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『ジェイ・ギリガンに会いに。-PONTE-青木直哉』を読んでものづくりがめっちゃ上手くなった話

きぞはるです。
青木さんのジャグリングのエッセイ『ジェイ・ギリガンに会いに。』を読んで僕は深く感銘を受けました。
これは僕の物づくりが明確に上達したエピソードです。



このエッセイをなぜ読んでいたのか正直覚えていません。
エッセイの2段落目『1週間後にニュージーランド行の飛行機を予約した』件で、電気が走り。
7段落目の『コリンおじさんにコーヒーをご馳走になった』件で、ため息をついて一度読むのをやめたのを覚えています。
そこまでで感じた衝撃に疲れたので、その日は読むのをやめて、次の日に最初から読み直しました。数日は最初だけ読んで疲れてやめるを繰り返していました。

この文章を読んだ事は、僕の人生観に影響を与え今もそこで得られた着想を育てています。
このエッセイ文章は、文字として僕が人生で一番影響を受けているかもしれない。


要点は二つあります。
・雑に実行できる事柄はその人にとって特技なのかもしれない
・無駄なことが行えることはその人にとって特技なのかもしれない


雑に実行できる事柄はその人にとって特技なのかもしれない


青木さんは面白いことをしようと思って、ニュージーランドに行こうとします。
しかし、青木さんはニュージーランドについて何も知らない状況で、まず飛行機を予約してしまいます。

心を決めたら、すぐに図書館を出て外を歩きはじめた。足早に歩きながら、そうだ、行こうか行くまいか迷っていたニュージーランドに旅に出よう、と決心した。家に帰ったら、海外に行くことを両親に伝えた。その場でMacBookを開き、航空券のチケットを取った。出発は1週間後だった。この時はまだ、ニュージーランドという国について、何も知らない。日本から飛行機でどれくらい時間がかかるのかすらも知らない。ビザがいるのかどうかも、何も調べなかった。1週間後に本当に入国することができるのかどうかも、わからなかった。

ジェイ・ギリガンに会いに。

僕はそもそも旅行が得意なほうではありません。
国内のジャグリングイベントでも、ルートなどをきっちり調べ上げて確実な準備をして臨みます。
飛行機嫌いも相まり海外渡航なんぞはもってのほかです(EJC旅行の誘いを飛行機きらいだから断り続けている。むしろ日本のジャグリングを盛り上げてヨーロッパジャグラーを日本に来させようと思ってる。)

ここで青木さんの海外渡航への"雑さ"に驚きました。僕にはどうやっても真似できないなと。
僕は青木さんの特技は『旅』なんだなと感じていましたし、リスペクトと同時に、この温度感を自分に当てはめて考えてみました。
僕はこの雑な温度感でジャグリング道具作っているなと、客観視ができました。
本当に完成するかわからない、使い物になるかどうかもわからない。そもそも発揮させたい機能がきちんと発揮されるのかわからない。そんな状況でもとりあえずジャグリング道具作りのスタートはできるよなと。

そこを起点に、自分が雑に実行できるものは何か。
知り合いが雑に実行できているものは何か。
それらを考えるようになりました。

僕にとって得意とは言えないものづくりのジャンルでは、調理と裁縫があると思っています。
とはいえこれらは下調べせずとも何となくスタートして最低限の事は十分できます。
僕が明確に苦手としているものづくりのジャンルでは、絵を描くがありますが。(小学生でも僕より絵が上手い子はざらにいる。)
これに関してはもう何を調べてらいいのか。勉強すればいいのか。そういったものすらビジョンが起こらずにお手上げです。
つまり、雑にスタートできない。

総じて自分の行為がきちんと実行できているのか(正解なのか)観測し判断するのは難しいが、自分の精神が今の行為を雑に行ったかを感じるのは幾分簡単です。雑に行った行為が間違っていても精度を高めていけばいい。

僕は長所を深めたいタイプなので、自分の中の雑な行動を見つけるよに努めています。
そして雑に行おうとした行為は深掘りをする価値がある。
丁寧に行おうとした行為は、後回しにしていい。
という判断基準で動いています。

これ以降ものづくりの中でも、どの範囲が得意なのか苦手なのかというより繊細な解像度が明確に向上しました。これはモノづくりに大いに役立っています。


無駄なことが行えることはその人にとって特技なのかもしれない


これは青木さんがニュージーランドについて、コリンおじさんに迎えられる前の一幕。

過ぎゆく多くの風景を、黙って眺めた。おばさんが、とんでもない金切声をあげながら半狂乱で待ち人に駆け寄る。刺青だらけのお兄ちゃんが、ブロンドヘアの若い女性を、静かな微笑で迎える。日本人の卒業旅行の団体が、セルフィー棒で写真を撮る。

ジェイ・ギリガンに会いに。

この引用の範囲以外にも、状況を説明するのにいらない文章が多すぎると感じました。でもスラスラ頭に入ってくるのです。
僕は基本的にエンジニアベースです。不要な文章を書かない価値観があります。
僕の価値観からすると青木さんの文章は情報が多すぎます。しかしそれらがスラスラと脳内に入ってくるのです。
事実を伝達するだけなら不必要になってくる情報を上手く配置して、このようにリッチな文章を完成させている。
これは文章があまりも上手すぎるなと思わされました。

雑なことに続いて僕は思いました。
無駄なことができるのももしかして特技足りえるのかと。

※無駄の良い対義語が見つからないので、ポジティブに無駄を解釈してください。

ものづくりの事を考えました。
確かにものづくり練度が低い人は、必要最低限のシンプルな設計になることが多いと感じます。
ものづくり練度が高い人は、無駄になるかもしれない機能もいろいろ加味・設計したうえで残しておくセンスが備わっていると感じます。

ジャグリングだって、1UP中に無駄にピルエットできる人のほうがより特技と言えるでしょう。

これを吟味していくと、無駄は能力の余力から発生しているんだなと気づきました。

僕はエンジニアベースなので物事の本当の骨格。その概念からそれ以上何も引くことができない状況を見て考えています。
エンジニアベースで世界の骨格を見た場合に、そこから生じる(ポジティブな)無駄を盛れる量の多さは特技に繋がってくると考えました。当然無駄も過ぎればゴミになりますし、そのバランス感覚は重要ですが。

この気づきも僕のものづくりに大いに役立っています。
機能を盛る行為というのは、基本的にここで言うポジティブな無駄に該当すると考えています。
青木さんの文章が(事実の伝達としては=エンジニア文章としては)無駄だらけだけれども、結果として美しい文章を構成している。
このように自身のものづくりも良い無駄の複合体としてのトータルバランスにとても気を使っています。

以上


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