見出し画像

詩作について

 詩を書き始めて数年しか経っていない若い詩友が何人かいる。その一人から、先日、作品を見せて頂き、タイトルについて相談された。彼の考えたタイトルには「傷」の字が用いられていた。そのタイトルは、内容にふさわしいと思った。が、「傷」で、自分が納得ゆくか、表記についても考えてほしいとアドバイスした。「きず」という字を調べると、傷、創、疵、瑕、痍など。他にもあるかもしれない。きず、キズ、kizu、と書いてもよい。自分が一番伝えたいのはなにか、タイトルであれば、特に気を配る必要がある。私のことを言えば、完璧なものが崩れてゆく有様を書きたいとき、「きず」を用いることが多いので、「瑕」比率が高い。
 それから、やや説明的な印象を受けた。自作の世界をわかって欲しいと思えば思うほど、説明してしまいがちだが、逆効果だ。他人は他人、自分は自分と、突き放して考えたほうがよい。説明過多だと、詩の世界が個人的なものになり、読者からは遠ざかってしまう。
 私自身、過去の二冊の詩集(1991年『万華鏡』、1999年『しなやかな暗殺者』)をnoteに挙げるために読み返した際、思いを伝え易くするために、言葉を刈り込むことは何度かあったが、加筆したことはない。一篇の詩を書きあげたら、その作品を忘れてしまうくらい放置した上で、他人の目線に近づいて推敲する──を何度か繰り返すことを、私も、私に、課している。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?