量産と多作はべつものです
読むという行為は大好きだけど、読むことすら嫌になる記事を量産しているライターさんをたまに見かける。
文章構成がガタガタで、話があっちこっちに飛ぶし、ボキャブラリーが致命的なほどに少なくて、言いたいことが1ミリも伝わってこない…そんな感じ。
一生懸命時間をかけて書いたのであればまだ読もうっていう気持ちになる。ただそういう読みたくない記事を垂れ流しているのを見ると、あーもういいやってなってしまう。
量産したって読まれなかったら意味がない。
「量は質になる」「記事は速く出そう」とか言われるけど、量産さえすれば自然と質も上がる、なんて単純なものではない。
自分の限界まで力を振り絞って1つ、また頑張って1つ、と書いていくうちにスピードもクオリティも上がる。そういうことでしょう。
その振り絞りをできるだけ早く・たくさん繰り返そう、そういうことでしょう。
一方で多作は素晴らしいことだ。
力を振り絞った回数をそれだけたくさん重ねてきたのだから、まず自分のためになるし読み手にその誠実さは必ず伝わる。
同じように速筆と適当に書くのでは全然違う。
的確な言葉選び、ボキャブラリーのストック、視野の広さ。あらゆる積み重ねがあるから速く書いてもいい作品ができるのだ。
ただの金稼ぎや文字数を稼ぐこと自体を目的として書いていても、永遠にいい作品は残せないだろう。
量産は絶対しないけど速筆で多作なライターにわたしはなりたいし、ならなければいけない。
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