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4年前の今日(正確には昨日)のこと。

4年に1度の閏年。
この職業でありながら、4年前に子どもたちにどんな話をしたか覚えていない。
「うるうどし」について、話さないわけがないのに。
というか、子どもたちとの関わり以前に、この日のことが何も思い出せない。

それもそのはずだ。
4年前の今日は、土曜日だったから。
大きすぎる衝撃と混乱の中迎えた、2月の最終日だったから。



話は2020年2月27日、木曜日の夜まで遡る。
この日は、当時付き合っていた彼氏と、ケンタッキーを食べていた。
にわかに世間を騒がせ始めた「コロナウイルス」とやらに怯えつつも
手洗いうがい以外にできることが思い当たらなかった。
インフルエンザとの違いもわからなかったけど、だんだんこれは
ものすごく怖いものなのでは、という空気が出始めた頃。

確か夜19時ごろ。
この日は私も彼も定時で上がれる日で、チキンを買って部屋に集合したのが18時過ぎのこと。
チキンを食べ終わってのんびりしていると、
LINE NEWSに速報が入る。
そこには「全国一斉休校」の文字。

意味がわからなかった。
どういうこと?どうなるの?いつから?どうやって?
自分の勤務校は対象なの?全国なの?地域別なの?
だとしたら、終業式は?卒業式は?
残り10ページと少し残った教科書は?
3月のお別れ単元は?
この子達の1ヶ月は?????

当時自分は小学1年生の担任だったから
「この子達の、小学生として初めての3月は、どうなるの。」
そんな気持ちでいっぱいだった。

できることなら
3月早めに教科書を終わらせて、楽しいチャレンジ単元に取り組ませてあげたかった。
1年でやり切った教科書を手に持って、みんなで「やったー!」の集合写真を撮ってあげたかった。
「2年生に向けて」っていう明るい未来について一緒に考えたかった。
1年で成長してきた自分たちを誇りに思えるような時間を持ちたかった。
たくさん遊んで、たくさん笑って、たくさん話をしたかった。

いや、ここまでじゃなくてもいい
ただ毎日、3月の最後まで、彼らを見守りたかった。
そんな小さな願いも、叶わなかった。

のちの感染状況を考えれば、この日のこの決断は英断だったと思う。
しかし当時の私には、そんなことは考えられなかったのだ。


翌日の2月28日は金曜日。
全ての時間が「学年戻し」の対応になった。
前日が定時デーだったことが、吉と出たか凶と出たかはわからない。
もしいつも通り残業をしていたら、翌日以降の対応に追われて、帰宅が何時になっていたかわからない。
しかし定時デーだったことで、ほぼ全員が何の打ち合わせも前情報もないままその日を迎えることになってしまった。
崩れる時間割。本来なら少しずつ分けて持ち帰らせるはずだった、算数セット、探検バッグ、そのほか山のような荷物。作品集になるはずだった、絵や工作。
何もかもそこで止まってしまった。

かろうじてこの日が登校日になっていたのはよかった。
子どもたちを送ってきた保護者さんたちに
「明日からどうなるんですか…?」と不安な顔で聞かれる。
朝の職員会議で言われた通りに「私たちもまだ何もわからないので、追って連絡します」とただただ答えるしかない。
つらい。
その中で一人の保護者さんが「でも、先生たちも今、大変ですもんね。不安ですけど、先生たちのことを信じて待ってます」と言ってくれた。
この言葉は4年経った今でも忘れたことはない。
自分のことでいっぱいいっぱいな時に、こうやって相手のことを考えられる人でいたいと、強く決意した瞬間だった。

この日は勉強のことなど忘れて、ひたすら楽しいことだけをして過ごした。
遊んで、話して、サッカーして。
自分たち以上に大変だったのが6年生担任さんたちだったと後から気づいたのだけど、その時は自分と、目の前の不安そうな目をした大事な子たちのことで手一杯だった。

帰りの会には、何を話したか覚えていないけど
「あなたたちのおかげで先生は成長させてもらえた」ってことを言った記憶はある。
本当は1ヶ月かけて練るはずだった、最後の言葉。
小1に対して適切な言葉だったかはわからないし、もっと言いたいことや彼らのために伝えるべきことはたくさんあったけど、
思いだけは届いたのか、クラス全員泣いていた。
泣いた顔で写真を撮った。
その写真はいまだに宝物。

この日が最後の登校日になったとしっかり記憶しているのは
帳簿を書いたからだと思う。
「3月 コロナウイルス予防による出席停止」と書くことができたから。
2月に1日でもこの出席停止があったら、帳簿はもっと面倒になっていた。

同業の彼氏も学校が急に終わってしまったことに対してひどく落ち込んでいて、珍しく2泊していった。
心が重たくて、寂しくて、つらくて、でもお互いに泣けなくて、ただただ静かにTVerのお笑い番組をぼんやりと眺めていた。

だから、4年前の今日のことは、ほとんど覚えていない。
いつもならお腹を抱えて笑えるはずのお笑いで笑えなかったことだけで、
何を食べたかも、何時に起きたかも、彼が何時に帰っていったのかも。
何も、思い出せない。

当時の私は日記も書いていなかったから、本当に何もわからない。
彼氏とも別れてLINEを消してしまったから、記録がない。
(復旧すればいいかもしれないけどとてもじゃないけどそんな気分にはなれない)

当時はとてもじゃないけど、4年後のことなんて考えられなかったな。
目の前の東京オリンピックがどうなるのか、というか
4月から学校が再開できるのか。
マスクに関してはどうなるのか、とか
そんなことで頭がいっぱいで
4年後のことはもちろん、1週間先のことも考えられなかったな。

コロナは私たちから「何かを楽しみにする気持ち」を奪っていった。

4年経って、まだ猛威は振るっているものの、いろいろな方法で対策ができるようになってきたのかもしれない。
「楽しみ」な気持ちもある程度保証されるようになってきた。
そんな中でも自然災害のように、私たちの「日常」を奪い去ることはどんどん起きてしまう。

どうか、もう、誰も「楽しみに待つ気持ち」を奪われませんように。

そんなことを祈りながら
4年後の今日は、今日よりさらに
楽しみがたくさんあることを祈りながら。










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