『Life is Strange Before the Storm』感想

前作をPS4のDL版で購入していたのでパッケージ版発売より早めに遊んだのですが、その後クリアされた方の感想がぽつぽつ見られるようになってきました。
ところが自分と違う感じ方が大勢でしたので、ちょっと書いてみようと思いました。【盛大にネタバレを含みますので未プレイの方はご注意ください】

○前作についてと今作への思い
前作については細かなところで多少の難を感じる部分や「悪夢」の回のMGSふうのアクションがしんどい等々ありましたが、自分としては全体的に高評価でした。
ストーリー、アメリカのテレビドラマまんまな演出、要所要所ではいる音楽(BGM)の等が全て自分の好みにハマっていた為、非常に気に入っていました。特に音楽部分についてはゲームのパッケージが無駄になるのを承知で日本では発売されていないサントラ同梱の限定版を購入したくらいでした。

そんな中「続編が出るよ」という情報を耳にしたのですが「あの終わり方で続編?」と思っていたら前日譚でした。「オチが決まっていてしかも辛いオチなのにどうやって話を繋げるのだろうか」という不安も感じました。さらに何故か制作会社が変わっている、という点もさらに不安を感じるポイントでした。

○それでも結局購入
前述のような漠然とした(しかしそれなりの年数ゲームを遊んできた経験からすると気になる)不安があったために購入を非常に迷っていたのですが、結局は前作同様にPS4でDL版を購入し、パッケージ版より早く遊び始める事となりました。不安よりも「まあでもあのゲームの世界がまた見られるなら」と考えたからです。

○目についた粗さ
・グラフィックスの粗さ
一抹の不安を感じつつ遊び始めた第1章ですが、すぐに気づいたのが背景のグラフィックスの粗さでした。
元々前作も「実写かと感違いするような今時美麗なグラフィックス」ではなかったのですが、人物はともかく背景となる木々等の粗さは今作で結構気になりました。
特に前作今作の舞台となる架空の町アルカディアベイは自然に囲まれた田舎町という設定ですので、木々越しのカットなんかで「えらく粗いなあ」と感じざるを得ませんでした。ただ、これは自分にとっては大した問題ではありませんでした。「ストーリー次第のゲームだから」と思っていたからです。

・ストーリや演出の粗さ
グラフィックスの粗さが少し気になりつつもプレイをすすめました。結果レイチェルがクロエを「学校サボろう」と誘い出し、列車に乗って自然公園ライクな場所の展望台に辿り着くまで……は普通に楽しめました。
ところが自分が突然物語世界より突き放され「物語を客観的に神視点で見てる人」になってしまう出来事が次々に起こりました。

今作の主人公クロエの相方となるレイチェルは、俗に言われるスクールカーストの恐らく最上位にいる子で、境遇や育ってきた環境の為に「天真爛漫」「我儘」「女王様気質」になったのだなあ、という事はのちのち分かります。
「そういった事がまだ明らかになっていな段階なので」というのは分かるのですが「展望台の壊れた双眼鏡にいれて出てこなくなった硬貨を『取ってよ』とクロエに普通の事のように命令」「自分から誘った『遊び』の最中に突然不機嫌となりその後の言動も唐突かつ破滅的」となると「ハア?」とならざるを得ません。(というかなってしまいました)
そういう流れとなる意味や意図は分からないわけではないのですが、あまりに見せ方が唐突かつ乱暴過ぎる(と感じられた)ので自分はそれまでの「クロエに同調している状態」から突然「PS4の前に座ってコントローラー握ってる人」になってしまったわけです。

そうなると、その後の演出も「ウーン」と粗さや難を感じざるを得なくなってしまいます。
訳の分からないままにレイチェルに拒絶され、心情を吐露(自分は「友達以上の何か」の選択肢を選びました)しても同様、となって自暴自棄になったクロエが廃品集積所で暴れるくだりの「どのオブジェクトを選んでも「壊す」の選択肢しか出来ず、しかもご丁寧に「□○△×の4つが選べるようになっていてそのどれもが『壊す』」なのを見て完全に醒めてしまいました。
意図は分かるけども「それはここまでと同じで必要な数の選択肢しか出ない状態にしてそれが『壊す』になってるだけでいいんじゃ」とクドさを感じてしまったわけです。

その他演出で気になったものとしては「クロエの心象風景(のようなもの)もありました。
大好きだった父親を突然事故で亡くしてしまい、非常に精神的に不安定となっているのは分かります。それを表現する方法として「死んだはずの父親がまるで生きていた時と同じように、現れる」というのも分かります。
ですが、その方法を何度も何度も使ってしまっているが為に「重み」がなくなってしまい自分には「またかよ……」としか感じられないようになってしまいました。

演出以外でいうとストーリーの粗さも気になりました。一番自分がひっかかったのは第2章、演劇の楽屋にクロエとレイチェルが訪れるシーンで
クロエに対しレイチェルが「何か言ってやってよ」と代役になったビクトリアに声をかけるよう促すくだりです。
このくだりで自分は「こいつ(レイチェル)は豆腐メンタルだなあ」「けども実はそこまで悪い人間でもないからな(=前作の印象)」「クロエは発言はアナーキーでも中身はマックスと同じくらいいい子だからなあ」などと思ったのでビクトリアを励ますような選択肢を選んだのですが、そこは問題ではありません。違和感を感じたのはその後。

クロエの「あんたはあんたなんだからあんたなりにやればいいよ」的な声掛けに予想以上に喜んだ反応を示したたビクトリアが楽屋から出て行った後。レイチェルがクロエに向かって「時間を稼いでくれて助かったよ。御蔭で紅茶にクスリいれられた」といった内容の発言です。
ここで自分は「ハア?」とまたもや一章の展望台と同じ反応をしてしまいました。
ここまでの流れで「レイチェルが学校さぼって怒られるのは分かるけども、これまで練習頑張ってきたであろう演劇の主役を劇開始間際のタイミングで降ろされる理不尽さ」は素直に理解できていましたし、劇中のクロエと同じぐらい腹が立っていました。しかし、だからといってクスリを盛るのは……流石に駄目でしょう。
さらに、いくら「親友以上の何か」という関係になっていたとしても、クロエがそれを全く咎めないというのも彼女の「実は(前作主人公のマックスと同じかそれ以上に)良い子」という設定とかけ離れ過ぎていて納得がいきませんでした。
結果ここでもまた自分は「PS4の前に座ってコントローラー握ってる人」になってしまいました。

○登場人物の魅力とは
前述のような「粗さ」から「PS4の前に座ってコントローラー握ってる人」になってしまい、物語に入り込んで楽しむ事ができないパターンが多々あったわけですが、それに拍車をかけたのが、自分がレイチェルに魅力を感じられなかった事です。

家庭環境やその他本人を取り巻く環境のせいでいささか「我儘」に育っているのは分かりますし、その一方で「展望台」へ行くまでの間に感じられた「天真爛漫さ」が魅力となるのも分かります。
ですがスクールカーストという言葉を使うとすれば、現実世界でそれの下位もしくはドロップアウトしたような位置にいた自分からすると「我儘」の部分がどうにも受け入れられませんでした。

特に、前作主人公のマックスや今作主人公のクロエには「気に入らない事や人に対する憤り」があったとしてもその一方で「相手に対する思いやり」も感じられるような言動があったのに対し、(少なくとも自分が今回遊んだ範囲では)レイチェルにはそれが感じられなかったからです。
今作ではメインの登場人物となるクロエとレイチェルがどちらも「父親の問題で非常に精神的に不安定になっている」ので、遊んでいて辛くなるシーンも多かったわけですが、そうなると尚の事「登場人物に惹かれる」事が物語に入り込む際に重要になります。今回は自分にとっては厳しかったというわけです。

○虚構の中で描かれる現実
唐突にまとめっぽくなってしまって申し訳ないですが、自分が前作に感じていた魅力の中には「あり得ないフィクションの世界で現実に感じられる問題を描いている」というものもありました。
現実味のなさでいえば、前作主人公のマックスが持っていた時間を巻き戻す特殊能力なんかはそれこそ「あり得ない」ものです。
ですがその設定を使う事によって「人生色々な選択を迫られる事があってそれはとても難しいし、正解があるというものでもない」という事を上手く表現できていたように思います。
それと比較してしまうと今作は……

といったところで「前作の世界をまた体験できたのは良かったけども、前作に較べるとちょっと残念だなあ」というのが自分の感想です。

ですがこれはあくまで自分の感想。「いやあ、今回も良かったよ」とか「前作遊んでないけど面白かったよ」といった感想があってもそれはそれで、と思っています。また、こんな事をくどくど書いてしまうくらい、本シリーズには魅力があるというのもその通りだと思います。
「こんな見方をしている人もいるのか」と感じていただければ幸いです。

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