約5年ぶりのSHISHAMOに自分自身の変化を見た話
4月29日、私は千葉県にいた。
推しであるINIが、JAPAN JAM 2024に初出演するためである。
2月の京セラドーム公演以来の姿。
元々、好きなアーティストに関して、ツアーで地元に来てくれる時以外わざわざ遠征するようなことはなかったが、(武道館など、特別な会場は別として)
INIの京セラ公演以来、彼らに一度でも多く会いたいと思い始めてしまったのである。
(京セラのレポ、そろそろ上げなければ。笑笑)
彼らのステージは、それはもう、素晴らしかった。
最初から最後までダンスチューンで踊りまくり、彼らの歌声が曇り空を切り裂いて突き抜けていった。
MINI(ファン)の掛け声での盛り上がりはもちろん、初見のロックファンも手を上げてタオルを回して楽しんでくれていたように思う。
最初から最後まで最高なまま、いつもの通りの深いお辞儀をして、あっという間に去っていってしまった。
学生時代は、フェスに行くなら開場からラストまで滞在して、チケットを使い倒そうとしていたが、
この日の我々はINIからの参戦。
名古屋を12時に出て、15時ごろに会場へ。
とっても大人な楽しみ方をした。
それでも、野外ステージだから、遠くのステージの音楽も聞こえてくる。
ミーハー心に、「あ!有名人がたくさんいる!」とテンションが上がる。
ステージの近くにいなくても、そばを歩きながら、手を上げたり体を揺らしたり、どこにいても音楽が楽しめるのがフェスの好きなところだ。
INIの次に出てきたのが、SHISHAMOだった。
SHISHAMOの単独ライブに行ったことはないが、曲はよく知っているし、見たこともある。
学生時代軽音サークルに所属していた私は仲間たちのバンドがSHISHAMOのコピーバンドをよくしていたから、それを聴いていたし
フェスに行けば、遠くからでもSHISHAMOを眺めて音に乗るのが楽しかった。
コロナ禍になるまではよくフェスに行っていたので、実質彼女たちを最後に見たのは5年ほど前のことになるだろうか。
もう少し経っているような気もするが。
5年ぶりに見て最初に思ったことは
「やっぱり、演奏技術がハンパねぇ〜」
である。
彼女らがデビューしたのは、いわゆるバンド戦国時代とかいう頃で、同じ世代のバンドがごろごろいた。
その中で勝ち上がるには「ガールズスリーピース」という肩書きだけでは足りなかったのかもしれない。
デビューしたころからすでに卓越した演奏技術を持っていた彼女たちだが、5年ぶりに見るとさらに腕が磨かれたようにも感じられた。
演奏されるどの曲も「聴いたことある」のは、彼女らの決定的な強みだと思いながら、あっという間に
「あと2曲です」とコールがかかってしまった。
そして演奏されたのが「明日も」。
この曲がリリースされたのは、2017年。
その年の4月から社会人になった我々世代にとっては、涙なしでは聞けない曲なのである。
まだわからないことだらけ。
何がわからないのかもわからないような、手探りですらない、そんな時期だった。
社会人になりたての時は、この歌詞が一番ぐさりと突き刺さっていた。
でも、
この曲がリリースされた大学四年生時点では、私は別の歌詞が刺さっていた。
それがこちら。
社会的な物心がついた時、というか、
中学時代にいじめに遭ってから、
「わからないことをわからないと言ったらいけない」と思うようになった。
中学時代は夜9時には寝室に行くルールだったから、
当時みんながはしゃいで話していたドラマの内容が分からなかった。
道明寺と花沢類のどちらがいいかなんて、さっぱり分からなかった。
新聞のテレビ欄の右下のあらすじを読んだり、
CMで流れるドラマの予告を食い入るように見たりして
なんとか話についていっていた。
「見てないんだよね」とは、言えなかった。
テレビに限ったことじゃない。
周りのみんなが知っていそうな話題は、なんでもキャッチアップするようにした。
漫画は、習字教室の本棚に入っているものをいそいそと読んだ。
スポーツは、弟が詳しかったから、弟に聞いた。
大変だったかどうかもわからない。
このやり方しか分からなかったから。
フェスに一緒に参戦したのは高校時代からの友人だった。
友人によると、高校時代の私は「誰とでもフラットに話せる人」だったらしい。
どんな話題やテンションにも気後れせずついていく人、に見えていた、と。
そんな私のことを、羨ましい気持ちと、少しの猜疑心で見ていた友人が
「どうして、そうやって誰とでも過ごせるの?」
と私に聞いたことがある、と話してくれた。
申し訳ないがこの時のことは全く覚えていない…勉強に必死だったのかな。
返事として私は友人に
「一人でいるのは辛いからね」と話したらしい。
…そうだったのか。
中学高校時代は、一人になるのが怖かった。
正確に言うと、一人でいる自分を誰かに見られるのが怖かった。
ハブられたいじめで嫌だったのは「ハブられた人」というレッテルを貼られたように感じたことだったんだと思う。
どんな人とでも仲良くできる人、だと思われたかった、んだと思う。多分。
情報をキャッチアップして、友達の話題についていくのは、別に苦でもなかった。
情報収集は性に合っているし、そのスキルは今でも仕事で使えていると思う。
でも今思えば、「友達の話題についていく」私は、「ありのままの私」ではない状態で生きていたのかな、とも思う。
今の私は、興味がないことは「あまり知らないから教えて」と素直に言えるようになった。
「その作品は見てないな。教えて。」とか。「名前だけは知ってるけど詳しく知らない!どんなの?」とか。
なんなら「ドラマは結末がわかるまで怖いからあんまり見ない」「暗い展開が来たときに引っ張られて暗くなっちゃうから最終回しか見ない」とまで言ってしまえるようになったし。笑
だから、もう、この歌詞は今の私に1番刺さる歌詞ではないなぁと思ったりした。
今の私に1番刺さるのは
の部分。
人生で一番尊敬できる推しが、
地元以外での公演にも足を運びたいと思えるほど
いつだって努力して、
痛くも苦しくても走っている推しがいるから。
推しが走っている姿を見て、
歌っている姿を見て、踊っている姿を見て、
紡ぐ言葉を見て
力をもらう。
大夢くんは、
私が迷ったって、悩んだって、泣いてたって、怒ってたって
それを笑ったりしない。
だって私のことなんて知るはずがないから。
ただただ彼が走っているから、
私もその走り方についていこう
真似しよう、と思えているんだよな。
そんな存在がいるって、すごいことなのかもしれない。
元々この曲は、土日にサッカーを応援しにいく人たちの様子を見てボーカルの朝子ちゃんが書いた曲だったはず。
つらい日常だとしても、ヒーローに会いたくて頑張る。
社会人になって、途中で一回休職して、そしてまた戻ってきた私にとっては
感じ方が大きく変わる曲になった。
この曲のリリース当時と比べて「成長」したかは分からない。
だけど確実に「変化」はしている、と感じられたSHISHAMOのパフォーマンスだった。
最後の曲は
「明日はない」
明日も、からの、明日はない
この曲をラストに持ってくる彼女らのロック魂に痺れた。
フェスは、アーティストの最後の1曲になった瞬間、
ステージに背を向けて次のアーティストのステージへ向かっていく観客が多い。
それをわかっての選曲なのかもしれない。
ぞろぞろと動き出す背中たちに
「どいつもこいつも腹立つな
言えないあたしも腹立つな」
と叫ぶ朝子ちゃんの声が、強くぶつかるように見えた。