20240120仮面女子ワンマンのストーリーを変わった角度から考察してみたら愛が深まった
1/21追記:分かりやすくするため図表を整理したり、さいごにに解釈加えました。
ワンマン、紛うことなく大傑作であった。
今回中でもチャレンジングであった「劇」、素晴らしかった。
「ストーリー」を作ることで、「曲」に新しい意味が生まれ「セトリ」全体が大きな物語を持つ素晴らしい構成だった。
帰り道、映画を振り返るように今回のストーリーを考察してみた。
すると、(多少無理はあるものの)変わった角度で今回のストーリーを捉えることで、より今回のライブを深く楽しむことができたので、急遽考えをまとめるべくnoteを記載してみた。
※本noteはワンマンのストーリーのネタバレを含みます。
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前提:寸劇の大筋 ※ネタバレ注意
Part1
30年後のわたしたち
舞台は30年後。
新生仮面女子の同窓会に集まるメンバーたち。
アイドルを引退して、各々の道を切り拓く。
新宿ReNYのライブがきっかけとなり、活動の幅も広がったらしい。
ノノア(未来):振付師
こはる(未来):全国に飛び回っていろいろプロデュース?
芹(未来):数々の舞台に出演する女優
もあ(未来):有名声優 ドラえもんZ
まお(未来):まるまるわさび事業家、小太り金持ちオーナー
夕佳(未来):配信者、裁縫師(手持ちの鞄がままっち風裁縫術で作られていたので技術を継承したのだろうw)
→登場SEに繋がる
Part2
タイムスリップする芹(現在)
MCの途中、急な頭痛に襲われる芹。
気づいたら30年後にタイムスリップしていた。
未来のメンバーたちに出会う芹。
夢を叶えたメンバーたちを認識するが、「ライブ」に対する捉え方は現代とは異なっていた。
ライブは「没入世界」でサブスクしてみれる世界。
「没入世界」は現在のVRのような形ではなく、「マトリックス」のように世界に入り込める。
「人の記憶」から抽出することができ、先日は「ビートルズ」のライブを「没入世界」で楽しむメンバーもいた━━━━
芹は違和感を覚える。
「本当にそれでいいのか?ライブはそういうものか?」
芹は【悲痛な叫び】を訴える。
現代に戻ってくる。
メンバー(現在)に起こったことを話す芹(現在)
メンバーと、
という気持ちを高め、ワンマンのパフォーマンスに戻る。
→セトリ:RIOT DAISYに繋がる
Part3
未来の猪狩
集合時間に遅れて猪狩(未来)が「歩いて」登場する。
「三男」の世話が大変で遅れた様子。(8子までいるらしいw)
ペルソニアの音楽と共に、メンバー(未来)7名は同窓会会場へと向かう━━
→セトリ:ファンファーレ☆に繋がる
解釈1:素直な解釈
2024年民の一員であるファンである我々も未来の視聴方法には疑問が残る。
「ライブアイドルを愛している我々」としては特に。
芹の悲痛な叫びに違和感はない。
「ライブ」は生の空間でかけがえのないもの
僕たちファンも一緒に作り上げるもの ということを改めて認識した上で、
ありがたみ、楽しさを噛み締めながら、
この「ワンマンライブ」を共に創り上げよう。
そのような解釈に自然となる。
解釈1に対する決定的な疑問
ただ、解釈1だけでは決定的な疑問が生まれる。
なぜ未来の視聴方法をするのが「メンバー自身」なのか━━━━━
≒なぜ「未来のメンバーのライブの解釈」が「現代のメンバーのライブの解釈」とズレているのか
未来の一般人が「未来の視聴(ライブを軽視した視聴)」をしているのなら違和感は全くない。
ただ、未来の彼女たちが言うなら違和感しかない。
彼女たちは年間100本以上の「ライブ」をこなし、
誰よりも「ライブアイドル」に誇りを持っていた存在だったはずだ。
芹(現代)の【悲痛な叫び】に対しても、
未来のメンバーたちはなぜか強く心に刺さっていない━━━
解釈2:チャレンジングな解釈
ここである仮説が生まれる。
Part2までの未来はディストピアなのではないか、と━━━━━━
各々の夢を叶えているところは間違いなくポジティブな未来だ。
ただ、各々の夢を叶えたとしても、彼女たちのコアコアのコアである「ライブ」・「ライブの魂」が気づいたら”彼女たちでさえも”失われた「ライブ亡きディストピア」なのではないかと。
この世界線を「世界線α:ディストピア」と名付ける。
「世界線α:ディストピア」
元ライブアイドルの仮面女子ですら”ライブとは何か”を忘れた世界
ビートルズのアーカイブライブを視聴
仮面女子のアーカイブライブを視聴
※「仮面女子を見に行った」と発言したノノアだが、「自分を応援した」といっていたことから
すると、芹の【悲痛な叫び】も筋が通る。
各々のなりたかった夢を叶えていても本当にそれでいいのか━━
「ライブ」が軽視された「ライブ亡き世界」で本当にいいのか
私たちは「ライブアイドル」・ライブに誇りを持った民ではなかったのか━
芹は「今回のワンマンライブ」を通じて、
世界を変えたかったのではないか━━
芹の【悲痛な叫び】の後に始まるのがRIOT DAISY
Daisyは一般的には「ヒナギク」のことであるが、
「つながっているもの」という意味ももつ。
同時に英語でDaisyを俗語的に使うときには「一級品のもの」という意味を持つ━━
Riotは、「暴動」のこと。
仮面女子のみんなは、
RIOT DAISYを通じて、
「ライブアイドルという一級品」を
「未来に繋げようとし」
「未来を変えた(Break Throughした)」のではないか━━━
こう解釈してみると、Part3の劇の最後で
”ペルソニア”が流れたことも筋が通る。
【世界線α:ディストピア】のときは芹の【悲痛な叫び】が刺さっていなかった。
ただ、Part3では、(ペルソニアが流れていたので)彼女たちは「ライブアイドルの魂」を取り戻して、同窓会へと向かっていった。
未来が、【世界線β:ユートピア】に変わったのである。
そして、極め付けは最後の「夏だね☆」だ。
当然の疑問ではあるが、
なぜ未来の彼女たちがステージに存在していたのか?
【世界線α:ディストピア】では、彼女たちは他アーティストや自分たちのライブを「視聴」していた。
ただし、最後の「夏だね☆」は彼女たちは「参加」していた。
彼女たちは未来の技術を使って、同窓会から「ワンマンライブに参加」したのだ。
という「ライブアイドルの魂」を持って━━━
さいごに
彼女たちは各々の夢を世界線αで叶えていた。
つまり、彼女たちは世界線αからリスクを取ってまで「世界を変えようとした」
※幸い世界線βになっても、各々の夢が潰えることはなかった。
それほどまでに大事な彼女たちにとっての「ライブ」。
彼女たちにとって「ライブとは何か」
なぜここまでして彼女たちは「ライブ」を守りたかったのか━━━
それは、彼女たちが「ライブアイドル」だからだ。
彼女たちはライブに生きて、ライブで死んでいく。
ライブに誇りを持った最強の地下(ライブ)アイドルだ。
彼女たちに取ってライブは「Live ”生きる”」そのものなのではないか━━
彼女たちはそんなライブという魂を居場所を「守り続ける」
つまり、この物語・ライブは
最強のライブアイドルじゃないと描けなかった表現そのものであり
彼女たちの「生」を写した物語だったのではないか━━
と、妄想深読みしてみるのも、面白くないですか?笑
改めて上質なエンターテインメントをありがとうございました。
こういう日が人生を豊かにしてくれるなと強く思いました。
ありがとうございました。
そしてこんな妄想深読みをお読みいただきありがとうございました!
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