脳の温度ってある
夏に頭の様子がおかしくなる、そのことについては各所で話したり書いたりしているから無意味ともいえるし、改めて伝えようとする行為ってちょっとおこがましい。ただ、大事かなとかこれは自分に言い聞かせるという意味を持っている行動かも、みたいな気持ちもあって、今回はそっちを優先してみようと思った。
一昨年の初夏にちょっととんでもないことが起こってからというもの、元来苦手だった夏がさらに苦しいものとなりました。
だから許されるというわけでは決してないと分かっているけど、私が不安定を告白しても自然に接してくれてありがとう。あなたたちにとってちょっとした発言でも、私には救いとして映りました。
私にとっては悔しいかな自明な脳の軋みについて、同情こそすれ共感は難しいという人も少なからずいる。ともすれば後者の方が多いまであるかもしれない。
だとしても「元気?」うーん夏だからダメです「あ~そっか」みたいな会話をしてくれる人たちに、変に気を遣いすぎないでいてくれたり自然体で寄り添っていてくれたりする状況に、どれだけ、どれだけ救われたことか。
今年の1月には私がもう一人生まれて3月に即死するという出来事がありました。
誰が悪いかでいうと私を含めた色々な人間にそれは分散していって、最終的な呪いは一人に帰結する。その人をはっきりメタクソに言ったら私はもう一度、というか一番深い部分の私としておしまいになると思う。
祈りはどんな未来も幸せに変えるという好きな音楽、そのまま反転してもその通りになる。だからやめます。あの人も私を貶めたくて決断を下したわけではないし多分……
“善くあろうとする”と“悪くなくあろうとする”って同じようで実は違う。
私は自身が前者をやっていると何の疑いもなく思い込んでいたのだけれど、なかった。だから善い人・もしくはそう見える人に憧れるし、同時に悪い部分を自覚しつつも悪さから離れる振る舞いをする人も大好きで自分もそうありたいと両者を指針にしています。
気づいたら周りが好きな人間だらけになっていた。
自分を”温室育ちのガキ”と評したことがあるけれど、本当に生まれ育った箱から離れてからの自分は不条理に遭遇しては温室に逃げ込んでいたのかも。
そこにある花とか果実とかは、薬でその場凌ぎをやっている私の頭を正しく優しい方向に持っていってくれている。
恩返しって生きてないとできないっぽいし生きます。
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