合わせてる。手元には南京錠が鎖にかかっている。

小説では殺す前に夫婦をそれぞれ拘束し、2人の愛が本物か確かめるためにルールを設けている(後で詳しく説明します)

何故このような連続殺人が起きているのか。映画だけでは動機は分からないが小説を基に私の考察を混じえて説明をする。

○何故吐夢はここまで愛に執着をするのか
小さい頃に吐夢は児童養護施設の図書館で聖書を読んでいた。キリスト教は愛の宗教だとよく言われるほど、愛を非常に大きなテーマとされている。吐夢にとって聖書は愛の見本であり、身近に感じるものだったのかもしれない。

聖書から真の愛のヒントは得ていたが吐夢は母親に捨てられ、誰からも愛されなかった。愛を追い求めるほど答えは見つからず、次第にそのヒントが真の愛の定義に変わり、愛に執着するようになったのではないか。

そして彼にとっての結婚の定義は聖書を基にした「結婚とは神が定めた運命であり、たやすく結ばれてはいけない」というものだ。
このことから愛とは長い時間をかけて育むものであり、虚構の世界であるマッチングアプリで簡単に手に入れるものは運命ではないと考えた。

愛に執着しているからこそ運命でもない相手と永遠の愛を誓い、偽りの愛を真の愛と謳っている(SNSでの投稿)夫婦は吐夢にとっては汚れた存在であり、許されない存在である。だから罰を与えなければいけないと考えたのではないだろうか。


○残虐な殺され方について
マタイの福音書19章には「結婚した男女はふたりではなくひとりである。神が結び合わせたものを引き離してはいけない」とある。
だから首と手に2度と離れないように鎖で巻きつけ物理的に夫婦を1つにし、懺悔として手を組ませた。
鎖で2人を結ぶだけでなく南京錠をかけた理由としては、運命的な出会いをしていない2人を1つにした吐夢は2度と離れないように鍵をかけた。無理矢理2人を結び合わせて引き離せないようにしたのではないかと考えられる。
また、小説には「同時に命を失うことによって一瞬愛を得た」とある。吐夢は2人が1つになったと捉え、この教えに当てはまるから愛を得たと感じたと考えられる。

次に顔に十字の傷を切り刻んだ理由だ。
十字架といえばイエスキリストが人類を罪から救うために、身代わりに磔になり、その十字架上の死によって神の無限の愛(アガペー)が顕されたとされている(Wikipedia参照)
この前夜にイエスは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と弟子に教えた。
この教えは小説で吐夢が真の愛の定義としているものだ。
だから始めに説明した"殺害する前に2人の愛を確かめるためにルール"を設けたのだ。吐夢はただの人殺しではなく、虚構の世界で出会った2人の愛を確かめるために裁きをし、罰を与えてるのがここで分かる。
どちらか命を差し出せば1人は死、もう1人は助かる。差し出さなければどちらとも殺すというルールはこの愛の定義の通り、愛する者のためなら自分の命を犠牲にしてまで守るはずだから、夫婦にどちらが死ぬべきかを質問をし、2人が自分の命を差し出すかどうか証明するためのルールというわけだ。

そして夫婦が自分の命を差し出さなかったため、真の愛(神の愛)の象徴としてカッターに顔に十字架の印を刻んだ。吐夢は罰を与えている感覚で人を殺しているため、罰→バツ印の意味合いもありそうだ。

罰を与えているということは十字架刑も繋がりがあると考えられる。
十字架刑は残酷さと屈辱の象徴と見せしめの意味合いを含むこともあり、当時の人にとっては忌み嫌うものであった。
アプリ婚という虚構の世界で出会った偽りの愛を誓った夫婦を世の中へ見せしめとしてメッセージを込めたのではないか。

私たちもこの映画を観てアプリを始めるのが怖いと感じたのと同じで、アプリ婚は誰もが忌み嫌う存在にさせようとしているのか…?(本当に吐夢がそこまで考えてたら新世界の神で違う作品になるのでここまでの意味は含まれてなさそうだけど)

影山剛

母親を愛することで愛に狂った人物。

○何故影山は輪花に復讐しようとしたのか
節子は芳樹を愛することで壊れていき、母親の自傷行為を目の当たりにしていたら、母親をこんな目に遭わす芳樹に対して嫌悪感や怒りを抱くのは当然の感情であり、それが日常なら影山自身も壊れてしまうだろう。
影山が怒りから復讐に変わったきっかけが、節子が芳樹を刺し、影山が施設に送られてしまったことだろう。怒りは復讐の衝動であるから、彼が抱いていた怒りは私たちが計り知れないほど大きな感情だったのだろう。
影山自身母親を愛してはいたが、節子はどうだったのだろう。私が思うに、多少の愛情は与えていたが芳樹を思うあまり周りが見えない節子は、影山が施設に送られても迎えには行かなかったのではないかと思う。影山は母親が迎えに来ない理由は芳樹だったと分かっていたから、復讐心がどんどん芽生えていったのではないだろうか。

マッチングアプリのプログラマーになった理由も、もしかしたら輪花を見つけるためにこの職に就いたのなら恐ろしいね…でもあり得そう…


○影山剛の言動について

・「古いものが好き、新しいことより昔のことにこだわる」
これは好きなものというより、未来よりも過去にこだわりがあると言ってるようなものですね。つまり自分の未来より復讐することが大切だと…?

・「どんな人間にもいくつもの顔がある、それは家族も同じさ」
自身のことも含めの発言と捉えれる。輪花に対して優しい影山剛を演じている顔、その裏では復讐のことしか考えてない母への愛に狂った狂気の顔。

・最後取調室で穏やかな表情だった理由
輪花の愛する者を殺し、愛した男に裏切られてから輪花を殺すつもりだったが、孤独となり絶望を味わった輪花は死ぬより生きてる方が地獄と影山は捉えたのではないか。
踊らされてる警察に対して煽りの笑みも含まれていそう。

○影山(金子さん)に対して個人的感想
影山はかなり可哀想な人物だと思う。節子は芳樹を刺した後捕まるが、釈放された後に輪花の母を拉致監禁し、25年間2人で一緒に暮らしている。影山は施設に入れられたのに節子は迎えには行ってあげなかったのかと思うと、節子が影山に対しての愛があまり感じられない。
輪花を殺そうとする時に小学生の影山と現在の影山が重なるシーンがある。20年以上彼は復讐のためにしか生きていない、子供の頃から心は変わっていないのだろう。なんて哀れな人生だなと思ってしまい、同情してしまう。

影山剛を演じた金子ノブアキさんの演技力には圧倒された。この人何かがおかしいと感じさせる雰囲気と表情の作り方がとにかく凄かった。金子ノブアキさんの演技を通じて、影山剛のキャラクターの深みと魅力が際立っていたと思う。
本当に素敵でした(昔から金子さんが好きな人)

輪花

○昔から恋愛が苦手な理由
小説では恋愛に一歩踏み出せない理由に、別れることや裏切られたらと考えて不安になり、一歩が踏み出せなかったと説明がある。
また、25年前に母が突然輪花の前からいなくなったことに対して裏切ったと捉えている。愛する人を失う辛さや母親の裏切りが一歩踏み出すことができずにいる。傷つくことを恐れているのだろう。

○吐夢に好意を持った理由
輪花が恋愛に一歩踏み出せない理由が分かれば吐夢に好意を抱いたのも理解できる。
2度も命懸けで助けてくれて、異常なまでに輪花に執着している吐夢なら裏切らずに私を愛してくれると思ったのではないか。何だかんだずっと側にいたし(ストーカーだからね)

○輪花の狂気さ
輪花にとったらヒーロー的な存在かもしれないが、不気味な得体の知れないストーカーを普通は好きになるか?
個人的にこういうところに輪花の狂気さが垣間見える。

過去を知る選択肢を与えられた際「何もかも失ったから怖くない」と吐夢に言ったシーン。
父と友人をほぼ同時に亡くし、心を開いた影山に殺されかけられた輪花の精神状態を考えると、落ち着いてる方が異常だ。壊れてもおかしくない状況、いやもしかしたら輪花は既に壊れているのかもしれない。

○「毎日毎日苦しかった」
父親と2人暮らしの輪花は孤独を感じていたのではないか。
芳樹(父親)の仕事はホテルマンという(映画でそれらしき発言と小説に説明あり)休みが不定期な仕事だ。もしかしたら学生の頃の行事は参加できないこともあったり、土日も1人で過ごすことの方が多かったのではないか。輪花は小さい頃から孤独を感じていたのかもしれない。

また、突然母が姿を消したが離婚もしていない、出ていった理由も分からない、連絡もつかない。父の秘密を知らなかったとしても、どこか違和感と居心地の悪さを感じながら過ごしていたのではないか。
母が出て行った理由を聞かなかったのも、父にも裏切られ、傷つくことになるかもしれないと思ったのだろう。


○「あなたは幸せになるのよ」
回想シーンで母親が「輪花の花嫁姿早く見たいな、あなたは幸せになるのよ」と公園で言ってるシーンについて。これは輪花が覚えている母親の最後の言葉だ。恋愛に向いてないという自覚がありながらもこの言葉を思い出しマッチングアプリを始める。
人生で一番好きだった片岡が結婚したことがきっかけだとは思うが、恋愛から逃げることは母が残した言葉に対して裏切ることだと思ったのではないか。
母親は自分を裏切ったが、私も母親と同様に裏切る行為をしていると感じたのではないか。
父は輪花に無理して恋愛をする必要はないと言っているが、その後母の言葉を思い出し、部屋に戻ってアプリを始める。
25年前の言葉が輪花の中で呪縛のようなものになっているのかもしれない。


○家の庭で母親に語りかけるシーン
恋愛歴について話してるが、小説では最後の恋バナは永山吐夢の話でも締め括られるのであろうと輪花は思っている。そして外には汚れた水槽が置いてあるがそれに気付かず話している。汚れた水槽は災いを招くという意味があるらしいが、どんどん堕ちていくことにも気付かず破滅の道へと進んでいくのだろう。今までは汚れていても気づいてくれる存在がいたが、心が壊れた母と吐夢しかいない状況で、同時に大切な存在がいなくなった輪花は破滅の道に進んでも気付かないのだろう。

○輪花に対して個人的感想
とにかく不憫で仕方ない主人公。好きだった人が殺され、職場にも疎まれ、父の不倫発覚後友人と父が亡くなり、信用していた影山は自分を殺そうとする&友人と好きだった人を殺害済、思いを寄せられてる相手はストーカー、母は父の不倫相手に拉致監禁されていた。
いやもう…とにかく可哀想。同情するしかない。こんなに可哀想なことあるか?というくらい不幸が詰め込まれている。
やっと幸せを掴んだかと思いきや、相手が永山吐夢という何ともとも言えない。今すぐ逃げろと言いたいが永山吐夢からは逃げられないんだろうなと思うと悲劇の主人公だなこれは……結末がバッドエンドしかなさそうだ。無念。

吐夢

誰にも愛されず、愛を求めて愛に狂った人物。

○僕とあなたは運命で繋がっています
小説には輪花のアプリの自撮り写真の背景に四葉のクローバーが映っているのを見つけ、母が残したロケットの中にある四葉のクローバーであることから吐夢はそれを運命だと感じたから輪花にいいねをしたとある。
母を見つければ真の愛について答えが見つかると思っている吐夢。だが手がかりは母が残したロケットと四葉のクローバーしかないわけだ。それだけの手がかりを元にずっと探し求めていた吐夢は、輪花のプロフ写真を見た時に運命と感じるのも無理はない(無理矢理ではあるんだけどね)
実際思い込みではなく本当に運命の出会いだったわけだから吐夢はある意味見る目がある。血縁関係だったし探していた母親も見つかったのだから。

○僕の愛はどんな深海よりも深い
愛を知らないなこそ基準値もなければ上も下もない。だから極端0か100。深海のように深いのはそういうことだろう。
よく愛の大きさを例える時に宇宙の広さで表すのが一般的だと思うが、宇宙よりも辿り着くのが難しいと言われる深海で表すほど吐夢の愛は誰も辿り着けない暗くて何も見えない底なしの愛ということか。

深海は太陽の光が届かない暗黒な世界だ。そんな深い吐夢の愛を照らしてくれるのが一筋の光の輪花なのだろう。

○「僕は輪花さんを愛してます」
家族は再現できない唯一の存在だと認識しているから母を探していた。母を見つければ愛についての答えがそこにあると信じていたからだろう。
だが、母を見つけると同時に輪花が血の繋がった家族だと知る。家族がいない吐夢は真の愛も求めていたが運命の相手であり、家族である輪花と結ばれれば、同時に再現できない家族と真の愛を手に入れたと吐夢は捉えたのではないか。
だから節子の面会で話終わった後に最後ロケットを置いて出て行ったのは母との決別を意味してるのではないか。

○吐夢の個人の感想
1番最後に話します(え?)

影山節子

節子が何故輪花の母"みちこ"を自分と同化させたのか。
節子にとったら愛している芳樹と娘の3人で幸せに暮らしてるみちこは憎い相手だろう。
殺す選択肢をしそうだが、それをしなかったのは自分の苦しみを味わわせるために自分に同化させたのではないか。

次に疑問なのが"みちこを愛することは芳樹を愛すること"という考えに至ったことだ。
キリスト教では結婚というのは2人が1つになる考えである。みちこと芳樹は1つのものとみなすと、みちこを愛する=芳樹も愛するになるわけだ。どちらか1人だけ愛せばいいのだから芳樹は必要なくなるわけだ。

なら芳樹だけを愛せばいいのでは?と思ったが、全てを愛することに意味があると思っているのではないか。
この考えに至った理由としてはマグダラのマリアと聖母マリアを表現している描写があったからだ。

昔の節子は赤を身にまとっており、罪深い女とされているマグダラのマリアを連想させていたが、現在では家の周りなどに青色の小物が置いていることから純粋なる母性愛の象徴の聖母マリアを連想させていると感じた。
マグダラのマリアといえば罪の女と言われている一方で、聖母マリアは無原罪の御宿りという原罪(人間が生まれながら負っているとされている罪)の汚れと穢れを一切受けていない罪とは程遠い存在だ。

憎い相手を愛し、罪を自分の中で消したことでマグダラのマリアから聖母マリアへと自分の中で変化したのではないか。

個人的に気になったもの

○水族館のサメ
吐夢と輪花の最初のデート(?)でサメ2匹が映る描写がある。サメは魔除けの象徴である。
これは吐夢から守るための輪花の周りにいた芳樹と尚美を表していたのではないか。

だがサメはクリオネを食べる。
この物語の元凶は不倫した芳樹であり、吐夢と輪花がマッチしたのは尚美が吐夢にいいねをし、デートに誘ったからである。
つまり魔除けではあったが、結局クリオネ(輪花)を食べてしまう存在だったというわけだ。

○輪花の家にあった蟹のクッション
リビングの窓側(庭側)のソファに置いてあった蟹のクッション。蟹は厄除けの意味を持つ。
芳樹が亡くなった後、その場所に芳樹の遺骨が置かれていたことから、芳樹は輪花を守ってくれる存在だったことが分かる。

○ボレロ
この曲は最初から最後まで同じリズムで繰り返され、最後の2小節で突然転調して終わる。
演奏時間は17分もあり、最初から最後まで1つのクレッシェンドのみなので計画的に演奏しなければならない。段々と楽器が参加していくのも特徴の1つだ。
しかし、スネアドラムは最初から最後までずっと同じリズムを繰り返している。17分も同じリズムを繰り返す曲なんて頭がおかしくなりそうだ。

ボレロの軸であるスネアドラム、マッチングに照らし合わせるとストーリーの軸は主人公の輪花。一見まともに見えるが終盤に向かうにつれ狂気を感じる人が多かったのではないか。
この狂気さは色んな人物と関わっていくことで狂気な人間へと完成させていく。だがそれはとてもゆっくりと、いつの間にか、どこから変わったのか分からない1つのクレッシェンドのように。

平和でありきたりのまま終わるかと思いきや、ラストのクライマックスで今まで積み重ねてきたものが一気に崩れ落ちるかのように曲が終わる。

まさにこの映画のようだ。
吐夢と輪花が結ばれるエンディングかと思いきや、最後の最後にあの一瞬で吐夢は輪花と私たち観客に絶望の淵に落とした。
気づいた時には遅い。計画的に大きくなったこの曲、このストーリーは終わるのだから。


いや、実は終わりではない。

映画マッチングのオリジナルサウンドトラックに、1曲目と最後の曲どちらもボレロが使われているのだが、名前が「悪夢の幕開け」と「悪夢は終わらない」
この悪夢は一生終わらないということなのだろう。

ボレロの狂気さとマッチングの狂気さがより恐怖を感じさせる。


最後に吐夢の感想

佐久間くんが吐夢のことを"愛してあげたい"と言っていたが、狂気的な存在なのに何故か嫌いになれない、むしろ私も永山吐夢を愛してあげたいと思ってしまう。佐久間くんが演じているからという理由もあるとは思うが、私たちから見たら彼の愛は深海より深いため、上から見たら光もない歪んだものに見えるだけであって、本来の姿は純粋な愛なのだろう。

では何故深海より深い愛なのだろう。

吐夢は母親にコインロッカーに捨てられ、わずかに光はこぼれていたが電車の音と人の足音が聞こ続ける暗闇にいた。大人になった今でもその感覚が忘れられずにいた。つまりずっと暗闇の中にいたのだ。

暗闇にいたら普通は光を探すはずだ。
しかし吐夢は光を見つけたのに、その光の元に行くのではなく、掴んだ瞬間引き摺り込んで光のような存在を壊して自分と同じになることを望んでいる。
吐夢にとって光は捨てられた時の感覚を思い出す要因の1つなのかもしれない。そして光には人が集まる。

だから掴んだ光を深海より深いところに引き摺り込み、誰にも見つからない2人だけの世界で、捨てられた時の感覚を、自分の孤独を忘れさせてくれる真の愛で包まれることを望んでいるのだろう。
深いところに行けば行くほどもっと歪む。


歪んだ形ではいるが、どうかお幸せに……



ここまでお読みいただきありがとうございます!
U-NEXTでマッチングが見れますので、もしこのブログを読んで見たいと思った方が1人でもいるなら本望です。

では、おっち〜(^^)

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